2025年前半読書日記
【2025年前半】
◎2025年1月27日『女性たちの韓国近現代史』崔誠姫
☆☆☆☆韓国近現代史を女性史の観点で概観する 日韓関係とも深い関わり
朝鮮王朝(李氏朝鮮)の19世紀末の開国時代から、現代までの韓国・北朝鮮近現代史を女性史の観点で概観している。
その間には日本の植民地時代を含む日本と朝鮮半島の深い関わりも触れられており、現在のこじれた日韓関係、日朝関係を歴史的背景から考察する手がかりとなる。
韓流ドラマや時代劇を見ると、颯爽としたヒロインが男性と肩を並べて華々しく活躍しているが、実際には女性の社会的地位は低く、女子教育も大幅に出遅れていた。女子教育は西洋の宣教師らによって始められ、女子向けの近代学校の先駆の梨花学堂は現在の梨花女子大学の前身とのこと。
日本の植民地時代や戦後の混乱期、南北分断国家と朝鮮戦争、軍事独裁政権時代と朝鮮近現代史はまさに苦難と激動の時代だが、先駆的な女性の社会活動から独裁政権への抵抗運動まで韓国の女性たちが徐々に社会的地位を高めてきたことがよくわかる。
他方、混乱と激動の歴史の過程で、日本への移住だけでなく中国東北部(間島)やドイツへの出稼ぎ・移住した人も多く、その家族として多くの女性が移住しており、それがグローバルな展開の色彩を朝鮮近現代史と女性史に与えていることも興味深い。
韓国女性運動の成果を付記すると、1987年12月に「男女雇用平等法」が制定され、2001年には政府内に女性部(現「女性家族部」)が設置されたが、保守勢力の批判を受け、現在の尹錫悦大統領はその廃止を打ち出している。
また、議員の女性クオータ制度も2000年から導入されており、国会議員小選挙区及び地方自治体選挙の3割、比例代表の5割以上を女性候補者にすることなどが定められ、女性の政治進出を促進している。
◎2025年1月22日『スパルタ 古代ギリシアの神話と実像』長谷川岳男
☆☆☆「スパルタの幻影」Spartan mirage
アテナイと並び古代ギリシャのポリスの代表であるスパルタの歴史と、後世へのその影響をわかりやすくまとめた新書である。
ただ、近年の考古学的知見で従来のスパルタ観がどのように覆されたのかに興味があったが、幻影の部分が大きいという以上に新しいスパルタ観が提示されているわけではない。
そもそもスパルタ人自身が残した史料がほとんどない。
スパルタについて書かれた史料は、ヘロドトス、トゥキュディデスといった歴史家もプラトンやアリストテレス、クセノフォンなども皆アテナイ人だし、彼ら以上に後世に影響を与えたプルタルコスはローマ人である。
彼らが称える「リュクルゴスの改革」の集団主義の規律や質素な生活、土地の平等分配などは、アテナイ人やローマ人の観点から一面的に引用された可能性が高く(プラトンをはじめスパルタに関する著述を残したアテナイ人は貴族階級の寡頭制支持者でありアテナイの民主制には批判的だった)、しかも、本書によればスパルタ人自らがそうしたスパルタ・イメージを利用していたという。
結局、本書の意義は第7章の後世のスパルタ観にあり、スパルタ伝説の形成あるいはスパルタの「ブランド化」の歴史を描いたところであろう。
スパルタ伝説はすでに古代世界から始まり、「リュクルゴスの改革」はストア派の主張に近いという。その影響はプルタルコスを介して近代ではJ-J.ルソーの文明批判とスパルタ礼賛に至る。他方、スパルタの集団主義や規律への服従、生まれた子の選別といった伝説はナチズムに利用され、優生思想や人種主義、ユダヤ人排除につながる。
もう一つのスパルタ伝説であるペルシャ戦争のテルモピュライの戦い(レオニダス王以下300名のスパルタ兵が玉砕)は今も英雄伝説として繰り返し利用されており、近年を含め過去に3度も映画化されたというほどだ。しかし、著者によると、テルモピュライではスパルタ軍は裏切りによって包囲殲滅されたが、あと数日持ちこたえればペルシャ軍が大軍の兵站を維持できなくなったはずだという。最初から玉砕覚悟で出陣したわけではなかったのである。
いずれにせよ、玉砕を美化するような伝説は困りものである。
著者は、スパルタ伝説の意義を同質的な価値観による社会の安定(「エウノミア」)に求めているようだが、はたしてどうだろうか?
