【2024年前半】 


◎2024年6月21日『鼓動 P分署捜査班』 マウリツィオ・デ・ジョバンニ 

  

◎2024年6月24日『テラ・アルタの憎悪』ハビエル セルカス

☆☆☆☆スペイン近現代史を背景としたミステリーだが、警察小説としては疑問が残る

 原題は「テラ・アルタ」。これはバルセロナのあるカタルーニャ州最南西の僻地とのこと。

カタルーニャ州といえば、数年前にスペインからの独立投票をめぐって大きなニュースとなったが、本書でも警察内に「独立派」と「スペイン主義者」がいたり、当時のプチデモン州首相が登場したりして、ホットな話題となっている。

また、この地は20世紀前半にはスペイン内戦の舞台ともなり、共和派とフランコ派の血で血を洗う戦争の記憶が語り継がれている。

実は、こうしたスペイン近現代史がミステリーの重要な背景となっている。

 

このテラ・アルタの支配的実業家夫婦の惨殺事件がミステリーを紡ぐ縦糸なのだが、犯人も惨殺の動機も最後に明らかにされるまで推理の手がかりさえ見えない。ミステリーの企みといえば巧みではあるが、やや不親切か。

他方、実業家惨殺事件と並行して、主人公の刑事の物語が語られるが、著者はここでヴィクトル・ユゴーのあの『レ・ミゼラブル』を重要なライトモチーフとして用いている。

主人公はジャンバルジャンのような生い立ちながら、敵役のジャベール警部に心酔して刑事を目指すという意表を突く設定だが、これは正義を徹底的に貫こうとして挫折する若者を通じて、正義とは何かを問題にする意図であろう。実際、最後に主人公はジャベール崇拝を捨てる。

 

警察小説としては、捜査会議などのディテールが丁寧に描かれているのが素晴らしいが、他方で、重大事件とはいえ現職の刑事が法を犯した捜査に踏み込んでしまい、それが露見しても注意程度で黙認されてしまうのは、やはり疑問である。上司の言葉どおり正義にはその形式、すなわち手続的正義も不可欠であり、違法捜査で得られた証拠は裁判で証拠能力が否定されるからだ。適正手続の枠内で刑事たちが苦労しながら証拠を積み上げていくのが警察小説の醍醐味ではなかろうか。

 

なお、主人公の母親殺害事件の犯人と、主人公を少年時代から庇護し続ける刑事弁護士の正体は謎のままだが、本書は3部作の第1作ということであり、今後明らかにされるのだろう。

『レ・ミゼラブル』のような19世紀的大ロマンの復権を期待したい。



◎2024年6月21日『鼓動 P分署捜査班』マウリツィオ・デ・ジョバンニ 

☆☆☆☆原題は「仔犬」=危機に瀕した幼きもの

 このP分署シリーズ(原題は『ピッツァファルコーネ署のろくでなしたち』シリーズ)はすべて読んでいるが、いずれもナポリの繁華街と下町を舞台とした軽妙なミステリーである。
 ミステリーとしては、これまでのシリーズ同様、複数の事件を並行して走らせる構成であり、P分署のゴミ置き場に捨てられていた新生児をめぐる物語と、行方不明になった仔犬や猫といった小動物をめぐる物語が交錯して語られる。
 実は、本書の原題は“CUCCIOLI”(仔犬)なのだが、この言葉には上記の新生児と仔犬を重ね合わせて「危機に瀕した幼きもの」という含意があるようだ。さらにいえば、新生児の母親であるウクライナ移民などの東欧からの移民も社会的弱者として含意されているのだろう。

 とはいえ、こうしたミステリーの展開よりも、不祥事で取り潰しの危機にあるP分署と寄せ集められた個性的な刑事たちの生き様のほうが本書の主題であり、各人各様の家庭問題や恋愛問題が深刻な展開を見せている。複数の事件が展開することに加え、日本人には紛らわしい名前の登場人物が多く、注意しないと誰のことかわからなくなってしまう。
 また、所々に一人称の語りが挿入されているのも唐突感があり、犯人の言葉なのか著者の言葉なのか戸惑う。

 なお、訳者は英米文学翻訳家とのことだが、本書は英語訳からの重訳ということか?



◎2024年6月8日『来迎芸術 (法蔵館文庫)』大串純夫

☆☆☆☆名著復刊だが、画像がカラーでない

1983年に出版された本の復刊であるが、論文自体は1940年から1954年までに書かれたものである。内容は日本仏教美術における「来迎芸術」の意義をわかりやすく論じたものが中心で、様々な阿弥陀来迎図の意味が各作品に即して具体的に示されている。


来迎芸術の源泉となったのは言うまでもなく恵心僧都源信の『往生要集』である。

源信は「観念念仏」(文字通り仏を念ずること)を重視し、

「昼も夜も、五感を通じて、弥陀の姿や浄土の有様や来迎の光景を幻想しつづけると、臨終の時が来て身心の恍惚とした瞬間に、日ごろの幻想がわが身を包み、われわれは永遠に弥陀の楽土に生きることができる」

というが、これは極めて感覚的芸術的であり、「耽美的生活に明け暮れる藤原貴族にはもってこいの教え」だったと著者はいう。

そして、こうしたビジュアルな教説が絵画や彫刻のみならず、来迎を演劇的パフォーマンスとした「迎講」(むかえこう)を生み出し、それが来迎図にも反映しているという。

著者の引用する『阿弥陀二五菩薩来迎図』(新知恩院)には、菩薩たちの驚くべきにぎやかな乱舞が描かれているが、これが実際に演じられた来迎劇だとすれば納得である。

また、巨大な阿弥陀仏が山の向こうから来迎する「山越阿弥陀図」について、著者は、比叡山を中心に毎月十五日に営まれた菩提講や迎講に起因し、阿弥陀を満月に擬したものだとするが、これも卓見であろう。


ただ、せっかくの日本美術史・宗教史の名著復刊なのだから、復刊にあたり20点に及ぶ図版のカラー化を電子版だけでもしてもらいたかった。

しかも、電子版では著作権の関係で表示されない図版が数点ある。これは出版社としてあまりにお粗末ではないか。

 

 

◎2024年6月8日『往生要集入門 悲しき者の救い』石田瑞麿

☆☆☆☆観想念仏から称名念仏へ 浄土思想における平安から鎌倉への架橋

日本人の地獄極楽観を基礎づけたとされる源信『往生要集』の古典的解説である。

これが法然と親鸞を経て鎌倉仏教の興隆につながる。

 

まず、なんといっても絵図のようにリアルに描かれた地獄である。

源信は地獄の焦点を「八熱地獄」と呼ばれる、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄に分類し、それぞれの地獄にはさらに様々な小地獄が付属し、どのような罪業の人がそこに割り当てられるのかが解説される。

すぐに想起されるのはダンテの『神曲』地獄編であり、著者もその比較をしているが、著者自身が断っているように『神曲』は文学作品であり、宗教者である源信の『往生要集』とは作者の意図がまるで異なる。ダンテは詩人にして政治家であり、地獄の各圏の劫罰よりもそこにいる人々(著名人の実名が挙げられる)を描くことに関心がある。ただし、両者の描く劫罰や罪業の割り当ての異同を比較するのは興味深い。例えば、地獄の亡者が業火に焼かれた後で復活して同じ劫罰を繰り返し受ける点は両者とも同じである。また、著者はダンテがマホメットを地獄の最下圏に割り当てたのを異教徒だからとしているが、ダンテは宗教的「分派分裂」の罪と書いている(イスラムはキリスト教の分派と見る)。源信もまた「教団の一致和合を破壊して分裂を起こさせる」罪を重罪としているから、価値判断は似通っている。

 

ただし、著者によるとこうした地獄も鬼もどこかに実在するのではなく、自らの罪業を投影した幻なのだという。実は、地獄は現実とそのまま接続した世界であり、「今歩いている道がそのまま地獄に通じている」。これは地獄が実在するよりも恐ろしいことかもしれない・・・(ならば、極楽浄土も救済願望の投影か?)。

 

では、こうした地獄を免れて極楽浄土に往生するためにはどうすればよいか。

それが「念仏」なのであるが、源信の説く念仏は後の法然や親鸞が説いたシンプルに唱えるだけの称名念仏ではなく、むしろ「観想」が重視されたという。

観想とは仏を見ること、仏を想念することである。本書では、仏の頭のてっぺんから相貌、衣服、足の先、さらには蓮華座まで順々に繰り返し思い浮かべて、そのありがたみを感じるという観想の業が詳しく紹介されている。藤原頼道の建てた平等院鳳凰堂の阿弥陀仏(定朝作)など多数の阿弥陀仏はまさにそうした観想のよすがなのであろう。

ただ、こうした観想を念仏三昧することは、煩悩の世界に生きる一般人(「罪悪人」)には困難であるから、源信は下品(げぼん)でも浄土に往生できる称名を重視し、かつ称名が心から実行できるように信者仲間による念仏結社を勧める。とりわけ臨終の際に「十念」が唱えられるよう励まし合うのだという。持仏堂に籠もって観想する貴族的念仏ではなく、弱き者らが力を寄せ合う称名念仏の原型が示されている。

 

なお、「阿弥陀仏」とはサンスクリット語で無量を意味する「アミタ」に由来し、無限の寿命(無量寿)と無限の光(無量光)を徳とする仏であり、いわば一神教の全知全能の神のようなものか。その無量の仏の力で浄土へ救済されるというのが浄土思想の特色といえる。


 

◎2024年5月27日『密航のち洗濯 ときどき作家』宋恵媛他

☆☆☆☆☆「密航」の不条理、それは今に至る入管行政のルーツ

日本の植民地下の朝鮮半島で生まれ、1924年からはほぼ日本で在日朝鮮・韓国人として生きた作家尹紫遠(ユンジャウォン)とその家族の物語である。

ファミリーヒストリーではあるが、その焦点は戦後の在日朝鮮・韓国人をめぐる入管行政の不条理、非情な国籍の扱いに当てられている。

 

戦前の日本植民地時代、朝鮮半島の人々は日本国籍を有する者として日本と朝鮮半島を自由に行き来できた。ところが、敗戦により朝鮮半島が独立し米軍の占領が始まると、自由な往来は不可能になり「密航」を余儀なくされる。朝鮮半島からの密入国者数は1946年で約22132人、そのうち98%が朝鮮・韓国人であり、この密航の太い流れは日韓条約が締結された1965年まで続いたという。日本の敗戦と南北分断、朝鮮戦争という混乱と激動が「密航」の形式を取った日本への移住の流れとなったことは想像に難くない。

本書でも、徴用を逃れて帰国し日本の敗戦を迎えた尹紫遠は、再び来日するのに密航という方法をとらざるを得なかった。

密航である以上その取り締まりは厳しく、その多くは見つかって収容所に送られ、強制送還される。本書では当時の仙崎とその後の大村収容所が描かれているが、収容者は韓国・北朝鮮が受け入れを拒否していたため何年も収容され続けた。これは現代の入管行政に続く行政的拘束の問題である。刑罰としての懲役や禁固であれば憲法と刑事訴訟法が定める厳格な司法手続によらなければ身柄拘束できないのに、入管行政ではいとも容易に何年もの無期限収容がなされてしまう。不条理そのものである。

特に、戦前は同じ日本人として扱われていた在日の人々に対する戦後の日本国家の処遇は、文字通り「手のひらを返す」ような非情なものであり、1952年のサンフランシスコ条約発効と同時に施行された外国人登録法により在日の人々は一方的に日本国籍を喪失させられた。

 

本書では尹紫遠とその家族が日本国籍がない故に医療や年金、就職等のあらゆる面で不利益と差別を受け、まさに赤貧を洗うような生活を強いられたことが描かれている(尹紫遠は作家であるにもかかわらず最後に入院するまで自らの部屋を持てなかったという)。

差別と貧困に苦しんだ尹紫遠の短歌を二つ紹介しておく。

「わがことをにんじんにんにくと 眞顔にてののしりし人を忘れざるべし

 やうやくに職につきしが せんじんといふただそれだけで追はれしことあり」

 

なお、尹紫遠の日本人の妻(大津登志子)は上流階級の出身でありながら尹紫遠と結婚して日本国籍を失い、親族の援助も受けられず、売血さえして尹紫遠一家を支えた。民族差別に加えジェンダー差別も受けた壮絶な登志子の生き様も興味深いのだが、残念ながら記録がなかったようだ。唯一、東村山市の国立ハンセン病療養所多磨全生園で入所者を支援するボランティア活動していたことが記されているが、ハンセン病患者の強制隔離と差別の被害は在日の人々の置かれた立場に通じるものがある。登志子は社会活動に積極的で正義感の強い女性だったのだろう。


 

◎2024年5月20日『ハルビン』キム・フン

☆☆☆☆☆「弱肉強食 風塵時代」

この言葉は死刑囚安重根が獄吏に頼まれて墨書した言葉だという。

大日本帝国の保護国となっていた韓国の誇り高き青年が、自らの命を賭して時代に抗った気骨を感じさせる。

 

韓国統監を辞して枢密院議長に就いていた伊藤博文がハルビンで安重根に暗殺されたことは、誰もが日本史で学ぶが、事件の詳細な経緯や安重根の人物像は日本ではほとんど知られていない。

本書は、歴史小説の形式を取りつつ、伊藤と安重根のそれぞれの立場から事件の経緯を複眼的に描いたものであり、植民地支配を強めていく日本を体現する存在としての伊藤に対し、安重根が殺意を抱いてそれを実行に移していく過程が緊迫した筆致で描かれている。

 

