2018年前半読書日記
【2018年前半 読書日記】
◎2018年6月26日『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く (講談社現代新書)』井上寿一
◎2018年6月21日『象徴の設計新装版 (文春文庫)』松本清張
◎2018年6月14日『神々の乱心 上下 (文春文庫)』松本清張
◎2018年6月4日『Ghosts of the Tsunami: Death and Life in Japan’s Disaster Zone』Richard Lloyd Parry
◎2018年5月19日『霜の降りる前に:刑事ヴァランダー・シリーズ (創元推理文庫)』ヘニング・マンケル
◎2018年5月16日『ピラミッド 刑事ヴァランダー・シリーズ (創元推理文庫)』ヘニング・マンケル
◎2018年5月12日『弁護士アイゼンベルク (創元推理文庫)』アンドレアス・フェーア
◎2018年5月7日『椿の海の記 (河出文庫)』石牟礼道子
◎2018年5月4日『懐かしい年への手紙 (講談社文芸文庫)』大江健三郎
◎2018年4月30日『苦海浄土 わが水俣病 (講談社文庫)』石牟礼道子
◎2018年4月26日『西南役伝説 (講談社文芸文庫)』石牟礼道子
◎2018年4月18日『宿命の戦記~笹川陽平、ハンセン病制圧の記録~』髙山文彦
◎2018年4月14日『サンクトペテルブルクから来た指揮者 (ハヤカワ文庫NV)』カミラ グレーベ
◎2018年4月6日『日銀と政治 暗闘の20年史』鯨岡仁
◎2018年3月17日『バタフライ・エフェクト』カーリン・アルヴテーゲン
◎2018年3月17日『モナ・リザ・ウイルス』ティボール・ローデ
◎2018年3月12日『八甲田山 消された真実』伊藤薫
◎2018年3月2日『許されざる者 (創元推理文庫)』レイフ・GW・ペーション
◎2018年6月26日『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く
(講談社現代新書)』井上寿一
☆☆調査会の紹介は興味深いが、論考は皮相
終戦後の占領統治下で、東京裁判と並行して政府の下でこのような調査会が行われていたこと自体はあまり知られておらず、戦争拡大に反対した政財界の有力者が戦争直後にどのような発言をしていたのかを知るのは興味深いことである。
しかし、個々の有力者の発言は各自の意見の域を出るものではなく、歴史の検証としては昭和前期の詳細な歴史資料で客観的な研究がすでに多数存在している。
そして、戦争調査会が途中で廃止された経緯が、委員に軍の幹部が複数入っていることに対し対日理事会のソ連や英国らから批判がなされたことにある以上、調査会の存在自体がいかにも中途半端なものだったという感を免れない。著者はその点に問題意識を持っていないようだが、戦争調査会の最も厳しい調査対象とされるべき軍の幹部が調査する側の委員になっている点は、その公平性と第三者性を疑われて当然のことである。
そのことは、調査会の議論の紹介で、戦争原因の起源を第一次大戦後に求め、大正デモクラシーの軍批判が軍の反発を招いたとか、大戦後の海軍軍縮で国際協調のために戦艦保有の微々たる削減をすべきでなかったかのような軍に配慮した議論を無批判に紹介している点にもあらわれている。しかし、問題は軍がなぜこれだけ発言力を持ち、世論や政治のコントロールがきかずに暴走していったのかにあるので、大正デモクラシーや軍縮の努力を批判するのは全く倒錯している。軍の暴走の起源こそこの著者が論点からはずそうとしている明治国家の体制であり、日清日露戦争後の朝鮮と満州の植民地化であろう。
著書は戦争調査会が廃止された後の部分で戦争回避の可能性について考察しているが、これも皮相であるといわざるをえない。
確かに、満州事変から日中開戦、日米開戦に至る個々の局面では戦争拡大を回避する方策があり得たし、実際にそのような努力もなされていた(そのこと自体は歴史研究ですでに示されている)。しかし、問題はなぜ政治家の戦争回避の努力がことごとく失敗し、展望のない日中開戦や日米開戦の泥沼にはまり込み、ミッドウェー海戦以後は敗戦確実な状況となったのに終戦の決断ができずにずるずると悲惨な玉砕や特攻戦を続け、ついには沖縄地上戦や原爆の悲劇に至ったのかということだろう。