◎2025年1月20日『ベートーヴェン《第九》の世界』小宮正安
☆☆☆「第九」の成立史と演奏史は興味深いが・・・
あの第九交響曲について、第4楽章の歌詞がシラーの「歓喜に寄す」の元の詩からどう変容したかを詳細に解説し、その演奏史と受容史について概説している。
著者によると、シラーの元の詩はフランス革命より前の1785年に印刷され、ベートーヴェンは1792年ころにはこの詩に曲を付ける構想を抱いていたという。元の詩は「疾風怒濤 Sturm und Drang」時代の革命を希求する激烈な内容であったが、フランス革命とナポレオン時代の終焉を経て、シラー自身が激烈さを抑えて改訂し、第九交響曲はその改訂版によるものとなった。第九の歌詞が友愛と平和を希求するものとなっているのはそのためである。
著者は、シラーの詩と第9の歌詞を原文を含め全文引用してその異同を対比しているが、できればポイントを小さくしても上下対比形式にして見やすくしてもらいたかった。
演奏史では、ウィーンの初演時に合唱団を舞台下に配してその前でベートーヴェンが指揮をし、オケはコンマスが指揮したというのが興味深い。ベートーヴェンは全聾ではなく指揮をしており、拍手が聞こえなかったというエピソードは秘書シンドラーの創作だったという。
こうした第九の歌詞の成立史と、第1楽章から第4楽章までの音楽的構造分析は興味深く、第9を聞く上でも参考になるのだが、その他の解説がシニカルにすぎるように感じる。
あとがきを見ると、著者は「努力と闘いの人」というベートーヴェンのイメージに疑問を呈し、本文中でも「孤高の芸術家」であるとか「宗教嫌い」といったイメージを挙げて否定していくのだが、そもそも提示されたイメージが著者の思い込みとしか思えない。また、著者はベートーヴェンが共和主義者ではなく啓蒙君主制支持者だったと再三指摘するが、これには何の根拠も示されていない。
しかし、ベートーヴェンは、王侯貴族をパトロンとした時代の芸術家と異なり、フリーのプロフェッショナルの草分けである。フリーのプロである以上、自らの思想信条や政治的立場と異なる依頼者からの依頼も受け、営業上必要な場合は王侯貴族へ曲の献呈もする(第九もそうだった)。これは現代の芸術家も同じである。「孤高」だけでフリーのプロは生きていけないし、王侯貴族の依頼を受けたからといって共和主義者でないとはいえない。
また、「宗教嫌い」に至ってはさらに不可解な主張であり、神をたたえる歌曲や荘厳ミサ曲、さらには第九の「星空の彼方に父がいる」(カント的である)という歌詞からも宗教否定でないことが明らかである。
受容史については、ワーグナーからナチス、さらにはECの「喜びの賛歌」やベルリンの壁崩壊時の演奏会などが概観され、日本における「うたごえ運動」や「年末の第九」に至る受容史についても触れられている。
著者もいうように、歌詞があるがゆえに様々な「俺様の第九」解釈がなされてきたわけだが、それを言うならオペラの現代演出はもっとひどいだろう。ワーグナーの楽劇の奇抜な演出はいうまでもないが、数年前に新国立劇場で見た「フィデリオ」(カタリーナ・ワーグナー演出)に至っては、レオノーレによって牢獄から救出されるはずのフロレスタンが獄吏の奸計によって殺されるという原作と逆の帰結となっていて、全く理解できなかった。
なお、ベルリンの壁崩壊時にバーンスタインの指揮で演奏された第九が「Freude」(喜び)を「Freiheit」(自由)に置き換えて演奏されたことを著者は批判しているが、当時の時代状況からは全く違和感のない置き換えであり、感動的な演奏だったと私は記憶している。本書でも、「ドイツ語で“Fr...”で始まる言葉を探すと、Freiheit=自由、Freund=友、Freundschaft=友情、Frieden=平和といった・・・希望を与える単語がいくつも存在する」と書いている。FreudeとFreiheitは頭韻が同じで意味上も縁語にあたるといえるのではないか。
◎2025年1月17日『新訳 モンテ・クリスト伯
5』アレクサンドル・デュマ
☆☆☆☆☆名作を時代背景とディテールにこだわって読む(5) 「待て、そして希望せよ!」
長編小説の最終巻である第5巻は、復讐のクライマックスとその後の人々の運命が描かれる。
第4巻ではモルセール伯爵(フェルナン)への復讐がなされたが、本巻ではヴィルフォール検事とダングラールへの復讐が、前巻までに準備された緻密な計画の下に実行されていく。
