2022年前半読書日記

 

【2022年前半 読書日記】


◎2022年6月23日『キャッチ・アンド・キル』ローナン・ファロー

◎2022年6月15日『枕草子 上下 (ちくま学芸文庫)』

◎2022年6月15日『枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』

◎2022年6月14日『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』ミア・カンキマキ

◎2022年6月1日『「その他の外国文学」の翻訳者』白水社編集部

◎2022年6月1日『Glenn Gould Plays Bach [DVD] [Import]』

◎2022年5月31日『グレン・グールド・バッハ・コレクション [DVD]』

◎2022年5月26日『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から(集英社新書)』斉加尚代

◎2022年5月20日『二本の棘 兵庫県警捜査秘録 (角川書店)』山下征士

◎2022年5月17日『英語の階級 執事は「上流の英語」を話すのか?』新井潤美

◎2022年5月13日『世界』臨時増刊 ウクライナ侵略戦争―世界秩序の危機

◎2022年5月12日『緑の天幕』リュドミラ・ウリツカヤ

◎2022年5月2日『第二次世界大戦秘史 周辺国から解く (朝日新書)』山崎雅弘

◎2022年5月2日『バッハ: ブランデンブルク協奏曲[DVD]』カール・リヒター

◎2022年4月29日『バッハ: ミサ曲 ロ短調[DVD]』カール・リヒター

◎2022年4月26日『バッハ: マタイ受難曲[DVD]』カール・リヒター

◎2022年4月24日『現代の裁判〔第8版〕 (有斐閣アルマ)』市川正人他

◎2022年4月21日『百人一首 (講談社文庫)』大岡信

◎2022年4月14日『百人一首(全) ビギナーズ・クラシックス(角川ソフィア文庫)』

◎2022年4月11日『日本古典と感染症 (角川ソフィア文庫)』ロバート・キャンベル編

◎2022年3月31日『新版 おくのほそ道 (角川ソフィア文庫)』

◎2022年3月25日『芭蕉の風景 下』小澤實

◎2022年3月19日『奈良で学ぶ 寺院建築入門 (集英社新書)』海野聡

◎2022年3月11日『刑務所の精神科医―治療と刑罰のあいだで考えたこと』野村俊明

◎2022年3月3日『帝国の計画とファシズム: 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』ジャニス・ミムラ

◎2022年3月1日『ベートーヴェン、21世紀のウィーンを歩く(集英社)』曽我大介

◎2022年2月26日『三省堂基本六法2022 令和4年版』

◎2022年2月18日『会社法(第2版) (有斐閣ストゥディア)』中東正文ほか

◎2022年2月18日『大鞠家殺人事件』芦辺拓

◎2022年2月15日『大いなる遺産 下 (河出文庫)』ディケンズ

◎2022年2月10日『大いなる遺産 上 (河出文庫)』ディケンズ

◎2022年2月6日『子連れ狼 大合本1-10』小池一夫

◎2022年2月2日『荒涼館4 (岩波文庫)』ディケンズ

◎2022年1月30日『荒涼館3 (岩波文庫)』ディケンズ

◎2022年1月29日『民法判例百選Ⅱ 債権(第8版) 別冊ジュリスト』

◎2022年1月28日『チェーザレ 破壊の創造者(13) 』惣領冬実

◎2022年1月24日『荒涼館2 (岩波文庫)』ディケンズ

◎2022年1月16日『荒涼館1 (岩波文庫)』ディケンズ

◎2022年1月7日『民法判例百選I 総則・物権(第8版) 別冊ジュリスト』

◎2022年1月1日『知的財産法入門 (岩波新書)』小泉直樹


 

◎2022年6月23日『キャッチ・アンド・キル』ローナン・ファロー

☆☆☆☆☆告発されているのはマスコミのセクハラ隠蔽体質

Me-too運動のきっかけとなった映画プロデューサー・ワインスタインのセクハラ、レイプ告発報道が日の目を見るまでの、著者らジャーナリストの壮絶な苦闘を描いた息詰まるノンフィクションである。しかし、読み進めていくと、告発されているのはワインスタイン個人というよりも、著者自身が属するマスコミ(NBC)の旧態依然たる女性差別的体質とセクハラ隠蔽体質であることがわかる。

本書の表題となっている「キャッチ・アンド・キル」とは、タブロイド業界がスキャンダルのネタを「捕らえて殺す catch and kill」ことなのだという。すなわち、報道すべき事件を報道せずに加害者に対する取引や脅迫に使う。このようなことを一流マスコミがやっていたという事実が衝撃的である。

 

Me-too運動で次々と著名な映画監督や俳優らが告発されたことに驚いたが、本書を読むと現実にワインスタインのようなサディスティックな女性虐待者がマスコミや関連業界にゴロゴロいること、また、こうした告発が表に出るまでには泣き寝入りさせられた被害女性たちの長い苦難の前史があったことがよくわかる。まさに男性優位社会の構造的犯罪というほかない。

そして、こうした業界の隠蔽体質を維持してきたのが、セクハラ加害者の用心棒のような弁護士事務所が提供する「秘密保持契約」(NDA)なのである。秘密保持契約は本来は企業秘密やノウハウを保護するためのものであるが、ここではセクハラやレイプといった犯罪行為を隠蔽するために利用される。この契約により、被害女性たちに莫大な示談金が支払われる一方で、秘密を暴露したら巨額の損害賠償を行うと脅される。こうして被害女性たちは泣き寝入りしてきたわけである。

ただ、法的にはこのような犯罪隠蔽の秘密保持契約は公序良俗違反として無効ではないか、あるいは示談金をはるかに上回る巨額の損害賠償条項は違法不当ではないかとの疑問は当然あり得るところであり、Me-too運動をバックに秘密保持契約の効力に関する議論がすでに起きているようだ。

 

なお、本書でモサドのスパイまで利用してワインスタインを守ろうとした弁護士事務所は、血液検査ベンチャーで巨大詐欺事件を引き起こしたセラノス事件で、セラノスの依頼を受けて活動していた弁護士事務所と同じであり、やはり秘密保持契約が従業員による犯罪暴露を妨げるために悪用されている(『BAD BLOOD』参照)。

 

 

◎2022年6月15日『枕草子 上下 (ちくま学芸文庫)』

☆☆☆☆訳文は丁寧でわかりやすいが、原文に読点をつけすぎ

枕草子全文が各段ごとに、原文、訳文、評釈の順で記載されており、読みやすい配列だ。

古語や文法の注釈はないが、学習者以外には煩雑なのでこれでよいと思う。

訳文は原文直訳ではなく、書かれていることの背景や周辺事情を踏まえて文意を補ってあるため、原文よりかなり分量が増えている(倍以上になっている段もある)が、現代の読者にはわかりやすくて親切である。

ただ、原文になぜか文節ごとに読点「、」が打ってあり(例えば「いと、をかし」など)、非常に読みづらく、原文のリズムを損なっている。句読点は明治以降のもので原文にはなかったものだが、なぜこのように読点を多数打つのか意味不明である。