それはやはり軍の暴走を止められない国家体制をつくってしまった明治国家以来の問題にあるわけであり、その点を掘り下げずに個々の局面の戦争回避の可能性だけをあげてみてもむなしい議論である。
◎2018年6月21日『象徴の設計新装版
(文春文庫)』松本清張
☆☆☆☆☆明治国家の影の部分をつくった男
このような本がkindleで安価に復刻されるのは大変ありがたいことだ。
幕末から明治維新への混乱と変革を経て、急速な近代化と富国強兵を成し遂げ、日清日露の戦争に勝利した明治国家が、大正デモクラシーを間に挟みつつも昭和期に入って急速に軍国主義と国粋主義に傾斜していったのはなぜか。その近代化の陰にある歪みの部分を担うのが、元勲にして巨魁である山県有朋である。
西南戦争で西郷が倒れ、大久保利通が暗殺された後、政治の表舞台は伊藤博文が担ったが、陸軍と警察は山県が担った。
伊藤が表舞台の光の部分で脚光を浴びる存在なら、山県はそれを裏で支える汚れ役、国家の治安を一手に引き受けたようなものだ。
この著作は山県が自由民権運動や政党をいかに敵視して、密偵も多用して執念深くかつ用意周到にその分裂をはかり弾圧をしていったかが丁寧に描かれている。板垣や大隈の動きも手に取るように把握して、巧みに押さえ込んでしまう。
また、松方デフレ財政が米価を下げて自由民権運動の資金源であった自作農を窮乏化させ、それが秩父事件などの暴発につながる経緯も立体的に描かれている。
とにかく山県という男は治安と民衆抑圧にかける暗い情熱がすさまじい。人間類型としては、KGB創設者のジェルジンスキーやFBIを創設して40年近く君臨したフーバーにも比すべきかもしれない。
この本の前半では、自由民権思想が軍に侵入するのを防止するため軍人勅諭がつくられる過程が詳しく描かれているが、興味深いのはフランス人権思想の洗礼を受けた哲学者の西周が起草した原案の穏健でむつかしい文面が気に入らない山県が、東京日日新聞の福地源一郎の手も借りて、天皇が自ら直接軍人に力強く諭す端的な勅諭に変えられていくところである。
これは教育勅語にも共通するが、下級公家と下級武士によってつくられた明治国家のよりどころが天皇神格化にあったことがこの本の題名の由来であろう。それが昭和の時代になって、統帥権干犯問題や天皇機関説問題などの軍人独走を招くのである。
◎2018年6月14日『神々の乱心 上下
(文春文庫)』松本清張
☆☆☆☆昭和史の暗部に切り込む
悪名高い特高警察の係長を主人公の一人に配し、宮中の女官と怪しげな新興宗教の動きを他方に描くストーリーの展開が、この著者としてはとても異例な感じがするが、編集部のあとがきを見ると著作の構想が昭和から平成の代替わりの時期とのことで、なるほどと思った。
あの時は天皇の代替わりに伴う古色蒼然とした宮中祭祀が延々と続き、宮中の保守勢力の存在を強く意識させられた。また、オウム真理教などの怪しげなカルトが活発に活動していた時期でもある。
こうした時代背景を意識して、昭和史の暗部である満州の特務機関と大本教などの新興宗教の活動を掘り起こして描こうとしたのが、この著作である。
残念ながら著者の死去で物語の落としどころが見えず、また展開がやや散漫になっているが、取り上げられることの少ないテーマなので興味深く読めた。
◎2018年6月4日『Ghosts of the Tsunami: Death and Life in
Japan’s Disaster Zone』Richard
Lloyd Parry
☆☆☆☆☆東日本大震災・津波被害の外国特派員による秀逸な報告
翻訳書も出ているが、英語でどのように書かれているのかを知りたくて英語版で読んだ。
kindleの英語本は、無料の辞書をダウンロードしておくと、文中のわからない単語はワンタッチで辞書が表示されるのでとても便利である。
内容は津波被害、特に大川小学校の児童が多数死んだ事件に焦点を当てて書かれているが、被害の平板な紹介ではなく、被害者の置かれた立場の相違に深く分け入ってインタビューが行われ、多数の当事者の発言が実名で紹介されている。