本書の後半では、事件後の捜査と裁判の経過が詳細に記載されている。

安重根は、後の治安維持法時代のような過酷な拷問を受けることもなく、政治犯として丁重に遇されたようだ。旅順での裁判は各国の注視の下で行われ、日本政府としては開明的な印象を与えようとしたのであろう。

公判で検察側は安重根の犯行を無知と誤解によるものと描こうとしたが、安重根は死刑を覚悟して「東洋平和」をめざす自らの主張を堂々と展開した。

 

なお、蓮池薫氏の訳文は原文の叙情的香りを十分伝えている。

安重根が死刑囚となった後の、哀愁に満ちた晩秋の故郷の描写を引用する。

「黄海道の山村に冬の訪れを知らせるのは、風に落ち葉が追われる音と夜の暗闇へ響く砧の音だった。張り詰めた冷たい空気のなか、音は遠くまで聞こえていく。落ち葉は乾燥した音でざわつき、砧の音はこの家からあの家へとリレーのように引き継がれていく。村の端までいって止まった砧の音は、どの家からか再び響き始め、隣家に引き継がれ、村中へと広がっていった。犬たちも合わせるかのように吠えた。大きな犬は低く、小さな犬は高く鋭く、鳴き声を上げた。」


(追記)

 安重根はカトリック信徒であり、本書では安重根の行為を阻止しようとするウィリアム神父との対話が描かれるが、死刑囚となった後の神父との面会では反省を迫る神父に安重根がどのような告解をしたのかがあえて記されていない。

 著者の後記では、1993年に韓国カトリック教会が安重根の行為を「義挙」として名誉回復したことが記されているが、戦争とはいえ殺人を教会が正当としてしまう政治性に疑問を感じる。


  

◎2024年5月17日『韓国社会運動のダイナミズム』三浦まり・金美珍(編集)

☆☆☆☆市民の連帯が政治を変える

慰安婦問題や徴用工問題など、日韓関係ではネガティブな印象がある韓国の市民運動だが、あのキャンドルデモのパワーと機敏な行動力、そしてそれが政権交代の原動力になる韓国政治のダイナミズムには感心させられてきた。

本書では1980年代以前の軍事独裁政権時代のことも触れられているが(必読である)、私自身、朴正熙大統領時代の民青学連事件(1974年)で8名が死刑執行されたとか、金大中氏の拉致事件、全斗煥大統領時代の光州事件(1980年 映画『タクシー運転手』で描かれている)などの過酷な弾圧の印象が強い。この軍事独裁政権を打倒した民主革命の運動がその後の市民運動の力となったわけだが、現在の市民運動は民主化世代から交代しつつあるという。

 

本書は2020年から2022年までに行われたシンポジウムの報告に基づくもので、①女性/性暴力、②移民/外国人労働者、③自治体への市民参加、④エッセンシャル・ワーカー、⑤ベーシックインカム論争の5つのテーマから、韓国の社会運動を理解しようするものである。

このうち、日本との違いが際立つものとして私が興味深かったのは②と③である。

 

②の外国人労働者問題については、かつては韓国も日本の技能実習生のような(いわば偽装的な)受け入れをしていたが、2004年から「雇用許可制」で外国人労働力の受け入れを認めるようになったという。

本書では、雇用許可制で社会の多様性が増大し、労使ともに満足度が高いといった制度を評価する報告と、これが事業場の移動禁止を原則としていることが職業選択の自由を侵害し、現代版奴隷制になっているという批判的報告の両者が掲載されている。

ただ、この両者ともに移民受け入れ推進を前提としており、韓国内には移民反対派は極少数とのことである。外国人労働者の権利をどう保護するかが焦点となっている点で、同様の問題を抱える日本よりもずっと先を行っている感がある。

 

③の自治体への市民参加については、朴槿恵政権を打倒した市民運動の力が「協治」と呼ばれる民と官の協働ガバナンスを推進し、ソウル市をはじめとして全国の自治体で採用されているという。

報告ではソウル市の「マウル共同体事業」が紹介されているが、いわば町内会ごとにコミュニティの連帯と助け合いを市の援助で推進するということであろうか。具体例がわからないので実感できないが、直接民主主義の実践としてのコミュニティづくりという意義があるのだろう。

 

韓国市民運動の日本への示唆として、終章では、「韓国の社会運動を支える価値観として、新自由主義がもたらす効率至上主義と、その個人への浸透による能力主義・自己責任の内面化がもたらす分断と孤立、弱者排除を問い直す視座が通底している」と指摘している。

文在寅政権から現在の保守政権に移行した後、こうした市民運動やコミュニティづくりの試みには逆流が起きているというが、いわば直接民主主義の実験としての学ぶべきものが多く、引き続き注目が必要である。


 

◎2024年5月13日『ある晴れたXデイに カシュニッツ短編傑作選』マリー・ルイーゼ・カシュニッツ

☆☆☆☆☆日常性の裂け目にあらわれる非日常と狂気

『その昔、N市では』(レビュー済み)に続く酒寄氏訳カシュニッツ短編集である。

前著ではオカルト的あるいはSF的な作品もあったが、本書の短編はそうした超常的要素はほとんどなく、いわば日常性の中にあらわれる非日常、さらには狂気を描く心理劇的作品が多い。

 

私が印象に残ったものを挙げる。

『作家』 有名作家が創作意欲をなくして転職を考える。その意図を妻に隠して転職活動をするのだが、著者自身が作家であるためか、ユーモアの中にも鬼気迫るリアルさがある。

『いつかあるとき』 本書随一の傑作ではないか。孤独死した女性画家の遺産目録づくりに訪れた主人公が膨大な自画像を整理しているうちに亡くなった画家に魅入られてしまう。平凡な生活を打ち破る「ティンパニの一撃」が主人公の運命をどう変えるのか・・・。

『結婚式の客』 1946年ころの作とされるが、敗戦直後のドイツの混乱した状況を背景に、ドイツ東部に戻れなくなった男がアメリカに渡航しようとして苦難の旅を続ける。いわば非日常が日常となった逆転した世界の中で、旅先の人とのふれあいの中で人間的な日常性が顔を出す。

 

なお、近代人の日常生活の中の非日常への憧れ、あるいは狂気の発現を描いた作品として、私はボードレールの散文詩『パリの憂鬱』を連想した。



◎2024年5月9日『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』マイケル・ヘラー他

☆☆☆☆☆財産権を調整してよりよい社会を目指す

財産権のあり方をめぐる具体的かつ示唆に富む問題提起の書である。

 

「所有」あるいは本書の表題Mine(私のもの)から私は、ルソーの『人間不平等起源論』第2部冒頭の有名な言葉を想起した。

《ある土地に囲いをして、「これは私のものだ」といおうなどと思いつき、こんなたわごとを信じるほど純朴な人々を見いだした最初の人こそ、政治社会の真の創始者であった。》(坂倉裕治訳)

ルソーはこの所有権の創始者を「ペテン師」と断罪したが、ルソーのいうように近代社会は所有権の不可侵を基礎としており、それは日本国憲法第291項にも「財産権は、これを侵してはならない」と明記されている(第2項で「公共の福祉」による制約が留保されているが)。

しかし、所有権を主張・立証するのは実は難しい。例えば、民事裁判で土地所有権を主張するためには、土地所有の来歴を争いのないところまで遡る必要があり、争いがあれば最後は時効取得が援用される。本書では、アメリカの場合は西部開拓時代の征服による土地取得とその後の時効取得まで遡るとされている(まさにルソーの断罪したペテンと強奪が行われたのである)。

 

とはいえ、本書にいう「所有権」は有体物の絶対的支配権という狭い意味ではなく、座席の優先権や知的財産権なども含む幅広い意味(“ownership”の英米法的理解とのこと)で使われており、日本国憲法の「財産権」に近い。

本書ではこの所有権を様々な実例と視覚で検討しており、法学者らしい利益衡量を示してくれる。

著者らは所有権の根拠を、①早い者勝ち、②占有、③自分が蒔いた種は自分で収穫する(労働)、④私の家は私の城、⑤私の身体は私のもの、⑥家族のものだから私のもの、という6つの視点で分析し、その一長一短を明らかにしていく。

そして、「所有権の不可侵」という硬直した理論ではなく、社会工学(social engineering)の手法で6つの視点の調整をしていく。

例えば、⑤の身体については臓器や卵子の売買、代理母といったホットな論点が取り上げられるが、売買自由な髪の毛と禁止される人身売買(奴隷)の両極端の間にどのように位置づけられるか(どちらに近いのか)が議論され、その利害得失の調整の視点は示されるが結論は示されない。

調整だけではなく、環境保全の分野では所有権を逆に活用する方向が示される。良好な自然環境に対する「みなし所有権」(as-if ownership)や汚染物質の排出量取引などである。

 

所有権の未来について、著者らはデジタル化の進展に伴う「共有経済」による所有権の希薄化にも言及しているが、「私たちのアイデンティティの多くは、所有するモノと分かちがたく結びついている」というのが著者らの立場であり、「私たちは単純な物理的占有につきものの親密な関係性に秘められた深い価値を失いつつある」と危惧感を表明していることは留意しておきたい。 



◎2024年5月6日『故郷の風景 ―もの神・たま神と三つの時空』佐藤正英

☆☆☆☆「記憶の中の故郷の風景」を思い起こす

著者は日本倫理思想史の研究者である(202311月死去)。

実は私は学生時代に著者佐藤正英先生の近代日本倫理思想史ゼミに参加し、北村透谷や柳田国男などの講読をした経験がある。佐藤先生は朴訥ながらユーモアも交えた語り口で、学生の議論を導かれていたと記憶している。

本書は著者が自らの「記憶の中の故郷の風景」を思い起こし、著者の分身である「私」を主人公に架空の故郷の心象風景を描いたものである。いわば柳田国男の『明治大正史・世相編』の昭和前半版のようでもあるが、柳田国男のような民俗学的考察が加えられているわけではない。

むしろ、私は瀬戸内寂聴の遺作となった幼少期の自伝的小説『あこがれ』(レビュー済み)を想起したのだが、本書には小説家である寂聴さんの描いたような主人公の情動やドラマはほとんどなく、中学生である「私」の心象風景が淡々と描かれている。主人公が淡い恋心を描いていたであろう同級生の「鈴見さん」や不思議なインテリである「流れのおっちゃん」のことなども、ドラマチックな物語や主人公の感情はあえて抑制されているのか、客観的な事実のみが淡泊に描かれていて、読み手としてはやや物足りなく感じる。

 

しかし、著者の主要な関心は今では失われた故郷の記憶を再現すること、とりわけ土地の死者の霊魂である「たま神」や民衆の崇拝する八幡大菩薩や馬頭観音菩薩、妙見菩薩といった「もの神」等と人々の関わりにあるようだ。「あとがき」の文章を引用する。

「まつられたもの神である明神や、まつり手であるたま神の一人としての菩薩は、近代以前の非合理な思想の産物であるとして、これまで長い間、排除され、黙殺されて来ました。・・・ですが、明神やまつり手であるたま神は、故郷の風景のなかで、花鳥風月や、死者のたまとともに私たちの身近かで今もいきいきと息づいているのです。」


  

◎2024年5月4日『カワセミ都市トーキョー』柳瀬博一

☆☆☆☆☆「古い野生」と「新しい野生」の共存ーそれが現代東京の生態系

「カワセミ」というとみんなのうたの「ワライカワセミ」のイメージが強かったが、あれはオーストラリアにいるのだとか。

本書の紹介する東京にいる「カワセミ」は、電子版のカラー写真で見ると色彩豊かなとても美しい小鳥である。しかも、このカワセミが多摩や高尾山ではなく都心の繁華街を流れる都市河川にいるという。

本書には、都心の満開の桜の枝にとまったカワセミの写真もあるが、多くの人はカワセミに気づかない。確かに、見る人の関心の対象(著者のいう「環世界」)の外のものは見えないのである(カントが『純粋理性批判』で述べたように、認識が対象に従うのではなく、対象が人間主体の認識活動に従う)。

 

しかし、本書の主題はカワセミの生態ではなく、現代都市東京の生態系である。

著者は都心を流れる3つの河川のカワセミの観察記録を詳細に紹介している。これらの都市河川はいずれも高度成長期には工業廃水や家庭廃液で死の川と化していたが、1990年代以降に劇的に環境が改善し、現在はギンヤンマも生息できる水質に改善された。ただし、一度死の川と化したために在来の淡水魚は戻らず、放流された鯉や外来種のシナヌマエビやアメリカザリガニ、あるいは海から汽水域を遡ってきたボラの稚魚などが「新しい野生」を形成しているという。

都心に戻ってきたカワセミはこのシナヌマエビやアメリカザリガニ、ボラの稚魚を取って子育てをしているのだが、その巣は河川のコンクリート壁にある人工的な水抜き穴だというから驚く。しかも、川に投げ捨てられた自転車を魚礁のようにして狩りをしているらしい。また、人が近くに行っても逃げずに、都市環境に適応している。

こうしたポスト公害時代の現代都市のシュールな姿が「新しい野生」といえそうだが、それだけではない。カワセミのいる河川の周辺には台地の縁の湧水地(小流域)があり、かつては大名屋敷や神社仏閣、現在は大学やホテルなどのある高級住宅地である(皇居や日比谷公園なども当然含む)。カワセミはそこにある池と河川を行き来して生活しているのだとか。

そこで、著者は、人間もカワセミも住みやすい環境は同じで、小流域の「古い野生」を保存することが重要だと結論づけている。

著者のいうように、周りの自然環境に注意して生き物の観察を続け、生き物が三人称から二人称になるまでつきあうと、「あらゆる場所がワンダーランドに変わる」かもしれない。