 

源氏物語の「もののあはれ」の憂愁を含む情趣の世界に対し、枕草子は「をかし」の知的で明るい世界であると言われる。

しかし、藤原道長をバックにした中宮彰子のきらびやかなサロンに対し、没落しつつある中宮定子のサロンを盛り立て、持ち前の知的な明るさで定子を支えようという清少納言の努力も読み取れるのではないか。

例えば、第6段の中宮定子が大進生昌の家に出産で下がる場面は、本来なら中宮の立場にそぐわない小さな邸宅に行く惨めな話なのだが、清少納言は門構えの小ささや生昌の行き届かない対応をあえて面白おかしく、漢文の知識を誇るようなやりとりもわざと交えて、明るく描いている。読みようによっては涙ぐましい努力と言えよう。

 

 

◎2022年6月15日『枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』

☆☆☆☆訳文と寸評でわかりやすく工夫されているが、全文ではない点に注意

誰もが知っている清少納言の枕草子であるが、実は全文を通読した人は少ないのではないか。

本書はビギナーズとはいっても、古文学習用ではなく、大人が気軽に古典を楽しむためのものといえる。

各段ごとに、訳文、原文、評釈の順で構成され、古語や文法の注釈はない。まず現代語訳で文意を理解し、その上で原文のリズムを味わうという趣向である。

訳文はかなりくだけた表現であり、格調の高さよりも親しみやすさ、わかりやすさを優先したと思われる。評釈とコラムも手頃な長さである。

ただ、本書は枕草子全文ではなく、各段の重要箇所を抜粋されており、物語的な長い段はかなり端折ってある。また、「・・・のもの」という枕草子特有の事物列挙の段は省かれている。その点ではまさにビギナーズ向けであり、物足りない人は全文を入手する必要がある。

 

 

◎2022年6月14日『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』ミア・カンキマキ

☆☆☆☆キャリア女性の自己探しの友としての清少納言

大手出版社に勤めるアラフォーのキャリア女性が自分の人生に飽きてしまい、「もうここにいたくない」という気持ちになって長期休暇を取ったのが本書誕生のきっかけである。

いわば中年期に陥るアイデンティティクライシスであるが、そこで(文学研究者でもなく日本語もできないのに)フィンランドから清少納言の研究のために来日するという選択を思い立った著者の行動力がすごいし、それを許容するフィンランドの長期休暇制度や助成金の支援もすごいとまず感心する。

 

著者自身は「自伝紀行文学」とインタビューで語ったそうだが、本書は著者の自分探しの長期休暇を日記風の随想で語った作品である。

著者は清少納言を「セイ」、紫式部を「ムラサキ」と呼び、どちらもまるで現代に生きているかのような感覚で語る。

特に、セイは著者自身の分身のように身近に感じられており、セイに語りかけるように随想が綴られる。というのも、セイは1000年前の存在ながらキャリア女性の元祖であり、今日のブロガーのようなスタイルで自己主張するからだ。そこで著者は、セイとはどのような女性で、いったい何を考えていたのかを、セイの活躍した京都で身近に感じとりたいと思うのである。

実は、私も少年時代を京都で過ごし、著者の滞在した吉田山近辺はよく歩いたものだが、京都に住んだことのある人に限らず、京都を訪れたことのある人なら、著者の歩き回った吉田山近辺や哲学の道、あるいは鴨川や祇園は馴染み深いだろうし、著者がこれほどまで京都の風情を愛してくれるのをうれしく感じるのではないか。著者は南座で歌舞伎(市川海老蔵主演の義経千本桜)にまで熱中したというから徹底している。

 

清少納言の評価については、紫式部日記の影響で「漢詩の素養を鼻にかける嫌な女」のようになっており、海外の研究書はさらに少ないが(『枕草子』Pillow Bookは春本と間違えられる由!)、著者は現代のキャリア女性ならではの視点で清少納言を評価する。特に、源氏物語に代表される「もののあはれ」のメランコリックな世界と清少納言の「をかし」の世界を対比して、後者に共感する感性が著者ならではで興味深い。また、清少納言に限らず小野小町や和泉式部らの才気ある平安女性がその後の男性社会で貶められてきた原因に関するジェンダー的考察もなるほどと思わせる。

 

このように本書は著者の自己探しの旅物語であるとともに、日本の読者にとっても清少納言を現代の視点で見直させる刺激的な著作といえる。

ただ、単行本で500頁近い分量は長すぎる。繰り返しが多く冗長な部分があるうえ、東日本大震災と原発事故、それに続くタイのブーケットでの避難生活の40頁に及ぶ記載は主題から離れすぎ、なくもがなである。

なお、Kindle版では文中の注記がジャンプするようにしてもらいたかった。

 

 

◎2022年6月1日『「その他の外国文学」の翻訳者』白水社編集部

☆☆☆☆☆「その他外国文学」翻訳者が切り拓く新しい世界

冒頭、このAmazonで書籍分類される「その他外国文学」が引き合いに出されるが、確かに本書に登場するヘブライ語からチェコ語までの9人の翻訳者の専攻は日本ではマイナー言語である。

ただし、ポルトガル語は旧植民地のブラジルやアンゴラ等を含めると世界第7位の人口であるし、日本と歴史的経済的に関係の深いタイの言葉がマイナー言語扱いされるのは意外ではある(後者については、タイに限らずアジア諸国と文化面での交流が少ない明治以降の欧米中心的な日本文化のあり方が反映しているのだろう)。

 

それにしても本書の9人の翻訳者が語る経歴と言語とのかかわりは、まさにフロンティアスピリットそのものである。東京外語大学出身者が多いのはさすがであるが、辞書も文法書もほとんどないマイナー言語に挑戦し、ルートも少ない海外留学や海外交流の機会を探して果敢に取り組んでいく姿勢には全く頭が下がる。

このような先人の挑戦と信じられない努力があってこそ、海外の多様な文化、特に文学作品に我々が接することができるのだと改めて感得した。

また、文学作品の翻訳は各国の文化と歴史、さらには政治問題をも知ることが不可欠であり、本書では翻訳者の苦労を通じて、あまり知らなかった各国の事情がわかるようになっている。

 

私が興味深かったのはマヤ語とバスク語で、前者はメキシコ国内、後者はスペイン国内の地方語で、かつてはその使用を抑圧され差別された歴史を持つ。それゆえ、どちらもまずその話者を探すところから困難がある。また、マヤ語もバスク語もその著者がスペイン語も使用するバイリンガルで、文学作品は著者自身が両方の言語で出している。翻訳者として両者をどう扱うかという問題もあるらしい。

 

なお、本書では9人の翻訳者のエピソードの末尾に翻訳の参考になる本とおすすめの文学作品、各国事情を知る文献がリストアップされており、大変親切で役に立つ。早速、そのうちの何冊かを購入した。

 

 

202261日『Glenn Gould Plays Bach [DVD] [Import]