特に、亡くなった子どもの遺体が早期に発見された遺族と、発見されずに自ら捜索活動を長期にわたって続ける遺族の差は大きく、後者の喪失感がどれだけ大きいか改めて強く感じさせられた。
この遺族の置かれた立場の違いが、その後の真相究明活動や学校の責任追及、訴訟に対する遺族のスタンスを分けることになる。
同時に、大川小学校の対応の問題については、日本社会、特に地方社会の調和を重視し行政に逆らわない不文律が外国記者の目で容赦なく抉られている。
私自身も、大震災の数ヶ月後には何度か支援活動で被災地に赴き、大川小学校の生々しい廃墟にも入ってみて、津波の物理的破壊力のすさまじさと現地に与えた被害を実感したが、被災者の心の傷、トラウマは被災直後よりも時間がたってから明らかになった面が大きい。
その意味で、大震災から7年たって被害が風化しつつある今、被災者が受けた被害の大きさと深さをあらためて考えさせられる力作である。
◎2018年5月19日『霜の降りる前に:刑事ヴァランダー・シリーズ
(創元推理文庫)』ヘニング・マンケル
☆☆☆☆☆⒐11テロに対するマンケル的解釈
カルト教団の人民寺院事件の惨劇を生き延びた男が、教祖ジム・ジョーンズの影響を受けてスウェーデンでテロを企てるというストーリーが展開するが、最後まで読んだ人はこれが2001年9月11日にニューヨークで起きた同時多発テロを意識していることがわかるだろう。著者のあとがきの日付は2002年5月である。
カルト集団のテロが大きな狂気であるとしても、その思考と具体的な行動は冷静かつ合理的になされることが丁寧に描き出されていて、寒々とした恐怖を感じさせる。これをイスラム原理主義でなくキリスト教系のカルトに置き換えて描いたのがマンケルのバランス感覚だと思う。
刑事ヴァランダーシリーズとしては、警官見習いとなった娘のリンダが主人公となっていて、これがヴァランダーに似て感情的かつ単独で行動して危険な目にあうのが、読んでいてやきもきする。
しかし、著者はそれを織り込み済みで物語りを面白くしているのである。
◎2018年5月16日『ピラミッド
刑事ヴァランダー・シリーズ (創元推理文庫)』ヘニング・マンケル
☆☆☆☆☆刑事ヴァランダーファン必読!
ヴァランダーが刑事を目指していた巡査時代からイースタ警察署の刑事捜査を担うベテラン刑事までの長期間の年代を追って編集された短編~中編集である。
著者ヘニング・マンケルのストーリーテリングは全く巧みで飽きさせないし、柳沢さんの翻訳もさすがに素晴らしい。
特に、このシリーズではヴァランダーのモナとの私生活が年代を追ってよくわかるように書かれており、結婚前の熱い恋愛時代、結婚生活で娘ができたが夫婦はすれ違いの倦怠期にかかっている時代、モナと別居して間もない時代、別居が長引きヴァランダーに不本意な愛人までできた時代と小説の背景が変化している。
また、警察嫌いの父親との奇妙な信頼関係も全編を通じて描かれており、特に表題になっている「ピラミッド」では父親の突如のエジプト旅行をめぐるエピソードが事件とうまく絡められている。
刑事ヴァランダー・シリーズのファンならば、ヴァランダーの人物像や家族をよりよく知るために必読と言ってよい。
内容はどれもスウェーデンの地方都市を舞台にした事件だが、特に表題作は軽飛行機の墜落事故と手芸品店の老姉妹の殺人事件と麻薬捜査といった一見関連性のない事件の意表を突く深層が巧みに構成されていて、ミステリーの醍醐味が味わえる。
刑事ヴァランダー・シリーズの未翻訳作の翻訳刊行と、併せて既翻訳作品でまだkindle化されていないもののkindle化を強く望む。
◎2018年5月12日『弁護士アイゼンベルク
(創元推理文庫)』アンドレアス・フェーア
☆☆☆☆刑事弁護人の立場からのスリリングな展開
ドイツや北欧の最近のミステリーの流行なのか、各章の見出しが日付のみで書かれているために見出しの日付に注意していないと物語の前後がわからなくなる。
この小説では殺人事件の弁護活動で主人公が真相を解明していく展開と、それ以前に起きたアルバニアから逃れてきた母子のエピソードが並行して語られるスリリングな展開なので見出しの日付に注意しながら読む必要がある。