モンテ・クリスト伯爵の復讐の作法は、自らの受けた陰謀への直接的な報復ではなく、三者三様の他の悪事や失敗で没落させるというやり方なので、彼らはなぜ自分たちが憂き目を見るのかわからない。そこで、最後に伯爵は(水戸黄門が印籠を示すように)自らの正体を明かして復讐のカタルシスに達するのである。
しかし、このような手の込んだ(脱獄後10年の準備期間!)復讐劇の頂点に達したとき、特に無辜の家族を巻き込んだ悲劇となったことで、伯爵は悔恨と復讐自体への疑問を感じてしまう。そこで、伯爵は再びイフ島の監獄跡(1830年の7月革命で監獄は廃止されて観光地となっている)を訪れて、かつての記憶を呼び起こし、復讐への思いを更新する。このあたりの伯爵の人間らしい動揺を描くところが、19世紀の大作家によるロマンたるゆえんだろう。
作品全体を通じて、主人公を取り巻く様々な人々がその人物像や行動を生き生きと描き分けられており、それが作品の大きな魅力となっているが、本巻で注目したのは女性像である。中でもダングラールの娘ウジェニーは自由意思を持った自立心の強い女性として突出しており、父親の破産の危機や婚約相手のスキャンダルもものともせずに同性の愛人とベルギーへ旅立っていく。これに対し、マクシミリアンが熱愛するヴァランティーヌは自己主張の弱い従順な女性であり、メルセデスも母としては強い意思を発揮したが女性像としてはやはり「弱き者」である。ウジェニーのような現代的ともいえる女性像を描いたデュマに感服する。
なお、秘薬で仮死状態となった恋人が死んだと絶望して自らも死を願うというモチーフは、いうまでもなく『ロミオとジュリエット』から借りたものだろう。しかし、シェークスピアの時代ならともかく、19世紀の科学水準では不自然さを免れない。
大作の最後は伯爵がマクシミリアン・モレルに宛てた手紙の言葉で締めくくられるが、本書では「待つことを知り、希望せよ!」と訳されている。私が子どものころに読んだ少年少女文学全集版では「待て、そして希望せよ」だったと記憶している。原文は«Attendre et espérer !»(英訳は“Wait and hope”)であり、後者の訳に近いのだが、この言葉の直前の文章は「人間の知恵のすべてはこの2語の中にある」(原文を直訳)だから、「待て」と「希望せよ」の2語は前後関係でなく並列関係だろう。
苦難を乗り越えた主人公の人生を踏まえ、「希望を失わずに待つこと」の重要性を作家は強調しているのである。
◎2025年1月15日『新訳 モンテ・クリスト伯
4』アレクサンドル・デュマ
☆☆☆☆☆名作を時代背景とディテールにこだわって読む(4) 貴族の名誉と決闘
第4巻はいよいよモンテ・クリスト伯爵の復讐が開始される。
第3巻ではヴィルフォール検事がオトゥイユの伯爵の別荘で過去の悪事に心胆寒からしめる思いをさせられたが、第4巻ではダングラールが蜘蛛の巣のように張り巡らされた罠にかかっていく。
しかし、なんといっても本巻のハイライトはモルセール伯爵の旧悪の劇的な暴露と、父の名誉を毀損されたモルセール子爵の起こす決闘騒ぎだろう。
当時は貴族の習慣として決闘はまだ残っていて、モルセール子爵は最初は新聞記事を載せたボーシャンに対し、次に暴露の張本人と判明したモンテ・クリスト伯爵に対して決闘を申し入れる。
ボーシャンの態度は、記事の事実調査をまずした上で決闘に応じるというもので、市民社会で自立しつつあったジャーナリストの矜持を感じさせるものだ。
モンテ・クリスト伯爵は決闘申し入れを予期していたかのように平然と受諾し、子爵を殺すことを宣言する。これはモルセール伯爵への復讐計画の一環だったのだろう。オペラ座で手袋を投げつける場面や介添人と武器を指定してヴァンセンヌの森へ赴く場面は印象的だ。
決闘の結果については書かないが、ここでは万能かつ冷徹な復讐者としてのモンテ・クリスト伯爵が見せる人間的な弱みが描かれる。「死んだものとばかり思っていた心」がかつての恋人メルセデスの声で呼び覚まされたわけだが、ここでは「弱き者、汝の名は女」と嘆かれた女性が復讐者の冷酷な心に打ち勝つことになる。
同様に、法の冷徹な体現者であるはずのヴィルフォール検事もまた、医師から娘が毒殺者だと告発されて激しく動揺する場面が描かれる。
両者の人間的な感情の揺れが描かれ、19世紀ロマンはいよいよ佳境に入る。