☆☆☆☆☆ゴールドベルク変奏曲の映像に圧倒される

別のDVD1964年のゴールドベルク変奏曲(ごく一部)の映像を見て全曲演奏の映像を見たくなり、このDVDを速攻で買ったが、ゴールドベルク変奏曲1枚だけだと思ったら3枚組のバッハシリーズで、フーガの技法(一部)等も収められていた。これで2885円は安すぎる。

ただし、これは輸入盤で、イントロやグールドへのインタビューの字幕はドイツ語とフランス語しかない。とはいえ、英語は聞き取れなくはないし、なんといってもお目当てはグールドの演奏なので、これで十分である。

 

演奏はスタジオ録音で、グールドのピアノ演奏を様々な角度からアップで映している。

例によってグールドは異様に低い椅子に座り、猫背の姿勢で顔を鍵盤に近づけて歌いながら弾くのだが、若い頃の演奏よりもさらにその傾向が強まっている。

ゴールドベルク変奏曲は1981年版のCDと同じ録音かと思われるが、冒頭のアリアがとてもゆっくりと始まる。トロントに留学していた近代詩研究者の友人が「大仏様が歩くような」と秀逸なメタファーを使ったのを思い出すが、まさにそのような感じである。ところが、変奏が始まるといきなりテンポと音量が上がり、ダイナミックで力強く、変幻自在な演奏が展開されていく。変奏の間のポーズをとらずに次々と異なる曲想が展開されていき、グールドの世界に圧倒される。終曲のアリアに再び戻ったときは、やはりゆったりとしたテンポになり、深い感銘の余韻を残して終わる。

やはりこの曲がグールドにとっては特別の曲なのであろう。

 

 

◎2022年5月31日『グレン・グールド・バッハ・コレクション [DVD]』

☆☆☆☆グールドはやはりバッハ! 195769年の貴重な映像

グレン・グールドのバッハ演奏を断片的にではあるが収録した貴重な映像記録である。

1957年から69年までの演奏を年代順に並べてあり、途中までは白黒映像である。

場所はトロントやオタワの小ホールかCBSのスタジオで収録されたものと思われるが、トロントの自宅でグールドがアップライトピアノを演奏している場面も収められている。

 

グールドはピアノ以外にブランデンブルク協奏曲などでハープシコード?(「ハープシピアノ」と記載されている)も演奏している。

バイオリンソナタはユーディ・メニューインとの貴重な共演録画であり、メニューインのバイオリンはさすがに伸びやかで力強い。

他方、協奏曲は地元の交響楽団との演奏で、オケがやや単調でものたりない。

 

しかし、なんといってもパルティータや平均律クラヴィーア曲集などのグールドの独奏がすばらしく、特にゴールドベルク変奏曲が一部だけではあるが収録されているのが見ものである。これはレコード録音されている1955年と81年の演奏の間の64年の収録であり、グールドらしい自由な演奏スタイルが堪能できる。

ファンとしてはゴールドベルク変奏曲をもっとたくさん、できれば全曲録画してもらいたかった。

 

 

◎2022年5月26日『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から(集英社新書)』斉加尚代

☆☆☆☆☆ネットバッシングで閉塞する言論空間に抗して

自らもネットバッシングを受ける当事者となりながらも屈することなく、ドキュメンタリー作成を通じてバッシングの正体に迫るジャーナリストの心意気を示す快作である。

第1章では、基地問題の渦中で発信を続ける沖縄の新聞社と基地反対運動、さらには教科書検定の現場と、政権与党から敵視され激しいネットバッシングの標的とされた人々が取材され、第2章ではネットバッシングする人々自体が取材対象となっている。

 

それにしても、本書で取材対象として登場する政治家や言論人、さらにはネットバッシングを煽る人々の言説のあまりにも軽く、かつ、無責任なことには怒りを通り越してあきれるばかりである。

例えば、沖縄県の翁長知事から「日本を取り戻す」という中には沖縄は入っていないのかと疑問を突きつけられた菅総理は、「私は戦後生まれだから、歴史を持ち出されたら困ります」(!)と答えた。

また、基地反対運動が救急車を止めたという批判に対し、現地取材に基づきデマだと否定しても、「ネットで調べろ」と反論される。ネット空間に散らばっている出所不明の伝聞が「事実」だと信じ込むメンタリティである。これを放送して「基地反対派は過激派で危険、テロリストみたい」と言った『ニュース女子』に至っては、現地取材をほとんどせずにデマを垂れ流したとして、放送倫理違反と認定されている(この番組はDHC関連会社の「持ち込み番組」とのこと)。

沖縄の新聞社を「潰さなあかん」と発言した百田尚樹氏は、抗議を受けて「あのときは冗談で言ったが、今では本気で潰れろと思う」と集会で発言して笑いを取ったというが、このあたりは確信犯的である。

教科書問題では、「教育再生首長会議議長」の肩書きで歴史教科書を「反日極左」と攻撃するハガキを中学校に大量に送りつけた山口県防府市長は、取材を受けて、その教科書の表紙を見た程度で「依頼を受けて」ハガキを出したと弁解したという。

 

ネットバッシングの取材では正体不明のネット民の追及が粘り強くなされるが、その多くは政権与党の保守政治家の言論に付和雷同して煽り立てるか、確信犯的なヘイトスピーカー、さらにはロボットを使ってリツイートを拡大するという驚くべき手法もあったという。

また、日弁連の朝鮮学校への補助金問題に関する声明が気に入らないとして、ネット上の呼びかけで大量懲戒請求がなされたことも対象弁護士から取材されている。もとより懲戒制度の趣旨もふまえない無責任なものだが、対応せざるを得ない弁護士の業務を妨害し弁護士会の事務負担を増大させる被害が生じる。これに対し、(懲戒請求は当然匿名ではできないので)不当懲戒請求された弁護士から懲戒請求者に対して損害賠償訴訟が起こされたが、慌てた被告から同一文面の謝罪文が大量に送付されてきたというから笑える。

 

このようにバッシングする人々を取材すれば、実に軽薄で無責任な発言者の実態が見えてくる。しかし、著者も言うように、デマは30秒で書けるがその裏付けを取って反論するには途方もない時間がかかる。そのためにまともな言論空間が萎縮して閉塞状態となっていくのである。

ロシアや中国を笑えないお寒い言論状況と言うほかない。

この状況に抗して果敢にドキュメンタリーを作成し発信する著者にエールを送りたい。

 

 

◎2022年5月20日『二本の棘 兵庫県警捜査秘録 (角川書店)』山下征士

☆☆☆☆☆第一線の捜査官が語る未解決事件 白眉は朝日新聞襲撃事件

兵庫県警の鑑識から捜査一課長までの現場刑事として多数の重要事件にかかわった著者が語る、備忘録的な著作である。

現場刑事の体験談は他にも多数出版されているが、本書は未解決事件の反省を込めて、警察組織の問題点にまで踏み込んだ点で貴重なものといえる。

 

「二本の棘」とは未解決で終わったグリコ・森永事件と朝日新聞阪神支局襲撃事件のことを指すが、他にも神戸連続児童殺傷事件や八鹿高校事件、さらには阪神淡路大震災など、この時期の兵庫県警がかかわった事件は重大事件が多かったと改めて感じる。