◎2024年4月25日『人が人を罰するということ―自由と責任の哲学入門』山口尚

☆☆行為、責任、刑罰に関する哲学的議論はその実益を問われるべき

刑罰や「罰一般」(サンクション)について議論するのであれば、哲学といえども議論のための議論にとどまるべきではないであろう。

本書で著者は、

「刑罰の正当性をめぐる問い(例えば、身体刑は正当な刑罰としてわが国の司法制度に採り入れられるべきか、など)は本書の関心に属さない」

「《死刑は存置すべきか廃止すべきか》というホットな問いにかんしても、本書はとくに意見をもたない。」

と早々と宣言してしまっているが、身体刑導入の可否や死刑の存置に関心のない刑罰論に一体何の意味があるのか(一気に脱力して読む気が失せる)。

 

著者は刑罰の目的として〈応報〉と〈抑止〉を挙げて、前者について自由と責任の哲学を論じる俎上に上げるのであるが、刑法学を踏まえるのであれば現代における刑罰の主たる目的は法益侵害を抑止することであり、その法益には憲法的価値に従い「生命>身体>自由>財産」で刑罰の軽重がつけられることは押さえるべきだ。また、応報刑は「目には目を」という文字通りの意味では現在は行われておらず、応報の機能は刑罰の上限を画すること(犯罪の重さに比例した刑罰)にあることも知るべきだろう。

判決宣告の時点では刑罰に応報の側面があっても、刑罰の執行の現場では「苦痛」を与えるというよりも改善更生という教育刑的運用がなされている(それゆえ刑務行政は「矯正」と呼ばれる)。

また、著者は刑罰には多様な意味があると強調するが、「祝祭」とか「見せ物」の意義は少なくとも現代の先進国ではありえない。フーコーのいう「訓練」は教育刑の改善更生としてはあり得ても、「臣民化」は現代では疑問である(むしろ民主主義社会の「市民をつくる」と読み替えなければならない)。

過去の歴史を掘り返す「知の考古学」だけではなく、それが現在の制度に変遷してきた理由を問うことに哲学の存在意義があるはずだ。

 

さらに、著者が批判の対象とする自由と責任否定の哲学に至っては、その意図が全く理解できない。

脳神経科学や社会心理学を援用して行為の自由を否定する議論の実益は何か? So what ?である。

人間は朝起きてから夜寝るまで行為者として意識的な行為をしており、その行為には当然責任が伴う。買い物をすれば代金支払い義務があるし、事故を起こせば損害賠償責任が生じる。著者はそれを「人間の生の一般的枠組み」と表現するが、それ以外の枠組みはないのだからあえてこのように説明するまでもない。たとえメタレベルや形而上学レベルでは人間には自由も責任もないといったところで、その意味や実益を問われればたちどころにナンセンスだと判明するだろう。

近代社会は個人を自由で平等な責任主体として社会制度を構築している。これを「虚構」であるというのはたやすいが、そのもたらす帰結を提示しない限り「今ごろ何言ってるの?」としか感じない。

 

唯一、犯罪者を病人と同視して「犯罪者への処遇は刑罰ではなく隔離措置こそが適切だ」とする哲学者グレッグ・カルーゾーの刑罰廃止論が実益を意識した議論であるが、それが「処遇」の問題であれば現代の教育刑的運用とどう異なるのか、隔離措置とすれば応報の比例的上限を超えた長期隔離を帰結しないかなどの具体的検討が必要となる。


  

◎2024年4月23日『元内閣法制局長官・元最高裁判所判事回想録』山本庸幸

☆☆☆☆集団的自衛権に対し「憲法の番人」の矜持を貫く

通産省20年、内閣法制局20年、その後は行政官出身の最高裁判事を務めた著者の「自分史」である。

だが、私的な自分史にはさほど興味がないので、内閣法制局時代から読んだ。

 

まず注目したのは「民主党政権が短命に終わった理由」である。

著者は、政権奪取した民主党が、「『官僚主導から政治主導へ』というスローガンに自縄自縛となったため、統治の手足となって活用すべき官僚機構を使わずに自ら治めようとしたが、所詮は行政の素人で統治の知恵も経験もなかったため、意気込みだけが空回りして自滅した」と総括する。

当時の派手な官僚批判のパフォーマンスを思い出すが、組織を改革する際の教訓とすべきであろう。

 

しかし、本書の白眉は第5章の「内閣法制局長官を辞する」である。

ここでは、第2次安倍内閣の安保法制推進に「憲法の番人」として頑強に抵抗したために辞職を強いられたいきさつが生々しく書かれている。

後任の長官に内閣法制局内部からではなくフランス大使の小松一郎氏が抜擢されたと聞いて、著者は「全身に鳥肌が立つような気がした」とまで書いているが、内閣法制局は国内法の解釈の一貫性を維持するためにスタッフを養成しており、国際法の知識があっても役に立たないからだ。要するに、憲法9条に抵触する安保法制を通すために内閣法制局の抵抗を排除したわけである。この経緯について『安倍晋三回顧録』では、「(集団的自衛権の行使を可能にする)私の確固たる姿勢を見せる意味が法制局長官人事にはあった」とあけすけに書かれている。

著者は「集団的自衛権は憲法9条違反」と断言するが、その理由は集団的自衛権の本質が「他国から直接攻撃を受けなくとも、わが国の友好国を攻撃する国に対して、わが国が一方的に武力の行使をする、つまり戦争行為を行うこと」だからだという。実に明快である。この立場は最高裁判事就任時の記者質問でも述べられた。しかし、こうした内閣法制局の伝統的立場は、「右翼のはずがいつの間にか左翼へ」と著者が言うように、政治の軸が移動したことを測定するバロメーターのようになってしまっている。

 

最高裁判事時代については、著者は官僚時代と異なり自らの判断と信念を貫いたと述べているが、著者の関わった主要な事件の判決が紹介がされている程度で、判断に至る悩みや葛藤が示されておらず物足りない。

ただ、中央省庁と比較して裁判所の書類や記録には無駄が多いことや、調査官1人の調査に限界があることなどの指摘には傾聴すべき点もある。



◎2024年4月22日『西行花伝(新潮文庫)』辻邦生

☆☆☆☆☆森羅万象(いきとしいけるもの)への慈愛の境地

『西行:歌と旅と人生』 (寺澤行忠著 レビュー済み)を読んだついでに、引用されていた本書を読んでみた。辻邦生が作家の想像力で西行の生涯をどのように描いたかを知りたかったからである。

文庫本で800頁に及ぶ大著であるが、元は雑誌『新潮』に24回にわたって連載されたものであり、読みやすく配慮されている。内容は、西行ゆかりの者たちが西行の生涯に沿ってその行跡と人となりについて語るという構成であり、要所要所に西行自身の語りも入っている。中でも、西行の弟子としてもっとも多く登場する藤原秋実は著者の創作で、著者自身の分身と思われる。

 

物語的なピークは待賢門院との恋愛と保元の乱への関わりであろうが、やはり西行の出家と歌人としての資質を辻邦生がどう描いたかに興味が惹かれる。

鳥羽院の北面の武士として頭角を現した西行(佐藤義清)が突如出家してしまう事情について、本書では、いとこの佐藤憲康の急死とその後に領地紀ノ川に引きこもった体験を描く。憲康は摂関政治の変革を奥州藤原氏を中心とした新しい政治に期待して決起しようとした矢先の急死であったが、西行(義清)は憲康の誘いを断っていた。西行は、「私はあれから毎日毎日紀ノ川の流れを見て暮しました。そこではあらゆるものが流れてゆきます。何一つとどまるものはありません。・・・」という。辻邦生は『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」という有名な一説を思い浮かべたのだろうか。こうして浮世の無常を痛感したことが出家への引き金として描かれる。

しかし、西行の出家は「世捨て人」のように遁世してしまうことではない。実際、西行は保元の乱の際には崇徳院の救出に奔走するし、平家滅亡後には東大寺大仏再建の勧進の傍ら鎌倉殿と奥州藤原氏の連絡役のようなことまでしている。

出家の決意の直後、西行は急に身体が軽くなり、「自由な、解放感が全身を包んだ」と述べており、次のように語る。

「あたかも山川草木が尊く有難い御仏の大きな身体ででもあり、山の肌、木の葉のそよぎ、鳥の囀り、花たちの色が、一息ごとに御仏の香わしい慈悲を放ちつづけているとでも言ったらよかったでしょうか。」

このように森羅万象(「いきとしいけるもの」と読ませている)に対する慈愛の境地が西行にとっての出家であり、それは自然だけでなく市井の人々の活動すべてに及ぶのである。辻邦生は、これをさまざま表現で繰り返し語らせている。出世や権力への「我執」を捨てたときに森羅万象、この世の素晴らしさが感得できる。若い読者や立身出世に励んでいる人たちにはなかなか共感しがたい境地であろうが、例えば大病をして生死をさまよった人や余命を宣告された人が、自然や街中の風景を全く新しい目で愛おしく眺めるようなものだろうか。その意味では読者を選ぶ本といえるかもしれない。

 

歌人西行については、崇徳院との対話などで「歌による政治」が強調され、歌が現実の土台をつくらねばならないとする。それゆえ、西行の歌は花鳥風月を愛でるなかにも世の中や人々への思いが込められている。

これは「歌」に限らず文学・芸術と政治・社会をめぐる深遠なテーマであり、文学・芸術が時代精神を象徴したり、時代を先取りし変革する役割を果たすことを辻邦生は念頭に置いているのであろう。

西行が晩年、自らの歌集を整理して俊成・定家親子に送り、勅撰集への登載を願ったのはそうした文脈に位置づけられる。

本書では最後に西行と慈円(後の天台座主)の交流が描かれ、西行の歌への思いは慈円に引き継がれたと辻邦生は解釈している。慈円の『愚管抄』は後鳥羽院の挙兵(承久の乱)を諫めるために書かれたとされるが、奇しくも西行と崇徳院の関係が慈円と後鳥羽院の関係に二重写しされるようだ。



◎2024年4月9日『西行:歌と旅と人生』寺澤行忠

☆☆☆☆☆西行の全体像をまとめた好著 しかし、「草庵」や旅の具体像がわからない

桜の時期は西行を読むのにふさわしい。

あまりにも有名な辞世の句、

「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」

は山家集に収められているから実は死の10年以上前の作なのだが、西行の示寂(死去)はまさにその時期だったという。

 

本書は西行研究の専門家である著者が、桜、旅、山里、自然へのまなざし、大峰修行、江口遊女等々といった21に及ぶテーマごとに西行の歌を紹介しつつ西行を論じる構成となっていて、歌人西行の全体像がわかりやすく理解できるようになっている。

西行といえば学生時代に佐藤正英先生の『隠遁の思想』を読んだイメージが強かったが、本書では西行は世俗の栄達や欲からは逃れつつも、人々への愛情や知己との交流を大切にした歌人だとわかる。

また、新古今集に歌人最多の94首が採用されていることや、芭蕉への大きな影響(芭蕉の俳句75首が西行をふまえたものという)、神仏習合の本地垂迹思想に画期をもたらしたことなど後世への影響も改めて知った。本書には西行の歌が多数掲載されているが、とりわけ晩年の自らの歌から左右選び出した2つの歌合せの判定を藤原俊成・定家父子に依頼したものが圧巻である。

なお、「おわりに」によれば、西行の原典として権威のある陽明文庫版の山家集には200カ所もの誤記があるという。ひらがなの原本を漢字にした際のミスだというが、研究の基礎だけに驚きである。

 

ただ、西行は生涯の多くを旅に過ごし、各地に草庵を結んだといわれるが、その具体像がわからない。

現代と異なり当時の旅は困難を極めたはずだが、西行は旅の宿泊や費用をどうしたのだろうか。2度目の奥州旅行は東大寺再建の勧進というから、寺院関係がバックにいたのであろう。では、それ以外の旅はどうか。芭蕉ならば各地に門人や弟子がおり、曽良のような旅の従者もいたわけだが、西行はどうだったのか。

また、「草庵」といっても、ただ雨風をしのぐだけのものではなく、それなりの衣食住が保たれ、歌作をするための文机と古今集などの参考文献が必要だったはずだ。

西行の出た家の荘園が旅や住居の支援をしていたのか、僧として寺院から支援を受けていたのだろうか。



◎2024年4月5日『人間とは何か』マーク・トウェイン

☆☆☆☆ソクラテス的対話? しかし、発展がなく同趣旨の繰り返し

『トム・ソーヤーの冒険』などで知られたマーク・トウェインが、晩年、本書のようなペシミスティックな対話編を書いていたとは知らなかった。訳者の中野好夫氏によると、トウェインは莫大な借金を背負った上に家族の不幸も相次いだのだという。

トウェインの厭世観は結論の次の箇所にあらわれている。

「人類ってのは、そんなにも楽天家なんかねえ? 君もそう思うだろう。これだけの不幸にたえながら、しかもなお幸福だってことを考えるとだな、いくらわしが彼等の前に、冷酷無残な事実を並べ立てたところで、果して彼等のお目出たさ加減を奪えるもんかどうか、怪しいもんだ。」

 

とはいえ、本書の論旨はそう目新しいものではないし、おかしな主張でもない。

トウェインのいう「人間機械論」とは、人間は生育環境や教育によって思想を形成され、自由な決定といっても無制限の「自由意志」ではなく「選択の自由」にすぎない。そして、その選択は各人の生まれながらの性格・気質によるが、決定を動機づけるものは「精神の満足」(=自己是認)である、というものである。そこから導かれるものは、教育と人間関係の重要性、高い理想をもつことなどであり、実にまっとうである。

私は、本書を読んでいてヘーゲルが『法の哲学』で定義した「自由とは必然性の洞察である」を想起した。トウェインがペシミスティックに語った同じことをヘーゲルはもっとポジティブに述べている。すなわち、人間は地理的歴史的条件に規定された存在であり、限定された時代と社会のなかで自らの運命を引き受けて生きるのだと。