◎2025年1月13日『新訳 モンテ・クリスト伯
3』アレクサンドル・デュマ
☆☆☆☆☆名作を時代背景とディテールにこだわって読む(3) オトゥイユの別荘をめぐる策謀など
第3巻では、モンテ・クリスト伯爵が復讐の策謀を張り巡らせる仕掛けと、ダングラール、ヴィルフォール、モルセールといった敵との間の皮肉と挑発に満ちた会話が見所である。
とりわけ、パリ近郊のオトゥイユ(Auteuil 「オートゥイユ」と表記すべきか)に伯爵が購入した別荘がヴィルフォールたちの過去の罪悪とつながる重要な舞台として描かれ、因縁のある関係者が集う小説的な企みになっている。
なお、ヴィルフォールの探索に対して伯爵が神父やイギリス人に変装して対応する場面は、まるで怪人20面相のようで笑えた。
時代風俗としては優れた馬への執着が現代の高級車指向を連想させるが、毒物学への伯爵の詳細なこだわりと説明はデュマの関心と重なるのだろうか。第2巻でフランツが伯爵のハッシシで幻覚を見る場面があったが、アヘンによる幻覚が描かれるベルリオーズの幻想交響曲(1830年)もこの時代であることを考えると、毒物学への興味が高まった時代なのかもしれない。
中でも私が面白かったのはオペラ座の観劇風景で、当時の貴族たちは観劇を社交の場としていて、オペラが始まっても自分たちのボックス席で談笑していた。本書ではマイア・ベーアの『悪魔のロベール』の上演が描かれるが、第1幕が始まっても会場はほとんど空席で、ドアの開け閉めやざわめきしか聞こえない。しかし、いつまでも会話をやめない青年貴族たちに対し、平土間の観客から「うるさい」と再三注意がなされる場面も描かれている。平土間の観客は当時増えつつあったブルジョアジーの音楽愛好家たちと思われ、オペラ観劇スタイルの移り変わりの時期だったことを感じさせる。
◎2025年1月9日『新訳 モンテ・クリスト伯
2』アレクサンドル・デュマ
☆☆☆☆☆名作を時代背景とディテールにこだわって読む(2) ローマの謝肉祭は圧巻
第2巻では、イフ島監獄を脱出し巨万の財宝を得たダンテスが、いよいよモンテ・クリスト伯爵として登場する。
ただし、第1巻のダンテスと異なり、モンテ・クリスト伯爵は金に糸目を付けない大富豪であるとともに、知識が豊富で多国語に通じ、芸術にも通暁している一流の紳士かと思えば、盗賊や密売人を手足のように使うという、いわば万能の存在であり、はっきり言って人物造型としては面白みに欠ける。小説の読み方としては、伯爵は『源氏物語』の主人公光源氏のような狂言回しの役割を果たしており、ナポレオン後の反動と激動の時代、そしてそこで生きた人々を照らし出すための存在と見るべきなのかもしれない。
その意味では、いかにも青年貴族らしく遊ぶフランツやモルセール、金に目がくらんで自滅するカドルッス、コルシカ人らしい復讐(バンデッタ)の後にモンテ・クリスト伯爵に仕えるベルトゥチオ、『ガリア戦記』を読みふける盗賊ルイジ・ヴァンパといった多様な人物の生き生きとした描写が面白い。
しかし、この第2巻ではなんといってもローマの謝肉祭の描写が圧巻である。著者デュマ自身がイタリアに5,6年滞在したと書いているから、著者自身が見聞した謝肉祭が描かれているのであろう。実は、私自身もミレニアムのカトリック信者たちのローマ大行進にたまたま居合わせたが、大変な賑わいだった。デュマの見た謝肉祭はその数倍もにぎやかな喧噪だったと思われる。
しかも、本書の謝肉祭では、その開幕にあわせて罪人の死刑執行が行われ、モンテ・クリスト伯爵がモルセール子爵らとそれを見物しており、当時の死刑が大衆の見せ物とされていたことがよくわかる(アルベール・カミュがギロチン刑を見たことを書いていたのを想起する)。それにしても、ここで描かれる撲殺刑はすさまじく、モルセール子爵らは目を背けるが、伯爵は「何年もあなたに精神的な苦しみをもたらした者がほんの数秒肉体的な痛みを感じたというだけで充分だと?」という冷酷な言葉を残す。もちろんこれは子爵の父たちへの復讐を予告するものだ。
伯爵のこうしたニヒルともいえる世界観は次の言葉にも示される。
「社会主義者、進歩主義者、人道主義者のみなさんには奇異に思われるかもしれません。わたしはけっして同胞に関心を抱くことはありません。わたしを保護してくれない、さらに言えばだいたいはわたしを害するためにしか、わたしに関心をもたない社会を保護することもけっしてないでしょう。」