神戸連続児童殺傷事件については、センセーショナルな凶悪事件である一方、被疑者が14歳の少年ということで警察がマスコミ対応で苦慮したことがよくわかる。少年逮捕までは捜査情報を少人数に集中し、連日場所を変えて警察署外で極秘裏に捜査会議を行っていたというから驚く。

グリコ・森永事件については、広域捜査の難しさや兵庫県警と大阪府警の対抗意識の問題が率直に述べられているが、情報としては目新しいものはないように思う。

 

なんといっても本書の白眉は最終章の朝日新聞阪神支局襲撃事件である。

報道機関である朝日新聞自身が被害者となり、自らも必死で犯人追及の取材を行ったほか、多数のルポルタージュも出版され、捜査一課長として携わった著者自身が知らなかった事実を教えられたという。

警察は広域捜査態勢を敷いて多数の捜査員を動員し、「容疑性の高いと思われる」右翼関係の9人を絞りこんだとされ(何名かの実名が挙げられている!)、中心人物の弁解まで紹介されているが、決定的な決め手がなく絞り込めずに終わった。関連事件として中曽根首相脅迫事件や竹下登氏の脅迫事件(皇民党事件)もあったが、後者については著者は知らされていなかったという。警察組織内で情報が共有されないこと、特に公安部と刑事部の壁が率直に指摘されている。

ただ、事件当時の後藤田官房長官(元警察庁長官)の発言や兵庫県警の國松本部長(後の警察庁長官)らのシフトなどをみると、警察がこの事件を重視して解決のために努力していたことは理解できた。

 

 

◎2022年5月17日『英語の階級 執事は「上流の英語」を話すのか?』新井潤美

☆☆☆☆言葉遣いや発音で出身階級が区別される、鼻持ちならない社会

実はイギリスのドラマのファンである。

『ダウントン・アビー』、『名探偵ポワロ』、『ミス・マープル』、『刑事フォイル』等々・・・、本書で引用されるドラマはほとんど見ている。

しかし、『ダウントン・アビー』でグランサム伯爵の母で生粋の英国貴族である未亡人ヴァイオレットと、伯爵の妻でアメリカ人のコーラとの間のやりとりで微妙な気まずい間があるのが上流階級の英語とアメリカ英語の齟齬であるとか、ベルギー人のポワロが「外国人」らしい言葉遣いをうまく使っているとか、ミス・マープルが上流階級の英語ゆえに人々に安心感を与えて話を聞き出すといったことは、指摘されてみるとなるほどと思う。

 

それにしても、本書を読むとイギリスが今でも言葉遣いや発音でその人の出身階級が区別される階級社会であると感じさせられる。上流階級(アッパークラス)、中流階級(ミドルクラス)、下層階級(ワーキングクラス)で言葉や発音が違うだけでなく、ミドルクラスの中でもアッパー・ミドルとロウアー・ミドルが区別されるというから恐ろしい。

おまけに、その言葉遣いを論じたエッセー(『英国の貴族』1955年)がベストセラーになり、言葉遣いの「UnonU」(U upper class のこと)のカタログまで示されたという。例えば、「鏡」はlooking-glassUmirror nonU、「便せん」はwriting-paperUnote-papernonU等々。全く意味不明でバカバカしい限りなのだが、この本が出版された20世紀後半でもこれら大真面目に区別されていたのである。

確かに、日本でもアメリカでも粗暴な言葉遣いやTPO違反の発言が問題になることはあるし、おかしな若者言葉がひんしゅくを買うこともしばしばである。しかし、あくまでもそれは個々人の教養や品性のレベルの問題であり、言葉遣いだけで出身階級が区別されることはないだろう。言葉遣いや発音で容易に出身階級が区別される社会はやはり鼻持ちならない社会である。本書には下層階級の主人公が発音を矯正されて上流階級入りする『マイフェア・レディ』が引用されているが、こうした社会はまさに風刺や皮肉の対象にふさわしい。

 

なお、本書は英語の引用が多数箇所に及ぶにもかかわらず縦書きで印刷されており、非常に不親切である。

なぜ横書きにしなかったのか? 出版社のセンスを疑う。

 

 

◎2022年5月13日『世界』臨時増刊 ウクライナ侵略戦争―世界秩序の危機

☆☆☆『世界』の歯切れの悪さが気になる

『世界』のウクライナ侵略戦争特集号ということで418日にAmazonに注文したのだが、届いたのは連休明けの59日。特集号の内容が書かれた時期とはかなり情勢が推移していて、時期遅れもいいところである。kindle版も後から追加されたが、このような特集号は最初からkindle版を出してもらいたい。

問題の重要性と時事性に鑑みて、世界編集部の姿勢を疑う。

 

内容は他のレビューが詳しく紹介しているが、ロシアの敗色濃厚となった現時点では、戦後処理と平和な国際秩序の再建こそが論じられるべき課題だろう。

欧米諸国は一致団結してロシアに対する強力な経済制裁とウクライナへの軍事支援に乗り出しているが、私はかつての日本の中国侵略戦争に対する英米の援蒋ルートを通じた中国支援を連想する。おそらく第2次世界大戦末のヤルタ会談やポツダム会談のように、ロシアに対する戦後処理スキームをアメリカやイギリスは検討しているのではないか。

 

なお、特集の最後に「異なる視点」としてロシア制裁に同調しなかった国々や政治勢力の意見が紹介されているが、私には多様な視点から考察するというよりも、明白な侵略と殺戮を目の前に突きつけられながら言葉だけの停戦要求でお茶を濁す国々や人々が少なくないことが深刻に感じられた。

末尾に紹介されている「世界の共産党・労働者諸党の緊急共同声明」に至っては、旧ソ連東欧の社会主義の「打倒」を悲劇とする冷戦時代へのノスタルジーに立脚する前時代的な文書であり、骨董的な見ものでしかない。共同声明には北欧諸国や旧ソ連圏の諸国などの「共産党」を名乗る勢力が名を連ねているが、その実体はいかほどのものだろうか? ちなみに、旧ソ連を「巨悪」と断じた日本共産党は今回のロシアの侵略戦争を厳しく非難しており、当然ながらこの共同声明には名を連ねていない。

 

(追記)

それにしても、特集全体を通じた歯切れの悪さは一体どうしたことか。

かつて『世界』はベトナム戦争に介入したアメリカを強く批判し、ベトナム解放勢力を全面的に支援していたはずである。また、ブッシュの引き起こしたイラク戦争やイスラエルのパレスチナ攻撃に対しても非難の論陣を張っていた。

今回のロシアの侵略は国際法を無視した蛮行であり、無辜の民衆を目標とした大量殺戮であることも明らかとなっている。侵略者と被侵略者を並べて「どっちもどっち」とか等距離とか相対化とかはありえない。「戦争反対」や「停戦」要求は侵略者に対してこそ突きつけられるべきであって、現に自衛戦争が戦われているときに「あらゆる戦争に反対」はナンセンスである。また、これはロシアとアメリカの代理戦争でもない(ウクライナが抵抗するのは当然だし、その要望で欧米が軍事支援するのはかつての援蒋ルートやホーチミンルートの支援と同じである)。ベトナムやイラクやパレスチナで不法な侵略や爆撃が糾弾されるのと同じレベルで、あるいは核戦争の脅迫も考慮すれば、それ以上にロシアの侵略は糾弾されなければならない。

それとも、アメリカやNATOが支援しているから歯切れが悪いのか?