内容はネタバレになるので触れないが、刑事が事件の端緒から捜査して解明していく刑事物と異なり、弁護士物は起訴された被告人の弁護の観点で検察の立証を崩していく過程が中心なので、刑事物よりも配役が多く構成が複雑で、かつ刑事裁判の手続に関する正確な描写も不可欠である。この作品はそれらを十分にこなして読み応えのあるものとなっている。
この著者はドイツの刑事司法手続を熟知しているようで、弁護人と検察官、裁判官の駆け引きの機微が細部までリアルに描かれていて面白い。検察側の書証をCDに焼いて弁護側に交付し、アイパッドで見るというのは日本よりも進んだやり方だろう。
アルバニアやコソボの話が出てくるのは移民問題を絡めたのかと思ったが、血の復讐のようなエキセントリックな話で終わっているのはやや残念。
◎2018年5月7日『椿の海の記
(河出文庫)』石牟礼道子
☆☆☆☆『逝きし世の面影』水俣版
渡辺京二の名著『逝きし世の面影』に描かれた今は失われた村落共同体の人情や風景を、4歳の著者自身の目に映った水俣について描いたような作品である。渡辺京二が『苦海浄土』の出版に関わったことを思えば、あながち的外れの連想でもないと思う。
もちろん4歳の子どもの認識そのままではなく、その後の水俣の悲劇を体験した『苦海浄土』の著者の視点で4歳の子どもの目に映った情景を再構成しているわけで、その意味で『苦海浄土』と併せて読むことが望ましい。
舞台は昭和初期の水俣で、すでにチッソの会社はあったがまだ水俣病の事件は起きていない。著者の家は祖父の浪費により落魄し、貧しい集落の端に居住することを余儀なくされている。
集落の人々の日々の暮らしや新しくできた通り沿いの商店、遊郭の人々が4歳の少女の目から生き生きと描かれているが、特筆されるのは弱い立場の人や差別される人への著者の暖かい目線である。天草から女郎として遊郭に売られてきた少女が客の少年に殺された事件や、集落からさらにはずれたところに暮らしていたらい病患者の家族が強制収容された話が深い同情を込めて描かれているし、また精神を病んだ祖母のことがトリックスターのような役割で全編を通じて描かれていて、物語にアクセントをつけている。
ただし、全体としての構成に起伏が乏しく、小説として読ませる推進力に欠ける。その意味で星を4つにしたが、小説ではなく随想として読むべきものかもしれない。
◎2018年5月4日『懐かしい年への手紙
(講談社文芸文庫)』大江健三郎
☆☆☆☆☆自著の読み直しと語り口の変化
40年来の大江の読者でほとんどの作品は読んでいるが、実はこの作品が一番好きだと思う。
まず語り口がそれまでの大江の作品のようなどこか尖った、ゴツゴツした感じのある文体ではなく、とても柔らかい。手紙文のスタイルを選択した意図もそこにあると思うが、柔らかい語り口でときにユーモラスな調子も交えながら物語を進めていく。「ギー兄さん」を軸とした谷間の村の事件の進行にダンテ「神曲」の精読作業が通奏低音のように絡み合い、読者を<<大江ワールド>>に引き込んでいく。このあたりの作品構成はさすがであり、プロの作家の技法と方法意識の高さを感じさせる。
注目されるのは手紙の著者である作家の分身がこれまでの過去の自著の評価をしていることだ。いわば著者自身による自作の読み直し作業をしているのではないかと感じられる部分があり、その評価にはそれまでの読者にとって首をかしげるような、いわば大江の思想的変節とも感じられる箇所さえある。これが著者の本音なのか物語の企みなのかはわからないが、文学作品が著者の語りと読者の読み方の相互作用で成立するばかりでなく、後の読み直しあるいは読み替えさえ可能な開かれた芸術であることが示されているように思う。
物語の結末は「ギー兄さん」の根拠地の運動と挫折、その死で終わるが、それが柔らかい語り口と叙情的な情景描写で描かれ、読者の心を励まし、温かくかつ懐かしい気持ちを呼び起こす。
◎2018年4月30日『苦海浄土 わが水俣病
(講談社文庫)』石牟礼道子
☆☆☆☆☆公害と人間を描いた今なお色あせない傑作
水俣病は言わずと知れた日本の公害の原点であり、イタイイタイ病や大気汚染被害、さらにはスモンやエイズといった薬害にもつながる現代社会と大企業がもたらした災禍と共通する問題を今なお我々に突きつけ続ける。