 

なお、本書は老人と青年の対話形式で書かれているが、プラトンの描くソクラテス的対話のように議論が予想もしない方向へと発展して理性の深淵に目がくらむような対話ではなく、最初から最後まで人間機械論の同趣旨をテーマを変えて繰り返すだけであり、読んでいて単調の感を免れなかった。

 

 

◎2024年4月4日『ザ・メイデンズ ギリシャ悲劇の殺人』アレックス・マイクリーディーズ

☆☆☆☆セラピスト自身がトラウマに苦しみつつ犯人を追うのだが・・・

「ギリシャ悲劇の殺人」という副題は日本語訳でつけられたもので、原題は“THE MAIDENS”(乙女たち)のみである。これはケンブリッジ大学のギリシャ文学講座の人気教授を取り巻く女性グループを直接的には指すのだが、本文を読めばわかるように、ギリシャ神話の収穫の女神デメテルとその娘で死の女神ペルセポネの後者がメイデンに重ねられている。

他方、主人公のグループセラピストは、1年前に愛する夫がエーゲ海のナクソス島で水難事故死したショックから立ち直れておらず、ナクソス島のデメテルの神殿の廃墟に夫を連れて行ったことがペルセポネの怒りを買ったのではないかというトラウマに苦しめられている。

 

物語はこの主人公がケンブリッジ大学にいる姪から助けを求められ、姪の友人が巻き込まれたメイデンズ連続殺人事件の捜査に関わるというものだが、冒頭から容疑者が名指しされており、その動機と証拠を求めて物語が展開していく。

ギリシャ悲劇で主に用いられるのはエウリピデスの「アウリスのイピゲネイア」であるが、これはトロイア戦争に出航しようとしたアガメムノン王率いるギリシャ連合船団が女神アルテミスの不興を買って足止めされ、そのために王の娘のイピゲネイアを生け贄に捧げるという悲劇であり、これがトロイア戦争後に王妃クリュタイメストラによる夫殺し、オレステスとエレクトラによるその復讐といった凄惨な復讐の連鎖へと続く序幕である。ホメロスやギリシャ悲劇のファンには堪えられない舞台設定で、連続殺人があたかも生け贄の儀式のような様相に見えてくるのだが、最後に意表を突くどんでん返しが待っている。

 

また、主人公の仕事であるグループセラピーの手法やセラピストとスーパーバイザーとの関係など、セラピーの実際が詳しく紹介されているのも興味深い。

ただ、グループセラピーを主宰する主人公自身が大きなトラウマを抱えて不安定な心理状態であることや、事件へのかなり危険なのめり込みなどには首をかしげるところが多かった。

急転直下のあわただしい事件終結についても、連続殺人のディテールが解明されないままですっきりせず、説得力が今ひとつである。


  

◎2024年4月2日『ショスタコーヴィチ:交響曲第6番・第9番 [DVD]』レナード・バーンスタイン指揮ウィーンフィル

☆☆☆☆☆バーンスタインによる楽曲解説は必見!

 ほとんど演奏されることのない交響曲第6番が入ったDVDである。

そこで、まず第6番の演奏を聴いてみると、いきなりラルゴの長く重苦しい楽章から始まる。ラルゴといえば交響曲第5番第3楽章を想起するが、後者のような重苦しくも叙情的で起伏の大きなラルゴではなく、起伏の少ない陰鬱なトーンに覆われた楽章である。続く第2,第3楽章はアレグロとロンドのリズミカルな短い楽章であり、いかにもバランスがよくない。

ボーナストラックのバーンスタイン自らのイントロダクションによると、この交響曲は初演当時も不評で、頭がない胴体と短い手足だけの音楽と批判されたとのこと。確かに、交響曲らしい第1楽章の主題提示がない。作曲された1939年がヒトラーのポーランド侵攻が始まった第2次大戦開戦の年でヨーロッパは戦争の暗雲に覆われていた一方、ソ連は独ソ不可侵条約によるかりそめの平和を享受していた。この交響曲はその偽りの平和と偽善の狂乱を表現したものだという。その後、独ソ不可侵条約をヒトラーが破ってソ連に侵攻した暗転を表現したものが、有名な第7交響曲(「レニングラード」)ということになる。

バーンスタインはこの第6番をチャイコフスキーの交響曲第6番(「悲愴」)と対比し、死を意識したその最終楽章を承継したのがこの第1楽章のラルゴだと指摘しており、ピアノでその関連性を実演してみせている。

 

カップリングされている第9番はよく演奏される曲だが、ベートーヴェン以来の「第9」の伝統をさらりとかわす意表を突いた軽妙な曲である。独ソ戦勝利を記念する壮大な曲を期待したスターリンは激怒したというが、むしろスターリン批判に通じる諧謔が感じられる。

バーンスタインのイントロ解説では、第5楽章でトロンボーンによる威圧的な響きがスターリンの第9らしさの要求をあらわし、それに対してファゴットがベートーベンやマーラーの第9からの軽妙な引用で応じる繰り返しから歓喜のフィナーレになだれ込むという解釈が示されている。

 

バーンスタインは素晴らしいマーラーの演奏を残しているが、後年はショスタコーヴィチにかなり入れ込んでいたようで、第5番と第7番のディスクは名盤として知られる。もう少し長生きして他の交響曲の演奏も残してほしかった。



◎2024年3月31日『深化する歴史学:史資料からよみとく新たな歴史像』歴史科学協議会 編

☆☆☆☆☆最新の歴史学の成果を歴史教育に反映させる

 編者の「歴史科学協議会」(歴科協)は歴史研究の成果を市民や教育現場に反映させてきた歴史学研究者の団体である。それゆえ、本書の各論文の著者らはほとんどが大学の歴史学研究者だが、いずれも高校の歴史教科書の記述をはじめとした歴史教育を念頭に、最新の歴史学の知見を歴史教育に反映させることを目指したものとなっている。

内容は、古代7本、中世8本、近世9本、近代8本、現代7本の論文に加え、最近の研究動向に関するコラムが7本と盛りだくさんに入っているため、各論文は歴史像の最前線を紹介するごく短いものであが、各々が冒頭で「史資料」(文献史料とそれ以外の資料)を引用してその読み解き方を論じ、末尾に主要参考文献と資料へのアクセスを示す丁寧さであり、学生や一般読者がさらに学習・研究を進める手引きとなっている。

 

私の興味を引いたものをいくつか紹介する。

○縄文時代の土器の表面の小さな凹みから、最新技術を駆使して当時も穀物栽培が行われていたことを実証する。

○宇佐八幡の神託事件は、称徳天皇と道鏡のスキャンダラスな関係と和気清麻呂による道鏡排除の物語として知られるが、当時の皇統と貴族・豪族の関係を揺るがしたところに事件の本質があり、この事件の結果、皇族以外は皇位を継承できないという原則が確認されたという。

○紫式部の時代の「国風文化」については、当時の中国文化の影響を積極的に評価するのか、その受容が選択的になったことを重視するのかで議論があるらしい。紫式部は漢籍に通じていたが、父為時と越前に下向したときに宋の海商と対面していた可能性があるとのこと。

○中世の荘園は領主側から研究されてきたが、民衆の視点から見れば現地の住民の意向で境界が定められた場合もあったとのことで、都合のよい荘園領主との支配関係を構築する住民の意思が働いていたらしい。

○かつて足利尊氏像とされた「騎馬武者像」だが、今では尊氏かどうか疑われている。他にも、源頼朝像や足利義政像が像主不明とされている。騎馬武者像はやはり尊氏像らしいが、息子の義詮の花押があることから、義詮が父の肖像画を守護大名らに下賜したものだという。このように、14世紀以降、主君の肖像画を家臣が所持し、自らの正統性や由緒を示すことが行われ、それは戦前の明治天皇「御真影」と教育勅語頒布にまで続くとされている。

○戦国合戦図屏風として有名な「長篠合戦図屏風」には有名な鉄砲三段撃ちが描かれていない。しかし、多数の鉄砲隊が描かれていることから、鉄砲による勝利であることは確認できる。このように、図像資料からは史実と異なる図像やあえて描かれていない図像が重要な意味を持つという。

○日露戦争の講話への大衆の不満については日比谷焼き討ち事件が有名だが、神戸の新聞資料によると湊川神社にあった伊藤博文の銅像が群衆に襲撃されて引き倒されたとのこと。伊藤は日露講和の元凶としてだけでなく、「明治好色一代男大勲位伊藤侯爵」と新聞で揶揄されていたらしい。

等々・・・。


◎2024年3月27日『ブラームス: 交響曲全集[DVD]』レナード・バーンスタイン指揮ウィーンフィル

☆☆☆☆☆画像は古いが演奏は素晴らしい

いずれも1980年の演奏で画像はいささか古いが、バーンスタインとウイーンフィルのブラームス交響曲全曲を収めたDVD2枚組がこの値段なら超お買い得である。

とりあえず1番と4番を聞いてみたが、1番はエネルギッシュにキビキビとした指揮ぶりで、音量もしっかり出した堂々たる演奏である。

4番は美しい旋律をしっかり聴かせる。第2楽章中ほどの管楽器と弦楽器の掛け合いのような応答から弦楽合奏に移行する部分は、テンポを落として感情たっぷりに歌わせる。バーンスタインの真骨頂である。

 

1点難を言えば、アップのカメラワークが同じパートを繰り返し映すこと。

この時代のカラヤンとベルリンフィルのビデオでも感じるが、オーケストラ全体ではなく一部の奏者や楽器を極端なアップで映し続けることが多い。

グラモフォンの撮影チームの趣味なのかカラヤンの趣味なのかわからないが、もっと全体像がわかる映像の方がよかった。 


 

◎2024年3月26日『世界2024年3月号』

☆☆☆☆「政治改革」の旗手は何を語ったか?

遅ればせながら本号を買って読んだのは、政治学者の佐々木毅氏と山口二郎氏の対談があったからだ。

佐々木毅氏はいうまでもなく90年代政治改革の旗手であり、民間政治臨調などを主導して現在の小選挙区比例代表並立制の導入に大きな役割を果たした。

対談でも指摘されているが、リクルート事件や金丸事件などの金権腐敗問題がいつの間にか「政治改革」や選挙制度改革にすり替えられ、細川内閣退陣直前のどさくさ取引で自民党に有利な小選挙区制が導入されたのはまさに「焼け太り」というほかない暴挙だったと記憶している。

建前としては2大政党制への道を開くとか政策本位の政治とか理念が語られたが、英米のような2大政党の基盤がなく、民意の多様さに応じて左右の多数の政党が幅広く存在していた日本社会に、上から誘導するように2大政党制を作るなど学者の非現実さと傲慢さを感じた。案の定、その結果は惨憺たるもので、小選挙区制度は政党執行部の支配の強化をもたらし、選挙区サイドでは地盤と後援会組織がある世襲議員の増大をもたらした。小泉郵政改革や安部長期政権の「罪と罰」(本号上野論文)はまさに政治改革の負の結果というべきである。山口氏は政権交代した民主党も、中心は「自民党を出た人たち」(小沢一郎、鳩山由紀夫ほか)だったと皮肉な総括をしている。

これに対し、当事者の佐々木氏がどう言うかを注目したが、今日の事態の見通しはほとんど持っていなかったことがわかる。佐々木氏は当時問題になっていなかった点として首相の「解散権」を挙げ、解散権の強化故に国会議員のステータスが下がったという。しかし、解散権は政治改革以前から首相の特権視されていたし、「政治主導」やリーダーシップの強化こそ政治改革の目的だったのではないのか。

「政治とカネ」の問題については、政治改革で政党交付金制度を導入したわけだが、佐々木氏はこの間の裏金問題を「マネーロンダリング」と批判しつつ、政党交付金制度にも手をつける必要があるという。事実上、政治改革の失敗を認めざるをえないということだろう。

 

その他の論考では、ガザの惨状についてホロコーストと比較しつつ論じる高橋哲也氏の「ショアーからナクバへ、世界の責任」と、ロシアの反体制派の新聞「ノーバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ」編集長のプーチン政権批判とロシアの現状報告が出色で興味深かった。



◎2024年3月24日『謎の平安前期』榎村寛之

☆☆☆斎王、斎女と皇族・貴族系図のトリビアから歴史がどれだけ見えるか?