 

 

◎2022年5月12日『緑の天幕』リュドミラ・ウリツカヤ

☆☆☆☆恐怖の下で暮らす人々の大河的小説

スターリンの死の前後から旧ソ連体制の末期までの時代を生きた人々を描く大河的小説である。

「大河的」というのは大河のような太い物語の筋があるわけではなく、3人の感受性豊かな少年のそれぞれの成長とその周囲の人々の物語をオムニバス風に紡ぎ合わせ、旧ソ連社会を大きな絵のように描き出す小説だからである。

 

主人公の3人の少年、ミーハ、イリヤ、サーニャは詩や音楽などの芸術分野で結びつき成長していくが、自由への愛や少年らしい正義感が旧ソ連の思想統制と衝突し、仕事を奪われ、恋愛、結婚生活まで暗い影を落としていく。ラーゲリ(強制収容所)に送られる苛酷な運命やKGBの密告者に仕立て上げられる屈辱さえ、他人事ではない社会なのである。

著者自身がこの時代を生きた証人であるだけに、描かれた旧ソ連時代の恐怖が生々しく実感される。「革命後の何世代かは、年少期に恐怖を植えつけられている」というシェンゲリ先生の言葉も印象的だが(スターリン時代の犠牲者は800万とも1000万とも言われる)、イリヤの次の言葉は著者自身の感慨でもあろう。

「もしかすると、美や真実や、あるいはそれ以外の素晴らしくてつまらない何かが世界を救ってくれたとしても、やはり恐怖は何よりも強く、恐怖が全てを──美の萌芽や、素晴らしきもの、賢明なるもの、永遠なるもの全ての芽生えを──滅ぼしてしまうのかもしれない……。」

とはいえ、人格崩壊の危機に至ったサーニャがバッハの平均律クラヴィーア曲集で復活したエピソードや、ソ連を出国して音楽理論家として生き延びたエピローグは、美や芸術が苛酷な社会と運命から人間を救済する希望を示している。

 

本書のような体制告発的な小説はソ連崩壊後だからこそ書けたのであろうが、プーチン体制下のロシアでは言論の規制が強まっており、旧ソ連をナチスと同列視する言論は処罰される。ウクライナ侵攻後はあたかも旧ソ連のような言論弾圧と密告社会が復活しつつある。著者自身もウクライナ侵攻を批判してロシアを出国したと聞くが、トルコやカザフ等に避難したロシア国民は380万人に及ぶとも報道されている。本書に描かれた恐怖は決して過去のものではない。

 

なお、本書には多数の人物が登場することに加え、人物が姓で書かれたり名で書かれたり、あるいはロシア特有の愛称で表記されたりするので、注意しないと誰のことかわからなくなってしまう。読者のために、人名一覧や人物関係図を作成して最初に掲載してもらいたいと思う。

 

 

◎2022年5月2日『第二次世界大戦秘史 周辺国から解く (朝日新書)』山崎雅弘

☆☆☆☆☆旧ソ連の愚行を繰り返す現代ロシア

本書は第二次大戦「秘史」として、大国の狭間や周辺で翻弄された中小国家の悲喜こもごもの戦争対応を描いているが、奇しくも出版直後に起きたロシアのウクライナ侵略を考えるタイムリーな著作となっている。

特に、独ソ不可侵条約締結後にスターリンとヒトラーの密約でソ連の勢力圏とされたバルト三国とフィンランドへのソ連軍の侵攻は、現在のウクライナ侵略の経緯と驚くほど似ている。

まず、ソ連はフィンランドに対し、レニングラード防御のために身勝手にもその北側のフィンランド領の割譲を求め、拒絶されるや軍隊を侵攻させる。その口実がフィンランドとの国境近くのソ連領が越境砲撃されたというのだから、まさに今回と同じ「偽旗作戦」である。しかも、「4日で片がつく」とソ連側が豪語したにもかかわらずフィンランド軍の反撃で撃退されるところまで似ている。ゴルバチョフ時代に公開された情報によると、このソフィン戦争のソ連側の死傷者は33万人を超えるという。

また、バルト三国はソ連軍の圧倒的優位の前に抵抗を断念して武装解除されるが、その後はソ連の軍事的圧力の下で選挙が行われて親ソ派の候補が圧勝し、ソ連に「編入」されてしまう。さらに、ソ連に従順でないバルト三国の国民は大量にシベリアや中央アジアの強制収容所に移住させられたという。まさに今、ロシアがウクライナ東部地域で行っていることと同じである。

このように、ロシアのプーチン政権が行っていることは旧ソ連のスターリン時代に先祖返りしたかのような暴挙としかいいようがないが、21世紀の国際秩序は第2次世界大戦当時とは当然異なるし、国際法と平和・人道主義の進展により、暴挙は愚行にすぎない結果となるはずである。

 

その他、東欧諸国や北欧諸国、さらにはギリシアや中東諸国まで、あまり知られていない20世紀の歴史が手際よく整理されている好著といえる。

 

 

◎2022年5月2日『バッハ: ブランデンブルク協奏曲[DVD]』カール・リヒター

☆☆☆☆☆ミュンヘンの古城での録画が素晴らしい

カール・リヒターとミュンヘンバッハ管弦楽団によるブランデンブルク協奏曲はレコードやCD等で何度も聞いているが、これは貴重な映像記録である。しかも、場所がミュンヘン郊外の古城、シュライスハイム城内で文字通り室内楽として撮影されたもので、その雰囲気がとても素晴らしい。協奏曲の1番から6番までの各曲ごとに城内の撮影場所を変えてあり、サロンのような部屋、壁面をたくさんの絵画で飾られた広間、大きなタペストリーの掛かった豪華な居間などが見る者を楽しませてくれる。

演奏は小編成の室内管弦楽で、リヒターがチェンバロを弾きながら指揮をする。

バッハ演奏の素晴らしさはいうまでもないが、バイオリンやリコーダーのソリストが名手揃いで、室内楽の楽しみをたっぷり堪能させてくれる。

シュライスハイム城の絵画の間(2025年8月撮影)


 

 