著者は現地に暮らし、水俣病の発生から現在までをリアルタイムで経験した者のいわば歴史的使命としてこの著作を心血注いで書き著したのだろう。
一語一語に著者の気迫と熱い思いが込められていて、読者はその世界に引き込まれる。
その世界とは、かつては貧しいながらも豊饒の海で家族が身を寄せ合って生きていた水俣湾沿岸の漁民の世界であり、その彼らが水俣病によって働き盛りの息子や妻、幼い子どもを失い、あるいは重度の脳障害で寝たきりとなって家族が介護をするといった不条理に暗転した世界である。
筆者はこの不条理な世界を当事者である漁民たちに肉薄し、彼らの生の言葉でかつての生活と現在の情景をくっきりと浮かび上がらせる。それは被害の悲惨だけでなくその中でも尊厳と人間らしい情愛を失わない民衆の語りである。
◎2018年4月26日『西南役伝説
(講談社文芸文庫)』石牟礼道子
☆☆☆☆☆100歳を超える古老からの貴重な聞き取りと方言の味わい
水俣病問題を扱った「苦海浄土」の著者が、この名著と前後して書いた珠玉の作品である。
「西南役伝説」という表題どおり、西南戦争(現地では「西郷戦争」というらしい)を少年期に体験した100歳を超える古老数名からの聞き取りを中心に構成されていて、しかも古老の人柄を彷彿させる方言(熊本弁?)の語りを生かして書かれているため、とても味わい深い内容となっている。著者は聞き取りを録音していたのかもしれない。
古老は全員が士族ではなく農民であり、西南戦争を戦った官軍と薩軍の通過に巻き込まれて右往左往した体験を語る。
例えば、薩軍の荷役に徴発されて荷物を運んだために官軍にとらわれて命からがら帰った人の話や、官軍が家に立ち寄ってかまどで米を煮炊きしたが食べる前に点呼がかかって行ってしまい、残った米の飯を村人が恐る恐る、しかしおいしく食べてしまったというような話がユーモラスな調子も交えて語られる。
ただし、西南戦争の話は全体の一部であり、その後の明治から昭和にかけた村の変化と戦争の話や幕末から維新の時代のことも言及される。
中でも白眉は第4章に挿入された「天草島私記」で、天草出身の古老の聞き取りの話から、天草から本土にどうして大勢の移住者が来たのかという著者の疑問から探索が転回し、キリシタン弾圧で凄惨を極めた島原の乱以後の天草地方の荒廃とその後の人口急増による生活苦、徳政令を求める代官所への訴えと一揆や打ち壊しの勃発、その加担者に対する過酷な処罰といった苦難の歴史が当時の告文の引用も交えて明らかにされる。
まさに身分制社会の下層民衆の歴史である。
しかし、西南戦争までは民衆にとってはただ通過するだけであった戦争も、明治の国民国家が成立した以後は民衆レベルで戦争に兵士として動員されるようになり、古老たちの話も息子や孫たちを戦争に送り出していった話になっていく。その時代変化もまた聞き取りと語りからは読み取れる。
古老の語りは方言のままだが、現代の読者にもほとんど理解できる内容であり、かつ方言の持つ力強さと味わいがよくわかる著作である。
なお、この文芸文庫のシリーズはいずれも名作揃いであり、他の作品もkindle化を期待したい。
◎2018年4月18日『宿命の戦記~笹川陽平、ハンセン病制圧の記録~』髙山文彦
☆「救済者」の視点からのハンセン病制圧
笹川氏と日本財団が世界のハンセン病患者の治療や差別偏見の克服に取り組んでいることはよく知られたことであり、この著者は笹川氏に密着してその活動を描いている。
しかし、過去においてはハンセン病の制圧(「らい撲滅」)の名の下に患者の強制隔離、断種・堕胎の強制といった患者絶滅政策がとられた記憶は生々しい。
また、患者は為政者や篤志家の憐憫と救済の対象ではなく、ときには差別偏見や不合理な扱いに対して強烈な異議申し立てを行う主体でもありうる。
この著者にはそうした国家の強制隔離政策による被害とか、患者の人権や主体といった思想が欠けているように感じる。
そのことは末尾の「補遺」まで読み進んだところで明らかとなる。