著者は伊勢の斎宮歴史博物館の学芸員で斎宮・斎王の研究が専門である。それだけに、本書でも斎王や斎王に就任する内親王に関する言及が多く、一般にはあまり知られない内親王や斎王の固有名詞が多数登場する。実は、私も斎宮歴史博物館は何年か前に見学したことがあり、斎宮の規模の大きさや長い歴史について改めて認識させられた。

ただ、伊勢神宮とともに斎宮が天皇・皇室にとって宗教的に重要な存在であり、その権威の淵源であることは理解できるが、本書が重視する政治的な意義まではどうだろうか。本書の記述を読んでも、伊勢の斎宮や賀茂の斎院が桓武天皇以後に激増した内親王の安定的な就職先という指摘は興味深かったが、斎宮や斎院が政治を左右したとまではいえないのではないか(利用されることはあり得るだろうが)。

同様に、本書には皇族や藤原氏をはじめとする上級貴族の系図的知識が豊富に示されていて、多数の人名がその係累の説明とともに示されている。また、神社や祭礼の縁起などのウンチクも満載である。それはそれで知識として面白いのだが、歴史の説明としてはトリビアにすぎるように感じる。

平安時代前期の歴史としては、桓武天皇の長岡・平安京遷都が聖武天皇の影響力排除と京都盆地の交通・交易上の有利さが論じられているほかは、東北戦争や応天門の変、菅原道真失脚、平将門・藤原純友の乱などの歴史的な重要事項がわずかしか触れられておらず、歴史像の把握としては物足りない。

 

とはいえ、清少納言や紫式部が活躍した時代は女性の地位が低くなったという逆説的な指摘はなるほどと思わせる。

確かに、奈良時代の宮廷女官は政治の中心で活躍し、その名前も記録されているが、平安時代の「女房」たちは女官ではなく、女御や中宮のサロンを彩る私的存在にすぎず、その実名すら記録されていない。著者は公的な漢文の世界から女性が排除された結果、和歌とひらがな文学が花開いたと指摘しており、その関連で下級貴族であった紀貫之が古今和歌集を編纂し(女性に仮託して)『土佐日記』を著したことにも言及しており、このあたりの叙述はわかりやすい。

 

なお、著者の歴史認識としては、「はじめに」で示された次の箇所が参考になる。

「平安後期200年には、荘園が自立的な村落とほとんど同じ意味になり、地域領主が貴族や大寺院の命令を簡単にきかなくなる社会、つまり基礎からの中世社会化が進むと考えている。前期200年はその前提として、いわば中央、地方のいろいろな人の顔が見えてくる時代であり、その完成点に、清少納言や紫式部が現れる。」


  

◎2024年3月19日『世界 2024年4月号』

☆☆☆☆アメリカ社会の深い亀裂と混迷は司法や大学へも波及

今年のアメリカ大統領選挙を前に、やはり特集1の「トランプ再び」に注目した。

冒頭の座談会では、なぜトランプなのかが議論される。議事堂突入事件の扇動や多数の刑事訴追にもかかわらずなぜトランプなのか? 確かに、日本でも刑事被告人の元首相が選挙で圧勝し続けるという過去の例もあったが、さすがに首相には復権できなかった。しかし、トランプは共和党内で大統領候補として圧勝し、大統領復帰の可能性も真面目に論じられている。

座談会で指摘されているのは、民主・共和両党の穏健・中道派の衰退である。民主党は前回選挙でサンダース議員の支持を得るためにバイデン政権は「サンダース化」したとされ、共和党では従来の共和党員ではなく保守強硬派のトランプ支持者が多数を占めているという。その結果、両党の穏健・中道派による良識的な妥協や候補者選びができなくなっているわけだ。

トランプ復権を後押ししているのがイスラエルのガザ攻撃である。バイデン政権がイスラエルを支持し虐殺を効果的に止めないことがリベラル派や若年層の支持を低下させているからだ。イスラエルのガザ攻撃を非難しないことはウクライナへの支援とダブルスタンダードの印象を世界に与え、国際情勢の混迷化を深めさせている(それゆえ、ハマスのテロの背後にロシアとイランがいたという推測もあながち的外れではなかろう)。

 

重要なのは、こうしたアメリカ社会の分断と保守強硬派の巻き返しが、司法を主戦場にし、大学へも波及していることだ。

特集1の秋元論文は連邦最高裁と下級審でトランプ大統領により指名された多数の裁判官が保守強硬派の運動を勢いづけていることを示しているが、よく知られた中絶禁止法の最高裁による逆転是認だけでなく、下級審でもトランプの指名した裁判官が経口中絶薬の承認を一時差し止めた。トランプは大統領任期中の4年間になんと228人も裁判官を指名したが、その多くが保守派の法曹団体である「フェデラリスト・ソサエティ」出身であり、その影響は今後も長く続くという。そこで、保守強硬派はそうした保守派裁判官の管轄地域で訴訟を提起して判決を勝ち取り、世論を右傾化させていくのである。

 

さらに、林香里『大学不信と多様性へのバックラッシュ』によると、イスラエルのガザ攻撃後に「反ユダヤ主義的対応」を批判されてハーバード大学とペンシルベニア大学の学長が辞任したが、2人とも女性で前者は初の黒人学長だった。DEIDiversity, Equity, Inclusion 多様性、公正性、包括性)の象徴だった2人が保守派に狙われたともいえそうだが、DEIに対抗するイデオロギーが「反ユダヤ主義的」というのは皮肉である。要するに、ハマスを毅然と非難しない、あるいはイスラエルを非難すれば「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られる。これが大富豪の大学寄付差し止めの圧力で辞任に至るわけだから、現代におけるマッカーシズム、「赤狩り」の再現である。



◎2024年3月15日『暴力とポピュリズムのアメリカ史』中野博文

☆☆☆☆民主主義国家アメリカのもう一つの顔 民兵と暴力

 トランプの扇動による国会襲撃事件は世界を驚かせたが、ポピュリズムによる暴動という意味では近年のBLM運動で過激化する暴動もたびたびニュースとなっている。後者は左派の行動だが、暴力が抗議手段として用いられ、場所によってはそれが社会的に容認されて適切に取り締まられないという点では同質の問題である。

近代の法治国家では自力救済が原則として禁じられるのが常識だし、例えば日本では暴動が起きること自体がほとんどなく、起きれば速やかに鎮圧される。

ところが、アメリカでは銃乱射事件がたびたび大きなニュースとなるにもかかわらず、銃規制すら満足に行われない。

本書はこうしたアメリカ社会の根深い暴力肯定体質を、ミリシア(民兵、州軍等)の歴史を描くことによって考察させてくれる。

 

歴史的には、アメリカ独立革命以前の開拓時代から、先住民との戦争、フランスやスペインとの植民地戦争などで民兵が組織され、独立革命で連邦軍が組織された後も、各州の連邦に対する不信と対立から州軍が維持される。極めつけはアメリカ最大の戦争であった南北戦争であり、プロイセンの職業軍人の目からは「武装した暴徒の殺し合い」と評されたという。その後も黒人差別や移民差別と暴力が根深く結びつき、20世紀の2度の世界大戦やベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争などを経て、ミリシアの組織は大きく変貌しつつ存続しているという。現代では民間軍事企業が活用されるが(アフガン戦争では正規軍と予備軍の88200人を凌ぐ117227人が雇用された)、こうした現代の「傭兵」もまた国家の管理下にない暴力組織である。

 

やっかいなのは、こうした暴力肯定が建国の理念である人民武装理念や圧政への抵抗思想に根ざしていること、そして、「圧政への抵抗」の暴力は左右のポピュリズムのどちらにも存在するということだ。

本書でたびたび引用される米国憲法修正第2条は「人民が武器を保有し携帯する権利」を認めており、近年の連邦最高裁ヘラー判決がこれは市民が自衛のために銃を所持するためのものとの解釈を示したことで、銃規制はより困難となっている。

日本では豊臣秀吉の刀狩り以降、民衆の武器の所持は禁じられて現代に至るが、そうした感覚とは全く異なるアメリカ民主主義の暗部?というべきか。



◎2024年3月12日『悪い男 エーレンデュル捜査官シリーズ』アーナルデュル・インドリダソン

☆☆☆☆☆地道な捜査手法がかえって新鮮にみえる

「エーレンデュル捜査官シリーズ」といっても、今回はエーレンデュルは不在で、しかも休暇で行方知れず、同居人からも2週間連絡が取れない状態という奇妙な設定である(警察官が行方不明というの事件のはずなのだが、今後の伏線なのか?)。

そこで、今回は同僚の女性刑事エリンボルクが主人公となっているが、エリンボルクはエーレンデュルを「古い時代にしがみついている人間」と考えている。

とはいえ、本書でエリンボルクが展開する捜査はまったく昔ながらの地道な捜査である。多数の関係者から何度も事情聴取し、被害者の生い立ちをたどり、被疑者を張り込む。極めつけは現場に残された遺留品の匂いからタンドリー料理の愛好者をたどるところだ。最近の刑事小説でおなじみのDNA鑑定も監視カメラもプロファイリングもほとんど登場せず、地道な捜査に徹するところがかえって新鮮である。

北欧社会派ミステリーのテーマとしては、レイプ被害者の心理を詳しく描いていることで、時間がたっても被害感情が薄れるどころかかえってトラウマがひどくなり、追い込まれていく心理がよくわかる。「セックスをしたのではなくレイプされた」という被害者の叫びが印象的だ。

ちなみに、レイプドラッグで意識不明の相手に性交等をする犯罪は、日本ではかつて「準強姦罪」、「準強制性交罪」とされたが、近年の法改正で「不同意性交罪」の一類型となった。しかし、「セックスではなくレイプ」という観点から言えば、「不同意性交罪」という罪名にも疑義が残るところだ。 

 なお、刑事の家庭生活が詳しく描かれるのもおなじみだが、男性刑事の場合は妻や恋人との関係の悩みが多いのに対し、今回の女性刑事については子どもとの葛藤が描かれるのがジェンダーの相違のようで興味深い。 



◎2024年3月10日『ミスティック・リバー』(映画)

☆☆☆友情のもろさとカタルシスなき暴力の後味の悪さ

クリント・イーストウッド監督の映画だが、ダーティハリーのような型破りの正義の味方ではなく、実に後味の悪い暴力の世界だ。

少年時代の3人組の1人が受けた誘拐と性的虐待が成人後までのトラウマとして描かれ、友情自体がもろくも過去のものとなっている気まずい感情の機微はよく描けている。

また、物語の縦糸となる殺人事件が、かつての3人組の1人が被害者の父親で復讐を誓うマフィア?の親分格、もう1人が担当刑事で、性虐待のトラウマを抱えるもう1人への疑惑を絡めたドラマとして展開し、ミステリー的などんでん返しも用意されている。

しかし、結末があまりに無残でカタルシスがなく、いわれなき私刑が法的正義によって是正されない結末に疑問が残った。


 

◎2024年3月9日『物語 ベルギーの歴史 ヨーロッパの十字路』松尾秀哉

☆☆☆ベルギーのアイデンティティは国王?

ベルギー旅行のガイドに本書を買ったが、2014年出版で少し古い。

関東地方くらいの面積の国土に1100万人の人口。なのに、北部のオランダ語系フランデレン地域と南部のフランス語系ワロン地域で激しく対立して連邦制をとっている。

本書の出版後も連邦政府の政治対立が続いており、国政停滞状況に陥ったらしい。

 

ベルギーというとEU本部がブリュッセルにあるのは知っているが、それ以外は名探偵ポワロが「ベルギー人」とか、ルーベンスとダイヤモンドで有名なアントワープとか、ファン・アイクの祭壇画「神秘の仔羊」のあるヘントなどしか知らなかった。

国家としての独立は1830年で、フランス革命とナポレオン戦争後の国際情勢によりハプスブルク家から王様を迎えた。帝国主義の時代にはコンゴを植民地支配して、働かない現地人の手首を切り落とす過酷な収奪を行なったという。

第二次世界大戦ではナチスドイツに激しく抗戦したものの蹂躙されたが、戦後も立憲君主制国家として復興している。国王はイギリスのように君臨するだけではなく、政治対立の調停者として重要な役割を果たしていて、現在も首相指名権を有しているらしい。

言語問題の対立が激しいにもかかわらず国家の統一を維持しているのは、国王の存在だけではなく歴史的なアイデンティティがあるからだろうか。その辺りが本書を読んでもよくわからなかった。 

ファン・アイク兄弟「神秘の仔羊」 2024年3月6日撮影

ルーベンス「キリストの十字架降架」 2024年3月5日撮影



◎2024年3月5日『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART1』(映画)

☆☆☆☆ヴェネツィアとアルプスの絶景が見もの

おなじみのスパイアクションだが、今回は暴走するAI が世界を混乱させ、それを統御する鍵を手に入れて世界を支配しようとする各国の暗闘が描かれる。

AI の進化とその規制は現代的問題だが、その自立と暴走は昔からのSF的ストーリーだし、しかもその統御が「鍵」というアナログな設定が笑える。ワーグナーの「ニーベルングの指環」以来の指輪争奪モチーフの伝統だろうか?