◎2022年4月29日『バッハ: ミサ曲 ロ短調[DVD]』カール・リヒター

☆☆☆☆☆バロックの教会で撮影された端正なロ短調ミサ曲

カール・リヒターのバッハ演奏が映像で残されていて、しかも手頃価格のDVDで入手できるのはうれしい。

このロ短調ミサ曲はバイエルン州のディーセンにあるマリエン・ミュンスター教会で撮影されたものである。バロック建築の教会で壮麗な彫刻と壁画が録画されている。

合唱隊は少年少女の聖歌隊ではなく大人の混声合唱団が祭壇を埋め尽くし、重厚な合唱を聞かせる。

リヒターの手兵であるミュンヘンバッハ管弦楽団はさすがにバッハの音楽を知り尽くした感があり、この曲では特に管楽器の独奏部分で素晴らしい技量を見せてくれる。

4人の歌手陣もそれぞれ素晴らしいが、『魔笛』のパパゲーノなどの印象が強いヘルマン・プライがここでは伸びやかで深みのあるバスを披露しているのが興味深かった。

昨今は少人数編成で古楽器を使用したバッハ演奏が多く、それはそれで親しみやすくてよいのだが、リヒターの演奏は本来の宗教音楽としての端正で敬虔な姿を改めて感じさせてくれる。

 

 

◎2022年4月26日『バッハ: マタイ受難曲[DVD]』カール・リヒター

☆☆☆☆☆あのカール・リヒターのマタイの映像化! 特設舞台での撮影が印象的

先日、鈴木雅明指揮バッハ・コレギウムのマタイ受難曲を聞いて感動したので、往年の名演として名高いカール・リヒターのマタイも聞いてみた。映像があるとは知らなかったが、DVD版がこの価格で入手できるのはありがたい。

バッハ・コレギウムに比べて楽団・合唱団ともに多人数であり、前奏から極めてゆったりとしたテンポで始まる。福音史家のペーター・シュライヤーをはじめ往年の名歌手が素晴らしい歌唱で受難の各場面を描き出し、それを受けたアリア、合唱が感情の大きなうねりを作り出す。まるでイエスの受難劇が眼前に再現されるような感覚になる。特に、女性歌手陣、ソプラノのヘレン・ドナートとアルトのユリア・ハマリがとても力強く、感動的であった。

 

また、特設舞台を使った映像も興味深かった。通常のコンサートホールでも教会でもなく、白を基調とした簡素な舞台に天井から大きな十字架が横向きに吊されている。場面場面で歌手や合唱が位置を変えて歌うのだが、特に合唱が左右から向かい合うように配置されて歌う場面は、まるで信徒会衆が寄り集まっているようで印象深い。

CD版を持っている人にも、さらに勧められる映像版である。

 

 

◎2022年4月24日『現代の裁判〔第8版〕 (有斐閣アルマ)』市川正人他

☆☆☆☆☆日本の裁判を概観する好著 第8版はデータ更新と司法制度改革の現状を追加

3人の著者は憲法、刑訴法、民訴法の第一人者であり、日本の裁判・司法制度全般についてわかりやすく概説した入門書である。

具体的な民事事件の裁判風景や、典型的な裁判官、検察官、弁護士の1日の仕事ぶりなどを例示して、わかりやすく解説している。民事事件や刑事事件の裁判手続だけでなく、家事事件や行政訴訟、さらには憲法訴訟まで幅広く取り上げており、コンパクトながら記載事項は多い。

 

近年、司法制度改革により日本の裁判と司法制度は大きく変化している。裁判員制度の導入や法科大学院制度をはじめ、民事訴訟や家事手続でも重要な改革が進んでいる。本書では裁判員裁判の仕組みや司法制度改革の現状についても丁寧に紹介しているが、第8版では紆余曲折の経過をたどっている法曹養成制度改革の経緯を加筆し、法学部「法曹コース」3年+法科大学院2年の最新の改革にも触れている。

ただ、最後の点についていえば、司法制度改革当初の「法科大学院を中核としたプロセスとしての法曹養成」という理念からはさらに遠ざかるように思われる。結局のところ、司法試験がただの通過点ではなくプロセス全体を規定する最難関であり続け、予備試験があたかもエリートコースのように扱われる現状が変わらない限り、教育プロセスを重視した法曹養成は実現できないのである。

 

 

◎2022年4月21日『百人一首 (講談社文庫)』大岡信

☆☆☆☆☆あの大岡信による「現代詩訳」が見どころ

百人一首の解説書は精緻な古典文学研究書から入門書、さらには漫画版まで多数あるが、本書の見どころはなんといっても詩人大岡信による現代詩訳である。

 

例えば、紀友則の「久方の光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ」は次のように訳される。

  ひさかたの天にあふれる日のひかり

  春の日は ゆったりとすぎ 暮れるともない

  こののどかな日を ただひとり

  花だけがあわただしく散る

  なぜそのように 花よ おまえばかりが……

また、源重之の「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思ふころかな」は次のとおり。

  烈風に 波は岩をうち 波は砕けてやまぬ

  私は波だ 岩をうっては砕け散る あの波だ

  この心は あの人の固い岩の面をうって

  砕け散るばかり

  砕けて私は歎きに沈む ただひとり

 

このように元の歌の持っている気分や感傷、激しい恋情が現代詩人の感覚で蘇り、現代の読者に古典を再発見させる。

和歌の伝統の素晴らしさと現代詩の表現力をともに感じることのできる一冊である。

 

 

◎2022年4月14日『百人一首(全) ビギナーズ・クラシックス(角川ソフィア文庫)』

☆☆☆☆☆解説がわかりやすく、鑑賞の手引きになる

おなじみの百人一首だが、実は知っているようで知らないことが多い。

和歌の字面は暗記していても、どのような場面で歌が作られたのか、本歌取りや掛詞などの技法で歌の意味が重層的に膨らまされていることなどがわかれば、おなじみの和歌がより味わい深く理解できる。

本書は「ビギナーズクラシックス」のシリーズに収められているが、解説は丁寧でわかりやすい。ソフィア文庫版の注釈の多い学術的な解説に比べると、和歌の鑑賞に重点が置かれていて、一般読者が和歌に親しめるように工夫されている。

また、随所にコラムが挿入されていて、歌枕や和歌の生まれる場、歌題といった周辺知識が豊富に紹介されていて、和歌を理解する役に立つ。

 

それにしても、冒頭の天智天皇の「秋の田の・・・」や柿本人麻呂の「あしびきの山鳥の尾の・・・」といった超有名な和歌が実は本人の真作ではないとか、阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば・・・」は本人が帰国できなかったのだから本人の作でない可能性が高いというのは意外な指摘である。

また、著者の解説によると、「選ばれた歌人は総じてアウトローの人生、不遇な人生、悲劇的な人生を送っ た人が多い」とのことで、特に保元の乱以降の天皇・上皇や権力闘争に敗れた貴族、出家し隠遁した僧などの歌が多数採用されていることがわかる。貴族政治の没落を体験した定家の美学があるのだろう。

他方、56番から62番まで和泉式部、紫式部、大弐三位、赤染衛門、小式部内侍、伊勢大輔、清少納言とずらりと並んだ女房歌人の歌は平安貴族文化の頂点にふさわしい華麗な彩りをなしている。

読者は、自分の好きな歌、興味のある歌を拾い読みするように読んでもよいだろう。

 

 