著者は戦前の過酷な強制隔離政策を受け容れつつ作家として評価された北条民雄を讃えつつ、返す刀で国賠訴訟の原告や弁護団を批判する。曰く、療養所では患者が風邪をひいても国費によって治療され、ゆりかごから墓場まで面倒見たのだから賠償金は不要であり、訴訟は弁護士の政治運動だと。
しかし、国の政策で強制隔離した患者の面倒を国が見るのは、あたかも刑務所の受刑者の生計を国費でまかなうのと同じであり、他方、えん罪で受刑した人には国が補償金や賠償金を支払うのは当然のことである。
この著者はそのような自明のことも理解しようとせず、患者が主体的に立ち上がって権利を主張するのが気に入らないらしい。
ハンセン病家族の訴訟に対する無理解と偏見もひどい。報道されている訴訟の原告は強制隔離された患者の子らが中心であり、彼らは幼いときに親を隔離で失ったうえに差別偏見にさらされた被害者なのに、患者を差別した親戚と混同して批判しているのだ。
いっぱしのライターなら、笹川氏のような権力者からの取材ばかりではなく、差別偏見に異議を申し立てている当事者からも虚心坦懐に取材したらどうなのか。
◎2018年4月14日『サンクトペテルブルクから来た指揮者
(ハヤカワ文庫NV)』カミラ グレーベ
☆☆☆表題に疑問あり
ソ連崩壊後のロシアの政治経済の闇にストックホルムから来た二人のビジネスマンが巻き込まれるハードボイルド・ミステリーで、現在進行形でロシアで起こっているプーチン政権の強権的支配や亡命実業家やスパイの暗殺事件などを見れば、リアリティがないわけでもない。
それにしても次々と起こる残虐な殺人や暴力シーンについては、あまり読みたくない人もいると思う。
なぜこの表題なのかは最後のほうで明らかにされるが、ストーリーの本筋とはあまり関係がない。
むしろ「ストックホルムから来た証券マン」とでもつけたほうがいいくらい。
ちなみにサンクトペテルブルクの有名指揮者といえば、音楽好きならワレリー・ゲルギエフをすぐ思い浮かべるだろう。彼は紛争地域であるオセチア出身であり、かつプーチン政権とは近い関係にあると見られているのだが・・・。
◎2018年4月6日『日銀と政治 暗闘の20年史』鯨岡仁
☆☆☆☆☆「黒田バズーカ」「異次元金融緩和」の先にあるものは・・・
あえて著者の評価を交えずに、日銀と政治のかかわりを綿密な取材と資料で描いた労作。
私が印象に残ったのは、第1次安倍政権では小泉構造改革の承継で緊縮財政の立場だったが、第2次安倍政権では完全に転向してリフレ派の金融緩和政策の推進者となったということ。
安倍首相なりの反省と金融政策研究を踏まえたものであることがよくわかり、安倍首相の政治家としての力量としたたかさを侮れないものと見直した。
しかし、華々しく打ち出した「黒田バズーカ」も2年で2%の物価上昇の目標はマイナス金利の異次元緩和まで行っても実現できなかった。黒田総裁はさらに5年間の任期を与えられたが、GDPの1.5倍にも達した国債残高をどう処理するかの出口戦略は描けておらず、将来大きな破局をもたらす危険さえある。
その意味で、「飛べるかどうか疑った瞬間に永遠に飛べなくなる」と黒田自身が発言した「ピーターパン」の喩えは、日銀総裁の発言としては余りに博打的なもので、恐ろしくさえある。
アベノミクスは円安と株高を誘導して好況を演出してはいるが、その手法が異次元の金融緩和で国債を積み上げ続けるものである以上、将来インフレによって国債償還を進めるか、異次元の緊縮で大不況を招くかの博打的なシナリオで、どちらにしても将来の国民に大きな禍根を残すおそれが大きい。
◎2018年3月17日『バタフライ・エフェクト』カーリン・アルヴテーゲン
☆☆☆☆☆心に傷を負った人たちの息苦しく切ないドラマ
これはミステリーではない。濃密な心理小説である。
男女関係や親子関係の葛藤から生じる深い傷、あるいは犯罪被害のトラウマがきっかけとなった人格崩壊を、3人の主人公の心理の襞に深く分け入って描いている。
心に傷を負った人たちの内面が迫真の筆致で描写されており、読んでいて息苦しくなるほど。それでも最後まで引き込まれてしまう。
家族間の虐待やDV、犯罪被害のトラウマに関心のある人は必読。
◎2018年3月17日『モナ・リザ・ウイルス』ティボール・ローデ
☆ダ・ヴィンチ・コードのできの悪い模倣?