ダンテスが当時の社会によって投獄され、モンテ・クリスト伯爵として支配階層にいる相手への復讐をめざす以上当然の言葉なのだが、その響きは人道主義や理想主義と一線を画した19世紀の虚無主義者や無政府主義者に通じるものがある。
◎2025年1月5日『新訳 モンテ・クリスト伯
1』アレクサンドル・デュマ
☆☆☆☆☆名作を時代背景とディテールにこだわって読む(1)
子どものころ、少年少女文学全集版で何度も繰り返して読んだのでストーリーはよく知っているが、改めてこの大作をディテールにこだわって読むことにした。
まずに気づくのは、ナポレオン没落直後の時代背景である。特に、この第1巻ではエルバ島に幽閉されていたナポレオンが、エルバ島を脱してパリに進軍し、100日天下の後にワーテルローで敗戦する激動の時代と重なっている。そして、主人公のエドモン・ダンテスが陰謀で告発されるのはまさにエルバ島のナポレオンに面会し、手紙を託されたことに起因しているのである。他の登場人物にもボナパルト派と王党派の対立が陰影を落としている(特に、ヴィルフォール検事とその父親の関係など)。
ちなみに、ナポレオンに従軍したスタンダールは王政復古の沈滞した時代を背景に『赤と黒』や『パルムの僧院』を書いたが、A・デュマはスタンダールより少し下の世代に属する。
次に、牢獄でダンテスがファリア神父から託される「スパダの財宝」の由来には、あのルネサンス時代の教皇アレクサンデル6世とその息子チェーザレ・ボルジアが絡んでいたとされる。ファリア神父もまた、マキアベリやチェーザレと同じくイタリア統一を夢見ていたという。
ダンテスの投獄については、ヴィルフォール検事の個人的な思惑によって予審も公判もなく行われており、ダンテス自身が「裁判を受けさせてほしい」と獄舎で再三求めている。この時代の政治犯の扱いとしてはあり得たのだろうが、やはり裁判を受ける権利の重要性を痛感させる。
なお、ダンテスが14年間囚人として過ごしたイフ島監獄(イフ城 Château d'If)は、現在ではマルセイユ観光の1つの目玉となっている。私もマルセイユ港から船で訪れたが、ミラボーなどの著名政治犯とともに、なんと「エドモン・ダンテスの部屋」、「ファリア神父の部屋」まで展示してある(もちろん観光用である)。
◎2025年1月2日『一場の夢と消え』松井今朝子
☆☆☆☆☆近松の生涯と元禄演劇史を生き生きと描き出す
近松門左衛門(本書では本名の杉森信盛から「信盛」として語られる)の生涯を描いた作品である。
著者の本は歌舞伎を題材にした『壺中の回廊』(レビュー済み)などを読んだが、歌舞伎よりも馴染みの薄い浄瑠璃(文楽)の大作者である近松については、『曽根崎心中』や『国性爺合戦』などの著名作品、あるいは歌舞伎に翻案された『女殺し油地獄』などしか知らなかった。
本書は近松の生涯だけでなく、元禄時代の上方演劇について、坂田藤十郎らの歌舞伎役者、竹本義太夫らの浄瑠璃語り、さらに興業主らの活動も生き生きと描き出しており、歌舞伎や浄瑠璃の当時の隆盛がよくわかる。
近松が町人ではなく武家出身というのは意外だったが、浄瑠璃作者や歌舞伎作者としての活動は興業主や俳優、浄瑠璃語りと二人三脚であり、作者と脚本家、演出家を兼ねていたようだ。
近松といえば『曽根崎心中』や『心中天網島』といった心中ものを連想するが、これらは大阪の商家や遊里を舞台にして実際に起きた事件をホットなうちに演劇に仕立てた時事ネタだったとのこと。時代の生きづらさと人情の相克を描き出し、興業としては大評判を博するが、本来は時代ものの付録のように演じられ、徳川吉宗の享保の改革で心中ものは禁止されるに至る。
浄瑠璃の作法としては、竹本義太夫との対話などで近松が強調する、音調のよい七五調や五七調に流れず、「浄瑠璃は大切な文句を決して聞き流されぬよう、多少調子を崩しても、そこはしっかりと語らねばならぬ」という指摘が興味深かった。幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎作者河竹黙阿弥の有名な七五調などとは作法が違うのだろうか。あるいは、浄瑠璃と歌舞伎のドラマツルギーの違いなのか。
改めて近松物の浄瑠璃を義太夫語りで聞いてみたくなった。
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