◎2022年4月11日『日本古典と感染症 (角川ソフィア文庫)』ロバート・キャンベル編

☆☆☆☆パンデミックに昔の人はどう対応したか

新型コロナウイルス感染症のパンデミックで、デフォーやカミュの『ペスト』、あるいはボッカチオの『デカメロン』が改めて見直される昨今だが、日本文学の古典にも感染症のパンデミックは大きな影響を与えていたことがわかる本である。

本書は万葉集から漱石・鴎外まで、日本文学研究者ら15人が各自の分野と関心に即して論考を寄せたもので、統一感はないが情報として興味深いものである。

 

まず、なんといっても天然痘の大流行が古代から江戸時代まで繰り返されていたことが認識させられる。万葉集の時代では、当時の日本の人口のなんと4分の1から3分の1までが失われたという。奈良時代の長屋王の謀殺を企てた藤原氏の不比等の子4人は全員が天然痘で死去し、長屋王の祟りと言われた。

江戸時代の農村の日記からは、天然痘の流行に対してまず逃げる「疱瘡除け」とか人と接触しない「疱瘡遠慮」という言葉があったというから、経験的に合理的な感染症対策を取っていたことがわかる。それでも一家全滅の悲劇が起きていたというから、天然痘の猛威はすさまじい。

 

他方、中世で最も恐れられた感染症は伝屍病(結核)と癩病(ハンセン病などの重い皮膚疾患)だという。このうち前者は確かに死に至る病であったと思われるが、後者は必ずしもそうではない。やはり皮膚疾患ゆえの外見的な忌避感と仏教的な業病観の影響が大きいのだろう。この業病観はその裏返しで宗教的な救済のテーマとなり、一遍聖絵に描かれたり、聖武天皇の后である光明皇后が湯の力で救済したとする『法華滅罪寺縁起』の説話となったりする。

 

幕末になると、黒船来航以降の外来の感染症としてコレラが大流行するが、文学としてはコレラが市中に猖獗する緊迫感を伝えるルポルタージュ的なものとともに、感染が収まる頃になると風刺的で滑稽な小話として描かれるのが興味深い。例えば、『ないない尽し』は、「さてもないない是非がない/病の流行とめどがない/一時ころりで呆気がない/八つ手を吊さぬうちはない/誰でも死にたい者はない・・・」というようなテンポのよい戯れ歌で笑える。

ペストに対してエロ話で対抗した『デカメロン』のような、庶民の生き生きとした力強さを感じさせる。

 

 

◎2022年3月31日『新版 おくのほそ道 (角川ソフィア文庫)』

☆☆☆☆☆本文は簡潔で読みやすい紀行文。原文のリズム感が素晴らしい。

恥ずかしながらこの名著を初めて通読した。俳諧にあまり縁がなかったためではあるが、最近『芭蕉の風景』(小澤實著)を読んで、『奥の細道』の原文も併読することにしたところ、芭蕉の旅を生き生きと追体験するように興味深く読めた。

 

芭蕉の原文は実はとても短い。本書は文庫版で382頁だが、その3分の2以上は現代語訳と解説である。

原文は江戸時代のものだからそれほど難しくなく、さすがに俳人だけあってリズミカルな文体で簡潔に記載されている。声に出して朗読するようなつもりで、まずは原文をゆっくり読んで味わいたい。

もちろん、誰もが知っている名句が満載されているが、どのような場面で名句が作られたかを知ると、俳句の世界の奥深さと豊かさが理解できる。

 

それにしても芭蕉の門人や弟子が全国各地にいることには驚く。『奥の細道』は東北から北陸をめぐる旅だが、行く先々で武士や商人、豪農の弟子が芭蕉を迎える。江戸時代の太平の世で、旅や商業、飛脚による知的ネットワークの形成が進んでいたことがよくわかる。

 

なお、kindle版の表記は確かに注の番号が大きすぎて読みづらい。せっかくのリズム感あふれる名文なのだから、視覚的にもすらすら読めるように工夫してほしい。

 

 

◎2022年3月25日『芭蕉の風景 下』小澤實

☆☆☆☆☆本書をガイドに『奥の細道』の旅を追体験する

下巻は『奥の細道』の風景から始まる。

芭蕉の原文はさすがに俳人だけにとてもリズム感のある文章で読みやすいが、簡潔に彫琢された紀行文であるため歌枕や地名、人名などは注釈に頼らざるをえない。

本書は著者が『奥の細道』の旅路に沿って芭蕉の立ち寄り先を訪れ、芭蕉の足跡の現在の様子を紹介するが、芭蕉の原文の解説や立ち寄り先の門人の人物像も触れていて、『奥の細道』のガイド本としてとても役に立つ。私は本書を参照しつつ『奥の細道』の原文を読んだが、原文の味わいと言外の余韻が一段と深まったと感じる。

 

本書を読むと、『奥の細道』で芭蕉が立ち寄った先の多くは句碑や記念館があり、観光名所となっているようだ。改めて芭蕉と『奥の細道』の影響の大きさを理解できた。

実は私自身も、山形の蔵王温泉に宿泊した帰りに山寺・立石寺を訪問したことがある。もちろん芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の名句に導かれたのだが、巨岩を廻る道を通り長い石段を登って仏閣を参拝すると、確かに芭蕉の書いた「佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ」という感光を共有できたように思ったものだ。

 

 

◎2022年3月19日『奈良で学ぶ 寺院建築入門 (集英社新書)』海野聡

☆☆☆☆☆建築用語が難しいが、多数の図解と写真でわかりやすく解説

奈良の名刹である唐招提寺、薬師寺、興福寺、東大寺の四寺について建築の観点から解説した好著である。

学生時代に読んだ和辻哲郎の『古寺巡礼』に憧れ、これまで何度も奈良の古寺を巡ったが、関心はやはり仏像が中心であり、寺院建築についてはその格調高く風格のあるたたずまいに感心し、古代の匠の技に感動するばかりで、建築技術的観点で味わうだけの知識がなかった。本書によって古寺巡礼の新たな楽しみができ、興味がかきたてられた。

 

古寺といっても創建当時の建築が残っているものは少ない。源平争乱の南都焼き討ちで興福寺や東大寺は大きな被害を受けたし、その後のたびたびの戦乱で焼失した寺院も多い。本書で取り上げられる4寺院の建物も鎌倉時代や江戸時代の再建がかなりある。その結果、古代の建築技術とその後の建築技術の進化も比較できるようになっている。

建築はその宿命として重力の制約があるため、絵画や彫刻のような自由度は少ない。土台、柱、梁、桁、垂木などの基本構造で、大きくて重い屋根をどうやって支えるのか、建物に雨が当たらないよう庇を大きく出すためにどのような工夫をしているのかといった建築技術の解説が専門用語を交えてなされるため、内容はやや難しくなっているが、図解や写真が多数挿入されて素人にもわかりやすく工夫されている(Kindle版では図解や写真を拡大できる)。

 