 

ともあれ、ローマでのカーチェイスやオリエント急行の列車上のアクションは度肝を抜く見ものだし、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿を使ったド派手なパーティーや絶景のアルプスを舞台とした追跡劇は素晴らしい。



◎2024年3月5日『アムステルダム』(映画)

☆☆☆☆退役軍人の世界 その光と陰

第一次世界大戦の負傷兵と看護婦としてアムステルダムで知り合い、そこで意気投合した3人組が、10数年後のアメリカでファシズムクーデタを阻止する物語だが、アメリカでこのような陰謀が現実にあったというから驚く。

冒頭、主人公の医師が負傷兵の顔面修復や装具を装着する場面が出てくるように、全編を通して退役軍人の世界が重要なモチーフとして描かれている。日本では実感がないが、軍隊経験者の多いアメリカでは退役軍人は大きな社会勢力だし、戦前の日本でもそうだった。

退役軍人団体は負傷兵の福利厚生を要求する運動から、やがては政治的一大勢力として選挙も左右する。保守的タカ派的勢力の基盤であることが、クーデタ陰謀に利用されたのであろう。

現代アメリカでも、銃規制の根強い反対勢力やトランプ支持派のコアとなっているのではないか。

 

映画の作りとしてはコメディタッチで、主役3人の友情が三国志の桃園の誓いみたいで笑えたし、ロバート・デニーロがカッコよすぎるとか、テイラー・スウィフトまで登場する豪華配役とか見どころ満載である。


 

◎2024年2月29日『テムズとともに―英国の2年間』徳仁親王

☆☆☆☆☆Prince Naruhitoのオックスフォード案内と留学体験記

著者は徳仁親王とあるが、いうまでもなく現天皇である。本書の出版は1993年だから皇太子時代、イギリス留学は1983-85年でまだ昭和の皇孫時代であるが、このように天皇本人の自筆の著作が発行されるのは珍しいのではないか。天皇の青年時代の留学体験がみずみずしい筆致で書かれ、その人となりや留学生活を肉声で知ることができる貴重な文献といえる。さらにいえば、天皇の著作をこうしてレビューし、☆の評価も自由にできるのは象徴天皇制ならではだろう。

 

本書の内容は親王のオックスフォード留学体験を当時の英文日記や写真などに基づき丁寧に紹介したものであり、留学先での親王の受け入れ態勢や大学での学生生活、さらにはオックスフォードの町とその周辺の地域の紹介が生き生きと描かれている。さながらオックスフォードガイドブックのようである。また、最後の方には、イギリス各地の旅行としてスコットランドやウェールズ、ドーバーなども紹介されている。

オックスフォードでの生活は通常の学生と同様とのことで、友人とパブをめぐった話やテニスやボートの選手として活躍した話、ヴィオラ奏者として弦楽四重奏に取り組んだ話などのほか、イングランド、スコットランド、ウェールズの最高峰登山など、留学生活を十二分にエンジョイしていた様子がよくわかる。

さすがに単独行動ではなくイギリス警察から派遣された警護官2名が常時付き添っていて、ジョギングの際は自転車で伴走、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」観劇の際はなんと5時間以上同席し、さらには図書館の資料調査の手伝いまでしたというから、選りすぐりの優秀な警察官だったのだろう。

 

ただ、本書の白眉はやはりオックスフォードでの親王の研究テーマである18世紀テムズ川の水運の研究論文作成である。テーマ自体が親王の学習院時代の研究と関連したものを自ら選び、ラテン語を含む資料収集から英語による論文作成まですべて自力で行う。もちろん、オックスフォードの指導教授や図書館の研究員らの指導と援助を受けつつであるとしても、大変な労力を費やしたものと感じられる。

産業革命期のテムズ川の石炭やモルト(ビール醸造用)を中心とした物資の水上運送というテーマは非常に興味深いものであり、その後オックスフォード大学出版局から“The Thames as Highway”と 題して出版されたという。

 

なお、文中の端々に「最初で最後の体験」として、洗濯やアイロンがけ、銀行でお金を両替したこと、ディスコ体験などが記され、離英前の箇所では「私の人生にとって最も楽しい一時期」という言葉も出てくる。

ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)を生まれながらにして運命づけられた、日本で唯一のファミリーならでは言葉と感じる。



◎2024年2月24日『平成司法改革の研究 理論なき改革はいかに挫折したのか』須網隆夫編

☆☆☆☆☆改革の「挫折」から前向きの総括をめざす

 21世紀初頭に実施された「平成の司法改革」に関する初めての総括的研究である。

著者らの多くは司法改革の渦中でその推進に尽力した人たちであり、本書には著者らの意図通りに改革が実現せずに挫折した無念さととともに、改革を総括して新たに前進する展望を示す努力が感じられる。

すなわち、本書は司法改革が「失敗」で従前の制度に戻すべきだと主張しているのではなく、改革のさらなる徹底と前進を求めているのである。

 

例えば、改革のうちもっとも順調に進んだと言われる裁判員裁判については、刑事裁判に大きな変化をもたらしたと評価される(特に、一般人である裁判員にわかりやすい訴訟運営と審理は法律専門家のみの訴訟慣行を大きく変えたと言える)が、裁判を変えるだけでなく国民の司法参加を強化して国民的基盤を確立していく必要があるとされる。

また、もっとも苦悩している法曹養成制度については、かつての司法試験中心の選抜から法科大学院を中核とする法曹専門教育重視の改革がめざされたが、根強い試験信仰の中で法科大学院の存在意義が疑われるに至っているとし、司法試験教育への傾斜から臨床法学教育重視へ転換する方策を検討する(司法試験予備試験が試験信仰を強めており、司法修習の存在が法曹志願者の時間的経済的負担を増やしていると私は思う。予備試験を廃止してルートを法科大学院に1本化し、司法修習は研修医のようなOJT研修制度に代替するべきである)。

 

「令和の司法制度改革」として本書が提言するものについては、泉徳治元最高裁判事の論考が示唆的である。掲げられた項目を以下に示す。

 1 訴訟法を改正し条約違反を上告理由に加える

 2 被疑者取調べ中の弁護人立会権を法律で明記する

 3 民事審判委員会を新設する

 4 司法試験予備試験を廃止する

 5 個人通報制度を導入し国内人権機関を設置する

 6 裁判官任命諮問審議会を設置する


 

◎2024年2月24日『民事裁判手続のIT化』山本和彦

☆☆☆IT化を説明した本なのに電子版がないとは

著者は民事訴訟法の第一人者であり、民事訴訟手続のIT化へむけた法改正にも関与している。

その意味で、実務家にとって本書は重要な解説書なのだが、なんと電子版がない。

民事訴訟のIT化は進められても法曹界と出版社のIT化への対応はまだまだということか。

 

ちなみに、民事訴訟手続のうち訴え提起や書面の提出、記録管理などはIT化がもっともなじむ分野だが、弁論や証拠調べ(尋問等)は民訴の基本原則である直接主義がやはり重要であろう。

Webによる弁論や尋問はやはり隔靴掻痒で、十分な訴訟活動ができるとは思えない。

IT化の限界を見極めるべきである。 



◎2024年2月23日『友情よここで終われ 刑事オリヴァー&ピア・シリーズ』ネレ・ノイハウス

☆☆☆☆☆ヘニングがベストセラー作家に!

このシリーズは最初から読んでいるが、10冊目の今回はなんとピアの元夫で法医学者ヘニング・キルヒホフがベストセラー作家になるという驚きのエピソードから始まる。しかも、その作品の表題はほぼこのシリーズのもので、過去の作品はヘニングが著者という手の込んだ設定である。

実際、本シリーズは最初からヘニングが重要な役割を果たしており、法医学の専門知識が非常に詳細に引用されているのが特徴だった。ヘニングをベストセラー作家にする設定を著者がいつから考えていたかはわからないが、シリーズのマンネリ化を避ける新機軸ということかもしれない。

 

物語はヘニングの作家デビューと絡めた出版業界をめぐるものであり、作家とそのエージェントや出版社の関係が生々しく描かれている。著者自身も関係する業界の内幕ともいえ、興味深く読んだ。

ミステリーとしては表題にある「永遠の友情」の虚実が縦糸で、学生時代に深く結ばれたように見えた仲間の隠された秘密やドロドロした利害関係が絡んで、最後まで犯人がわからない巧みな展開となっている。このあたりはさすがにベストセラー作家である。

 

なお、酒寄氏の翻訳は相変わらずよくこなれていてすばらしいが、表題は原語では≫IN EWIGER FREUNDSCHAFT≪(永遠の友情において)である。また、本書に登場する「オーペアガール」(au pair girl)とは、ホームステイして家事や育児を行う留学生のことらしい。

ゴミ焼却場の廃棄物発電所が詳細に描かれているなど現代ドイツの社会事情も興味深い。社会制度のIT化の進展としては、レントゲン写真はライトボックス(シャーカステン)ではなくパソコンの画像で見るし、裁判所の捜索令状はPDFで刑事のスマホに送信される等々・・・。



◎2024年2月19日『バロック美術 西洋文化の爛熟』宮下規久朗

☆☆☆☆☆バロック美術の最良のガイド カラー画像200点!

ヨーロッパの旧市街を歩いて回ると、壮麗なファサードをもったバロックの教会や宮殿にぶつかる。中に入ると、ルネサンスの端正な古典様式でもなく、ゴシックの深い森のような質実剛健な様式でもない、華麗な装飾と天井画に圧倒される。

 

本書によると、バロックとはルネサンスと宗教改革の時代を経た「カトリック改革」(かつては「反宗教改革」または「対抗宗教改革」と呼ばれたが、近年はポジティブに理解する)の時代の美術であり、その美術的様式の特徴は、①わかりやすさ(単純明快さ)、②写実性(主題の現実的解釈)、③情動性(感情への刺激)の3点にある。信者の感情に直接訴える情動的要素が求められたのだという。

著者はこのバロック美術を、カラヴァッジョの革新(明暗と劇的性格の強調)から説き起こし、その後継者からベルニーニやティエポロ(幻視のイリュージョニズム)への展開、さらにはスペインバロック(スルバランとムリーリョ、ベラスケス)、絶対王政時代からオランダ市民絵画(ルーベンス、レンブラント、フェルメール)、さらには東欧や中南米の辺境への波及まで満遍なく論じている。取り上げられた画家や建築家は膨大で、添付されたカラー画像は200点を超えており、一読しただけでは消化不良に陥るほどである。

したがって、本書の読者は通読するだけでなく、辞書のように参照したり、旅行ガイドに活用したりすべきである。私自身、本書に紹介されたバロック都市やバロック美術をあまり意識せずにたくさん見てきたが、本書を読んで改めてその価値を理解したものが多い。

例えば、ルーブル美術館にあるフィリップ・ド・シャンパーニュの『1662年のエクス・ヴォート』は2人の修道女が感謝の祈りを捧げている実に清澄で印象的な名画だが、元来は修道院に入っていた画家の娘が重い病を修道院長の祈禱で治癒された感謝の印として修道院に奉納した奉納画(エクス・ヴォート)であり、その由来が文字で絵に描き込まれている。

 

私自身は、著者の『カラヴァッジョへの旅』を携えてローマとナポリ、さらにマルタ島にも赴いてカラヴァッジョの絵画を堪能した(『カラヴァッジョ《聖マタイの召命》』の拙レビュー参照)。その前は、プラド美術館などにある「修道士たちの画家」スルバランの静謐極まりない絵に惹かれたが、本書を読んでバロック美術の精神性と内面性を理解することができた。

 

なお、本書の多数のカラー画像はできれば大画面のタブレットなどで拡大してみることをお勧めする。


マルタ島の聖ヨハネ准司教座聖堂の祭壇と
カラヴァッジョ「洗礼者ヨハネの斬首」 2018年4月撮影


  

◎2024年2月18日『軍事力で平和は守れるのか―歴史から考える』南塚信吾他

☆☆☆☆「バンドン精神」をどう継承していくのか?

本書はウクライナ戦争の衝撃から今日の国際平和のあり方を論じていくが、最後の小谷氏の「バンドン精神」に関するコラムを見ればわかるとおり、かつての非同盟運動の再評価とそれへの期待で結ばれている。

すなわち、表題にあるとおり軍事力では平和は守れず、多国間の重層的な連携による平和構築こそが必要だという趣旨である。

ただし、非同盟運動は冷戦時代こそ東西両陣営に属さず軍事的緊張を緩和する役割を果たしたが、冷戦崩壊後の現在の国際情勢でどこまで有効かは明らかでない。なによりも、かつての非同盟運動のシンボルだった周恩来(中国)やネルー(インド)やチトー(ユーゴスラビア)のような旗手も国も存在しない。中国は核軍事大国であり東アジア情勢の不安定要因となっているし、インドも核軍事大国の道を歩んでいる。

また、2015年にアジア・アフリカの90カ国首脳がバンドン精神を確認したというが、彼らがウクライナ戦争で平和のイニシアチブを発揮した形跡がない。

 

他方、本書が指摘するように、ウクライナ戦争はNATOの東方拡大を背景としつつ、ロシアとウクライナの歴史的関係、プーチンの支配欲といった長期的、中期的、短期的な要因が重なって起きたものであり、外交の失敗を冷静に分析する必要がある。この点、台湾については、アメリカも日本も「1つの中国」政策を建前上は受け入れて中国と国交回復をしているし、台湾政府も「独立」を宣言しない慎重な態度をとっており、外交的に戦争回避の努力がなされている。

残念ながら世界は日本も含め軍備拡張モードが強まっているが、軍備拡張が多くの場合戦争の背景になってきたし、いったん戦争が始まると人的・物的な大量破壊が生じてきたという本書の指摘は重要である。

その意味で、軍備拡張ではなく、バンドン精神を継承して今日の世界に活かす方向を平和憲法をもつ日本が模索するのは理想論にとどまらない現実的課題であろう。



◎2024年2月11日『御成敗式目 鎌倉武士の法と生活』佐藤雄基

☆☆☆☆☆「有名な法」から透けて見える中世日本社会

御成敗式目(貞永式目)を北条泰時がつくったことは誰もが日本史で学び知っている。

しかし、その内容や後世への影響についてはほとんど学ぶことがない。

しかも、英訳などの外国語の現代語訳と注釈はあるのに、日本語の現代語訳と注釈書がほとんどないという。

本書は、この「有名な法」の成立と射程、式目51条の内容、後世への影響について紹介した労作といえる。

 

なによりも式目の条文51条の包括性と体系性に注目した。

本書末尾には51条全文が掲載されているうえ、その要旨が一覧表にわかりやすくまとめられている。それによると、守護、地頭、荘園領主の職分と管轄、刑罰法規、土地を中心とする財産法、家族法、相続法、訴訟手続法がすべて含まれており、いわば中世六法である。

法規範にはそれを必要とする社会的事実(立法事実)が存在する。したがって、式目がこれだけ包括的な法条を定めたのはその立法事実としての社会的紛争があったということだ。源平騒乱(治承・寿永の乱)後に西国の平家所領を没収して地頭を置き、荘園制度を基礎とした社会の安定を図るためにこうした六法が必要だった。

例えば、刑罰法規の「悪口の罪」や「人を殴る罪」などは武士社会の荒々しさを反映しているし、子や家来に与えた所領の「悔い返し」(取り戻し)などは御家人の「家」の安定をはかる制度である。また、20年の時効制度のようなものもあり、現代民法の取得時効の起源という説もあるらしい。さらに、訴えと反論を保障した「三問三答」の訴訟手続や証拠法のようなものまで整備された裁判システムは、法制史的に実に興味深い。