最後まで読んでいないが、ストーリーが荒唐無稽すぎてついて行けない。
めまぐるしく時空を超えた移動がなされるのも読みづらい。
美しさと醜くさをめぐるテーマ設定にも、それと犯罪行為の関わりにも多少なりとも共感する要素が全くなく、読んでていて気分が悪くなるような展開が続く。
酒寄氏がなぜこれを翻訳したのか、全く理解不能。
◎2018年3月12日『八甲田山
消された真実』伊藤薫
☆☆☆☆人災であることを丹念に検証しているが、印象は大きく変わらない
内容の詳細は他のレビューにあるとおりで、青森駐屯経験のある元自衛官の立場で丹念に事件の検証をしている点が、読み応えがある。
ただし、かつて読んで感動した新田次郎の著作とそれを元にした映画「八甲田山」から受けた印象が大きく変わるわけではない。
何といってもこの事件が後世まで広く知られているのは新田次郎の著作と映画のおかげである。
新田次郎の著作の段階では、この著者が調べ得たような軍上層部の隠蔽工作や虚偽までは知りようがなかったのだから、限界があるのは当然だ。
それでも、青森5連隊の準備不足や現場指揮系統の乱れは新田の著作や映画にも十分描かれていて、遭難が人災であることが理解できた。
この著作では青森5連隊の演習計画自体が弘前31連隊に対抗するための急ごしらえの無謀なものであったこと、田茂木の村で「山の神の日」の警告を受けたとか案内を断ったというのが虚偽の風説であったらしいこと、最初に発見された後藤伍長の「みんな死んだ」という発言で救助活動が遺体捜索活動に変更されて救助が遅れたこと等の細部の事実が掘り起こされ、より過酷な事件の全体像がわかるようになった。
他方、弘前31連隊の八甲田踏破については著者の評価はやや厳しすぎるように感じる。
案内人を現地に依頼すること自体は、軍が未知の地へ赴く際にあり得ないことではなかろう。
また、青森5連隊の遭難と出会った後に案内人に口止めして密かに帰したことも、軍の機密という観点では理解できることだ。
◎2018年3月2日『許されざる者
(創元推理文庫)』レイフ・GW・ペーション
☆☆☆☆「目には目、歯に歯・・・」への懐疑
本書の表題「許されざる者」と各章の扉書きで引用される「目には目、歯に歯・・・」という同害報復の法理は本書の一貫したモチーフである。
時効が完成した少女殺害事件を引退した敏腕捜査官が解明していくストリーが前半で展開されるが、犯人は早い段階で特定され、後半はその犯人にどのような償いをさせられるかがテーマとして展開される。
スウェーデンは死刑廃止国であり、主人公の元捜査官も、自分の娘なら犯人を殺すだろうが信条としては死刑廃止支持だと明言している。
これに対し、被害者の父親は大富豪となって犯人を血眼に捜している。イラン出身という設定で、犯人がわかれば同害報復が実行されることが暗示されている。
主人公は犯人を追い詰めつつも、同害報復でない法の裁きを実現しようとするのだが・・・。
ただし、死刑廃止国でなく死刑支持者の多い日本では、この主人公の葛藤は理解しにくいかもしれない。
あと、この小説では主人公が脳梗塞と心臓疾患で倒れるところから始まり、患者の視点から身体の不具合と治療が詳しく語られる。関係者からの取材によるものだろうが、このような構成は珍しく、大変興味深かった。
なお、時効制度に関しては、日本では刑事訴訟法255条1項により犯人が海外にいる間は時効は停止する。この小説では犯人がタイに長期間逃亡しているが、同種の時効停止制度がないのかどうか解説で触れてほしかった。
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