 

著者によると式目は幕府と御家人の間の規範として定められたというが、そのわかりやすさと幕府権力の伸長に伴い公家や庶民も含む全社会に通用するようになっていき、ついには最も有名な法となったのだという。式目の上記の包括性と体系性をみても、公家社会に代わる初めての武士権力の統治への意気込みが感じられる。

 

後世への影響という点では、1524年と1529年に木版で出版されて流通したのが画期的で、近世では法律書というよりも一般の実用書のように扱われて、寺子屋の教材にまでなったという。

近現代においても、マグナ・カルタと比較されたり、象徴天皇制の起源といわれたり(山本七郎)しているのは「有名な法」ゆえのことだろう。

著者には、式目の現代語訳と注釈を是非とも刊行してほしい。 



◎2024年2月10日『損害賠償訴訟と弁護士の使命』鈴木利廣

☆☆☆☆☆医療訴訟、薬害訴訟に弁護士はどう臨んでいるのか

著者は医療問題弁護団の創設、薬害エイズ訴訟、薬学肝炎訴訟などで著名な弁護士であるが、本書は著者の長年の経験と研究の成果を、医事関係訴訟に関心のある若手弁護士や法科大学院生に向けてまとめたものである。

内容は、損害賠償法の法理論や薬害などの集団訴訟の審理の取り組み方が要点を絞って記載されていることに加え、実際の訴訟における意見書や審理計画、弁護士向けの研修資料などが添付されている。

損害賠償法では注意義務の構成が問題となるが、著者は可能な限り作為型(危険の作出)で構成することが必要だとしている。不作為型(作出された危険の放置)で構成すると因果関係立証や注意義務違反判断のハードルが高くなるからである。

医療における自己決定との関係では、尊厳死・安楽死の問題にも触れてある。京都ALS嘱託殺人事件でも話題になったが、日本では死が間近に迫った状況での延命措置の回避や緩和ケアによる消極的安楽死以外は認められていない。著者はこうした終末期要件を欠いた状況での尊厳死・安楽死は自己決定があったとしても違法という抑制的立場を維持している(なお、シーラッハ著『神』のレビューを参照されたい)。


資料の中では、とりわけ薬害エイズ訴訟の第1回期日(19901月)に原告弁護団が提出した意見書が歴史的文書として貴重である。当時はまだエイズ治療ができない時代で、エイズが発症すると短期間で確実に悲惨な死を迎える時代だった。血液製剤によってHIV感染した原告の血友病患者や遺族らは、損害賠償というよりも1日も早い治療方法の開発と健康維持を求めて訴えを提起した。その「生きるための訴訟」という切実さと切迫感が感じられる意見書である。

医療過誤訴訟の1995年以降の最高裁破棄判決一覧も興味深い。ただ、2007年以降は認容判決の破棄、すなわち患者側逆転敗訴が目立つのが気になるところである。



◎2024年2月3日『教養としての建築入門 見方、作り方、活かし方』坂牛卓

☆☆☆☆「建築の哲学」概論

本書は「建築入門」といっても、「使用者・鑑賞者の視点」、建築を設計する「建築家」の視点、建築が存在する「社会」の視点の3つのアプローチで著者の考えをまとめたものであり、建築とは何かについて多面的に考察を加えた、「建築の哲学」概論とでもいうべきものである。

著者自身は、建築家として東京湾アクアラインの「風の塔」(添付写真の印象より巨大な塔である)の設計やドバイの世界で2番目の超高層ビルの設計に関わったことが紹介されている。

 

まず、古代ローマの建築家ウィトルウィウスの「用・強・美」の建築原理が現代まで維持されているとのことで、改めてローマ人の偉大さを感じる。この原理に沿って、建築設備や環境などの使用・用途(用)、基礎や柱梁などの構造(強)、意匠や計画や歴史(美)の各分野が論じられる。

次に、著者はカント哲学を援用しつつ、「自律的建築と他律的建築」という視点を強調する。ただ、あえてカント哲学を引用するまでもなく(カントの「自律」とは倫理的法則に関するもの)、著書の趣旨は次の自律・他律の区別を見ればわかりやすい。

《建築の形、空間、素材など、建築を作るときに避けては通れぬ概念を「建築に内在する概念」と呼び、これらの概念で作られる建築を「自律的建築」と呼ぶ。他方、使用者、自然、社会、風土、物語など、建築に関わるものの建築それ自体とは一線を画す概念を「建築に外在する概念」と呼び、この概念で作られる建築を「他律的建築」と呼ぶ。》

近代のモダニズム建築は自律的なものを目指し、箱形の建築が世界を席巻したが、これは政治経済的帝国主義の時代に即した流行だったと著者は分析する。ただし、モダニズムの代表的建築家であるミース・ファン・デル・ローエは建築に重要なのは時代精神であると語り、ル・コルビュジエは健康で倫理的な住宅を提唱したというから、内在と外在が截然と区別されたわけでもないようだ。

他方、社会、政治、経済の建築への影響という点では、著者はイタリアとドイツのファシズム建築、ソ連のスターリン古典主義建築(スターリンゴシック」)や中国天安門のモニュメント建築、資本主義社会の超高層ビル競争(利用しやすさよりも商品価格を重視した建築)、さらには建築の「交換価値化」としてのリート(REIT)にまで言及しているが、著者は「商品化が過度に進むと、商品価値を失った建築は放置されて捨てられてしまう」と指摘する。

これに対し、著者は商品化を回避する方法は建築の自律性を高めることだというが、時代や社会との関わりを失った抽象的建築の行き着く先が商品化であろう。その点では、最後に著者が強調する「建築の公共性」こそが時代、社会、地域との関わりで重要ではないかと思う。

 

なお、本書の添付写真は電子版ではカラーに差し替えられている。他社も電子版の利点を活かして、写真のカラー化を図ってもらいたい。

 

(シドニーのオペラハウス 2016年1月撮影)

 


◎2024年1月29日『日本の建築 (岩波新書)』隈研吾

☆☆☆☆モダニズム「革命」からバブル崩壊を経て、日本建築の再発見へ

著者は現代日本を代表する建築家であり、最近では2020東京オリンピックの国立競技場設計を想起する(当初のザハ・ハディド設計白紙化後の設計者)。ただし、国立競技場についてのコメントは残念ながらない(以前の丹下健三設計のものは紹介してあるが)。

その著者が、日本の近現代建築史を批判的に総括して、在来の日本建築のよさを再発見するというから刺激的である。

ただ、論述はモダニズムに対するアンビヴァレントな評価や建築思想をめぐる二項対立が様々に組み合わさっており、専門用語も多用されているため、ややわかりにくい。また、写真や設計図が要所に挿入されているが、できればカラーにしてほしかった。

 

モダニズム建築というと、現代都市の鉄筋コンクリートとガラス張りの巨大ビルを連想するが、著者によるとモダニズムはもともとは王侯貴族の館でなく市民の邸宅に求められた「小さな建築」のための道具であり、「西欧における数寄屋建築」なのだという。たしかにル・コルビュジエの有名なサヴォワ邸などは個人の住宅だし、日本に残された国立西洋美術館も来館者のために細部まで意匠を凝らした建築である。ちなみに、本書で紹介されている丹下健三自邸は一見サヴォワ邸のようだが、築山の庭に面してピロティの1階の上に畳敷きの書院風建物を乗せた和洋折衷建築で、まるで古代の高床式建築のようである。

しかし、因習や装飾を排して普遍的で抽象的な機能美を求めるモダニズム建築は現代都市の巨大建築にも適合し、ガラス張りののっぺりとした巨大ビル群を生み出した(丹下健三はモダニズムの「機能的なものは美しい」というテーゼを逆転して「美しきもののみ機能的である」と語ったというが、これはヘーゲル『法の哲学』の「理性的なものは現実的、現実的なものは理性的」という有名な洞察のもじりであろう。しかし、機能と美との間に必然的な因果関係はない)。

著者はモダニズム建築の非人間性と冷たさに対して、ブルーノ・タウトの「場所と一つに接続された市民のためのやさしい家」を対置させ、タウトが愛した桂離宮などの日本建築を再評価していき、モダニズムとは一線を画した日本の建築家を多数紹介している。

 

バブル崩壊後、著者は東京での仕事がゼロとなって自らも「失われた10年」になったというが、その間に携わった高知県檮原町の芝居小屋の改修をいわば「回心」の体験のように紹介している。そこでは、職人たちと交流しながら木造建築をつくる「物づくりの体験」から、「建築がコミュニティとつながっていて、コミュニティと切り離せない」関係にあることを学んだという。

柔らかく細い木材と障子・襖などの引き戸の組み合わせに日本の在来建築の優れた点を見るという視点は意外性があるが、これを今後の現代建築にどう応用していくのか興味深い。

 

なお、法隆寺の柱の膨らみが古代ギリシャ建築由来の「エンタシスの柱」というのは東大建築学科の「反逆者」伊東忠太教授が唱えたものだが、著者によるとこれは何の根拠もない珍説で、和辻哲郎が名著『古寺巡礼』で紹介して有名になったという。伊東忠太氏はあの独創的な築地本願寺の設計者であり、なるほどと思う。

(法隆寺・回廊の柱 2021年11月撮影)

         


◎2024年1月23日『温泉旅行の近現代』高柳友彦

☆☆☆近世以降の温泉と観光旅行の歴史を概観 データが豊富

ご多分に漏れず私も温泉好きで、年に数回は温泉に行く。

本書は江戸時代以降の温泉の歴史を利用者の観点から概観したものである。

湯治療養から大衆の娯楽、観光とレジャーの拠点となるまで、全国の温泉地の栄枯盛衰がデータを示して描かれており、温泉に関する知識の整理にはなる。各地につくられたヘルスセンターや「常磐ハワイアンセンター」(現在は「スパリゾートハワイアンズ」)などの温泉施設の歴史にも触れてある。

 

ただ、内容は温泉ファンならほぼ既知か想定内の話である。

昭和の戦後以降の歴史についていえば、確かに高度成長期からバブルの頃までは会社の慰安旅行などの団体旅行が大規模な温泉旅館で行われていたが、近年は団体旅行は不人気であり、秘湯ブームなどの個性と特色を売りにした温泉が人気があるようだ。

竹下内閣の「ふるさと創生事業」でたくさんの温泉開発が試みられたときは「ばらまき」批判が強かったが、そうした批判的な視点は弱い(一部は温泉開発の成果が上がったようだが、それが在来温泉地を圧迫しなかったのか、開発に失敗した多数の自治体のその後など)。

また、温泉だけではなく、公衆浴場や健康ランドのような浴場施設との関係も検討してほしかった。

 

なお、日露戦争後や第一次大戦後、さらにはアジア太平洋戦争の際には温泉地が傷病兵の湯治療養に大規模に利用されたという。温泉旅館が「温泉報国」などと要請される時代が繰り返されないように願いたい。

(群馬県・草津温泉にあるベルツ博士の像 2022年8月撮影)


 

◎2024年1月20日『満蒙開拓団 国策の虜囚』加藤聖文

☆☆☆☆☆国策として推進された満州移民。敗戦後はまさに「棄民」

戦前の満州開拓団というと、敗戦後の阿鼻叫喚、辛酸を極めた引き揚げの物語や集団自決の悲劇、さらには日中国交回復後の「残留孤児」の帰国問題のイメージが強いが、本書によるとその歴史を日本の政策面で研究した文献がほとんどないというから驚く。

本書はその空白を埋め、満州移民を推進した官僚や軍部の責任者を実名で明らかにし、敗戦後のまさに「棄民」扱いとしかいえない冷酷極まる日本政府の対応を描いた文献として注目される(著者は「棄民」という言葉を使っていないが、これは開拓団の推進は農政的な意図を持ったものだからだろう。しかし、一般に満州「棄民」と言われるのは敗戦前後の事態を指すのではないか)。

 

本書の大部分は満州開拓団が組織され、それが国策に至る経緯の分析であるが、当初は戦前の寄生的な地主制度の下で人口増加に苦しむ農村の救済策として移民が構想された。移民を扱う「拓務省」はブラジル移民を推進していたが、満州事変から満州国誕生に至る過程で満州移民推進へとシフトする。他方、満州を支配する関東軍は対ソ戦を意識して日本人移民の入植を推進したが、これは軍事的拠点としての開拓団である。この両者の思惑が重なって、「百万戸移住」目標が国策とされて満州移民が推進されるのだが、いったん国策となれば全国北海道から沖縄まで半ば強制的に移民が割り当てられたというから、国家の力は恐ろしい。移民の割り当ては各地の村内の母子家庭などの弱者にターゲットが当てられ、被差別部落民にまで及んだ。

開拓団の送出はなんと敗戦直前の19457月まで続き、最後の開拓団はソ連侵攻で満州にたどり着けなかった。

 

結局、開拓団として送り出された人員は義勇隊等も含め27万人に及ぶが、敗戦後に帰国できずに亡くなった人は7万人を超えるという(正確な調査がされていないこと自体が驚きである)。

開拓団の悲劇は侵攻したソ連軍の責任のようにされているが、実際には開拓団は軍事拠点として位置づけられていたのだから、ソ連軍の攻撃対象となったのは当然である。しかも、関東軍は敗戦前年からソ連侵攻を予期して開拓団の避難を検討したが、侵攻誘発を恐れて避難をさせなかったという。さらに、開拓団の成年男子は関東軍に「根こそぎ召集」され、残された女性や子供、老人がソ連軍の犠牲になった。関東軍は満州東部以外の4分の3を放棄して防衛線を引いたというから、まさに残された開拓団は見捨てられたというしかない。

 

戦後も引き揚げられなかった残留婦人、残留孤児の扱いはさらにひどい。

日中国交回復前にも、1952年以降は民間経済交流が再開し、残留者の問題は認識されていた。にもかかわらず、中国人の配偶者となった婦人や出生した子供の帰国は認められず、1959年には岸内閣が戦争行方不明者の失踪宣告を可能とする特別措置法を成立させたことで、満州の未帰還者は死者として戸籍から抹消された。残留孤児の帰国問題がようやく本格化したのは、日中国交回復後の1981年以降である。これを「棄民」と呼ばずになんというべきか。

これに対し、満州移民を推進した官僚や学者たちの無責任と厚顔無恥にはあきれるばかりである。彼らは戦後も重要な役職についたが(例えば、内務官僚で拓務省拓務局長として満州移民を推進した安井誠一郎は戦後は厚生次官、東京都知事となった)、彼らが残留者の帰国に尽力した形跡はない。移民推進のイデオロギー的中核だった加藤完治に至っては戦後は開拓団の慰霊碑を「拓魂碑」と命名したというが、これは「忠魂碑」に倣ったもので、犠牲者を英霊として移民政策を正当化するものである。  



◎2024年1月13日『黒い錠剤』パスカル・エングマン

☆☆☆☆女性への虐待と「憎悪犯罪」を告発

北欧の社会派ミステリーの新たな旗手ということで、本作を読んでみた。

描かれているのは女性に対する様々な虐待、レイプ、とりわけ憎悪犯罪である「インセル」である。

実は「インセル」という言葉には初めて接するが、“Involuntary Celibate”の略語で、本書では「不本意な禁欲主義者」と訳されている。#Me-too運動による女性からの告発に対抗するように、女性に対する憎悪を募らせる男性たちがネットを通じてつながり、行動がエスカレートして無差別テロへとつながる事件が実際に欧米では起きているというが、日本ではどうだろうか。

 

ミステリーとしては、複数のストーリーを並行的に展開していき、それが最終的に交錯していく巧みな構成となっているが、登場人物が多すぎて途中まではかなり戸惑う。冒頭に登場人物一覧があるが、いちいち戻って調べるのは煩雑である。

ただ、レイプや殺人の描写がどぎついし、人がたくさん殺されすぎる。それだけ凶悪犯罪とテロが身近な社会になっているということかもしれないが。

 

なお、本書の原題は“Råttkungen”(ネズミの王)で、本文中に登場する言葉だが、多数のネズミの尻尾が強く絡まりあって動けなくなった状態のことを言うらしい。これに対し、本書の表題「黒い錠剤」は訳者解説を読まなければわからず、本文中には全く出てこない。このような表題の付け方は疑問であり、「ネズミの王」でよかったと思う。 


 

◎2024年1月12日『ブルックナー:交響曲選集[DVD]』フランツ・ヴェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団

☆☆☆☆☆3カ所で録画されたライブ映像が素晴らしい

2007年から2012年までにライブ録画された演奏だが、録画場所が交響曲第4番と5番がリンツ郊外のザンクト・フローリアン修道院、7番と8番がクリーブランド管弦楽団の本拠地であるセヴェランスホール、9番がウィーンのムジークフェラインザールの3カ所に分かれている。

 

まず特筆すべきは、この3カ所のライブ映像の素晴らしさである。

ザンクト・フローリアン修道院はブルックナーがオルガニストをしていた縁の地で、バロック様式の壮麗な教会建築が見もの。私もリンツから1日数本のバスで訪れたことがあるが、田園に浮かぶような巨大な修道院と教会である(画像は2018年8月撮影)

セヴェランスホールはこの映像で初めて見るが、外観はネオルネサンス様式の堂々とした建築で、内部は広々とした美しいコンサートホールである。

ムジークフェラインザールはウィーンフィルのニューイヤーコンサートでおなじみのコンサートホール。

DVDの映像は非常に鮮明で、会場の様子や指揮者と楽団員の演奏がくっきりと映し出されている。

 

もちろん演奏も素晴らしい。ウェルザー=メストの指揮は端正でキビキビしており、クリーブランド管弦楽団は大編成でブルックナーの響きを堪能させてくれる。特に、金管の安定した力強い演奏は威力満点である。

なお、第8交響曲では時々聞き慣れないフレーズが入るが、これは「第1稿のノヴァーク校訂版」によるものだろうか。

 

ウェルザー=メストは現在は癌の治療で休演しているが、なんとか回復して演奏を再開してほしい。



◎2024年1月9日『外事警察秘録』北村滋

☆☆☆☆外事警察の活動を当事者の視点で描く

著者は警察庁の外事警察のキャリアを歩み、民主党内閣から第二次安倍内閣まで内閣情報官、国家安全保障局長としてインテリジェンス(意思決定のための情報収集)の中枢を担っていた。本書はその当事者の視点で、日本の国家的重要事件(北朝鮮拉致事件、オウム事件、日本赤軍、原発災害、中国やロシアのスパイ活動等々)を描いたものであり、守秘義務の制限はありつつも外事警察の活動を知ることができる貴重な文献といえる。

12章のそれぞれが1冊の本になり得る重量感のあるテーマを、公表された内容を中心に外事警察の活動の触りを紹介しているが、それでもインテリジェンスのプロの考え方と活動の一端がわかる。

例えば、オウム真理教事件は刑事警察は凶悪な犯罪組織として対応したが、外事警察はロシアコネクションの太さに注目し、オウムがクーデタで国家転覆を狙う組織でロシアが国家的組織的にその武装化や化学兵器製造の援助をしたのではないかと見たという(ロシアの組織的関与は立証できなかったというが)。

また、福島原発事故後の対応については、同盟国であるアメリカや諸外国との情報連携が初期に全くとれていなかった問題点を重視し、外事警察が主導してその解消に腐心した。多数の軍人軍属を駐留させていたアメリカは放射能汚染の拡大を恐れて80キロ圏外への米国民の避難を指示したというから、事態の深刻さがわかる。他方、アメリカの原発情報への関心は「大量破壊兵器のカテゴリー」という軍事的側面もあり、放射線とサリンには共通点があったとのこと。

 

さらに、第二次安倍内閣時代の特定秘密保護法案については、まさに立法推進の中心人物としての活動が描かれている。野党やマスコミは法案反対の立場で、大きな反対運動が展開されたが、著者は読売などのマスコミ対策、連立与党の公明党対策などの手順を踏んで根回しし、法成立を裏方で支えた。

インテリジェンスの観点からは、秘密保護法制の目的は海外から機密情報を得るためのものだという。すなわち、「厳重な漏洩防止の仕組みを作って情報の提供国に安心感を与えなければ、そもそも情報を受けることすらできない」からである。

ただし、こうした著者の観点はあくまでも外事警察サイドのものであり、言論報道の自由とは緊張関係にあることは注意すべきである。安倍元首相は後に、「(批判された)治安維持法のようなことは起こらなかった」と語ったらしいが、危惧されたような言論の自由の侵害がまだ起きていないとすれば、それは反対勢力の強い批判の存在で法案が修正され運用が厳格になされているからであろう。戦前の治安維持法やかつての外務省機密漏洩事件(西山記者事件)は重要な教訓として存在している。

 

なお、最近問題となった大川原化工機事件はまさに外事・公安警察がらみの冤罪事件である。噴霧乾燥機が生物兵器に転用できると見立てて立件されたこの事件は完全な冤罪と判明し、起訴が取下げられて国家賠償請求訴訟が起こされた。著者はこの事件を当然把握していたものと思われるが、何かコメントがほしかった。



◎2024年1月7日『読み書きの日本史 (岩波新書)』八鍬友広

☆☆☆☆☆「正統的周辺参加」から学校教育へ ー読み書きを考える労作

私は子供の頃からの読書好きで、仕事も文書作成が大きな部分を占め、かつ趣味で読書レビューまでしているのだが、こうした日常的な「読む行為」と「書く行為」の歴史を概観し、その意味と未来を深く考えさせる好著である。

 

著者はまず、文字の読み書きが誰もが身につける代表的技能と見なされているのは驚くべきことだという。確かに、世界には文字を読み書きできない人々がまだ多数いるし、日本でも識字能力(リテラシー)が普及したのはそう遠い昔ではない。明治生まれの私の祖母は新聞が読めなかった。

そもそも日本には長い間文字がなく、漢字が移入され借用されたわけだが、著者はこうした「借用」は文字の普及の基本的な態様であったとし、漢字さえもが他地域からの借用で形成された文字だという説を紹介している。そして、日本では漢字の形、書き方、語義の3段階で受容が進み、万葉仮名から漢字仮名交じり文、漢文訓読、さらには近代に至るまで使用された「候文体」などの多様な文体が形成された。特に、著者が「変体漢文史の最末流に属する文体」と呼ぶ候文は公文書や手紙などに広く用いられ、「書記言語」として時代や地域にかかわらない強固な通用性を発揮したという(ヨーロッパ中世の共通文語であったラテン語を想起する)。

 

こうした文字や文体を習得する教育については、近代の学校教育以前は「往来物」とよばれる、いわば書式集がそのテキストに用いられた。元は手紙の往来を指すが、それだけではなく様々な書式やマニュアル、用語集のようなテキストであり、日本全国で1万に及ぶ多種多様な往来物が作成されたらしい。しかも、これらはすべて庶民が自主的に作成した教材なのである。

往来物の歴史は800年に及ぶとされ、それを教えるのが私塾である「寺子屋」だった。寺子屋は全国に多数展開し、専業の手習師も多数いた。著者は、こうした寺子屋での読み書き学習は完結したものではなく、実生活での職業的OJT(商家の「読み書きそろばん」など)や学問の世界と接続することで完結ものだったと述べており、これを「正統的周辺参加」の過程に読み書きが位置づけられたものだとする。

これに対し、明治以降の学校教育は身分や職業などの具体的状況から切り離された知識を網羅的に教えるものであるとするが、福沢諭吉の『学問のすゝめ』をはじめとする「空前の学びのキャンペーン」にもかかわらず、明治初期の自由教育はすぐには根付かず、実情に合わせて往来物の伝統が国語教育に復活し、言文一致運動で口語文が普及するまで続いたという。

 

なお、著者はこうした「正統的周辺参加」から区別された学校教育について、エーリッヒ・フロムも引用しつつ、近代人の孤独という疎外論的な議論を最後に付記しているが、現代でも専門教育の早期化やOJTの重視など、多くの生徒や学生は早い段階から進路や職業を意識した学習をしているのではないか。周辺参加の過程が長期間になったとはいえるかもしれないが。

かつての「往来集」は現代では各分野の書式集や手紙文例集として進化を遂げたものであり、手紙の「拝啓」「不一」「敬具」などの定型句はその名残(元は中国の「書儀」に由来するらしい)というのは、歴史の継承を感じさせて興味深い。


 

◎2024年1月3日「『ピアノを弾く少女』の誕生」玉川裕子

☆☆☆「ピアノを弾く少女」は良妻賢母のイメージなのか?

著者は終章で本書の課題を以下の3点にまとめている。

1.近代日本においてピアノがどのような過程をたどって「文化資本」となっていったのか。

2.邦楽と、それとは異なる響きを持つ外来の西洋音楽は、人びとが日常的に親しむ音楽として、どのように主役の座を交代していったのか。

3.「ピアノを弾く女性」というイメージが近代的ジェンダー規範とどのように結びついていたのか。

このうち、1,2については明治時代の欧化政策と軌を一にした西欧音楽の導入と、琴や三味線といった和楽器からヴァイオリン、オルガン、そしてピアノという洋楽器への転換が徐々に進んだ歴史が描かれており、とても興味深かった。また、漱石の小説の音楽的観点からの分析も面白かった。

ただ、3については、「ジェンダー規範」の観点が繰り返し強調されるが、首をかしげるところが多い。特に、「ピアノを弾く少女」が良妻賢母の記号的イメージを喚起するという点は全く疑問である。確かに、明治国家の儒教的倫理観や近代資本主義の家父長的女性観が、為政者に家庭領域における女性の役割として音楽を期待したことは理解できるが、一家団欒で演奏会を行うような「家庭音楽」は(皇族や華族は別として)実現しなかった。また、著者が描くように、東京音楽学校(東京芸大の前身)では創生期から女性ピアノ演奏家が活躍し、多数の女性教員を輩出している。様々な音楽会のような「公私の中間領域」と著者が呼ぶものについても、ピアノ演奏を家庭内に限定するものでもプロの女性演奏家を排除するものでもなかった。

著者が指摘するように、家父長的社会の様々な制約の中で「音楽は女性にみずからの力を試す機会を与えてくれる希少な場」であり、そのチャンスを逃さなかった女性たちがプロの演奏家として活躍していったのであり、「良妻賢母」のイメージとはほど遠い。実際、明治大正期を描いた小説や映画などをみても、ピアノを弾く女性のイメージは良家の子女であるとともに、活発で自立した女性のイメージを喚起させるのではないか。

 

なお、著者はドイツでは「管楽器や弦楽器の演奏が女性にはタブーとされていた」という驚くべき話を紹介している。曰く、管楽器は息を吹き込むために顔を膨らませるのが女性らしくないとか口と楽器が接触している様が男性に好ましからざる連想をさせるとか、弦楽器は古来より女性の身体に比せられたため女性が演奏すると同性愛を連想させるとかチェロを女性が演奏する姿勢が男性の欲望を刺激するとか・・・。これに対して、ピアノは身体に接触する部分が少ないし、持ち運びができないので家に女性を囲い込むことができるという。こうしたイメージがどれだけドイツ社会で共有されていたのか疑問だが、少なくとも戦前の日本社会でこのようなイメージはほとんどなかったのではないか。

 

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