寺院の伽藍の配置や構造から時代の流れを理解することもできる。

奈良時代は天皇や貴族のための寺院だったものが、鎌倉時代以降は民衆仏教化が進んでいく。これに対応し、寺院建築としては本尊を収める金堂と仏舎利を収める塔が伽藍の中心だったものが、時代が下ると講堂や礼拝所が重要になってくる。興福寺の南円堂には(北円堂と異なり)礼拝所が付属しているが、南円堂は江戸時代の巡礼札所で巨額の資金を集め、寺院財政の観点で復興が進んだとか、東大寺の法華堂が仏像を収める本堂に礼拝所を追加したために寄棟造と入母屋造の合体になっているといった話は興味深かった。


           (興福寺南円堂 2011年3月撮影)


 

◎2022年3月11日『刑務所の精神科医―治療と刑罰のあいだで考えたこと』野村俊明

☆☆☆☆「よい受刑者ではなく、よい市民を作る」

刑務所や少年院といった矯正施設での精神科医の体験を踏まえた著作といえば、作家の加賀乙彦氏が東京拘置所医官時代の体験に基づき書いた『宣告』を想起する(ただし、拘置所は未決囚と死刑囚のための施設なので矯正施設ではない)。しかし、後者が死刑囚との交流を描いた重厚な小説なのに対し、本書は窃盗や暴行、薬物といった比較的軽い罪の非行少年や受刑者を扱った短編のエッセイ集であり、矯正施設の中の精神に病を抱えた人たちの実態を幅広い問題関心で描いている。

特に、非行少年たちの多数が少年時代に劣悪な家庭環境で親から虐待を受けていたこと、刑務所の受刑者に精神病患者の占める割合が高く、刑務所が精神病患者のセーフティネットになっていることなどはすでによく知られている事実だが、著者の体験として生々しく描かれている。

ただ、矯正施設の性格上、治療期間が入所期間中に限られており、治療半ばで施設を退所した後の追跡情報がない場合が多く、治療者としては隔靴掻痒で限界を感じるところだろう。

 

本書の副題は「治療と刑罰のあいだでかんがえたこと」となっている。矯正施設は病院ではなく、非行や犯罪を反省し、罪を償って社会復帰するための施設である。本書でも、刑務所内の規律と受刑者の処遇の平等を重視する刑務官に対し、個々の患者の症状に応じた治療を行おうとする医師のアプローチの違いが書かれているが、矯正施設での医療には当然ジレンマがある。例えば、重度の統合失調症や認知症の人を刑務所で受刑させるのは矯正不能ゆえ無意味であり、医療施設で治療するのがふさわしい。起訴した検察官、責任無能力を争わなかった弁護士、さらには精神鑑定を行わなかった裁判所のいずれもが、被告人を受刑させることの意味を考えるべきであった。

また、日本の刑務所には高齢受刑者の割合が高いことも指摘されている。高齢化が進んでいるイギリスなどに比べても異常に高いのである。万引き等の微罪でも累犯となると長期受刑となり、出所後も生活苦で犯行を繰り返し、刑務所に戻ってくる。こうした人々には刑事処分ではなく福祉的対応が求められているのであり、高齢者が生きづらい社会という印象を強く感じる。

 

著者はフィンランドの刑務所を見学した体験を紹介しているが、受刑者の処遇が開放的で実におおらかである。文化の違いと著者は書いているが、人間と犯罪に対する思想の違いであろう。

見学先の刑務所長が語った「私たちはよい受刑者を作ることではなく、よい市民を作ることを目標にしている」という言葉が著者は一番印象に残ったと書いているが、同感である。

 

 

◎2022年3月3日『帝国の計画とファシズム: 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』ジャニス・ミムラ

☆☆☆☆☆「日本軍国主義」のイメージを一新する革新官僚のテクノファシズム論

戦前の日本軍国主義については、大正デモクラシーで高揚した政党政治を軍のテロで圧殺し、古色蒼然とした天皇制ファシズムの下で戦争に突き進んだという理解が大方であろうが、本書はそうした軍国主義観を覆し、革新官僚と新興財閥が左翼勢力をも取り込み、政党や実業界を押さえ込んで「テクノファシズム」に突き進んだとする。そして、それが戦後政治に引き継がれたという視点も提示されており、極めて刺激的で示唆に富む。

本書が「革新官僚」のリーダーとして最も重視するのは、あの60年安保時の首相であった岸信介であり、他には星野直樹、椎名悦三郎、美濃部洋次、迫水久常、毛里英於菟、奥村喜和男といった名前が挙げられているが、その中には岸以外にも戦後の政官界で重要な役割を担った人物が多い。

 

著者は、革新官僚の手法の実験場として、関東軍のつくった満州国に注目する。革新官僚は関東軍の思惑をも超えて、「総力戦体制」の名の下に技術官僚中心の国家体制を満州国で作り上げようとし、その手法を日本国内に持ち込む。すなわち技術優先・管理優先の統制経済であり、英米型の自由主義経済と自由主義思想は徹底的に敵視される。その模範となったのが、ナチスドイツの統治手法であった。なお、現代資本主義を論じたバーリ&ミーンズの「所有と経営の分離」という有名な議論が、ここではテクノファシズムの手法に転用されているのが興味深い。

こうした革新官僚の統制経済に対し、旧来の実業家や政治家は経営の自由の観点から頑強に抵抗し、社会主義だと批判した。実際、統制経済にはソ連の5カ年計画が参考にされているし、左翼勢力(社会大衆党や左派知識人など)も労働者の待遇向上や「近代の超克」論などで革新官僚に協力しており、旧支配層が抵抗したのは当然である。しかし、旧支配層の抵抗は太平洋戦争の開始と「高度国防国家」の総動員体制に飲み込まれていくのである。ここには≪野蛮な軍国主義に押さえ込まれた知識人、軍国主義に協力した財閥≫という図式とはかなり異なる理解が示されている。

敗戦後、革新官僚は岸信介の政治的復権とともに息を吹き返し、戦後政治に重要な役割を果たす。むしろ、占領軍による内務省解体、財閥解体、天皇制の権力除去といった改革は革新官僚の抵抗勢力を排除したと著者は分析する。そして、革新官僚の技術主導型の計画立案は通産省、経済安定本部、経済企画庁及び経団連に引き継がれたという。後に批判された「護送船団型行政」とか「行政指導」等もその一環であろうか。野口悠紀雄氏の「1940年体制」を想起する。

 

著者はアメリカの歴史学者であるが、日本国内では戦前の軍国主義を論じた歴史書は多いもののこうした革新官僚に焦点を当てた研究は少ないのではないか。日本の歴史研究者からの議論を待ちたい。

 

 

◎2022年3月1日『ベートーヴェン、21世紀のウィーンを歩く(集英社)』曽我大介

☆☆☆☆☆音楽ファンのための軽妙なウィーン・ガイド

あのベートーヴェンが21世紀のウィーンにタイムスリップして大活躍する。自作の録音を聞いて驚き、自分の銅像を見て感動し、さらには楽友協会ホールでウィーンフィルの演奏会に飛び入り演奏したり、駅ピアノで即興演奏して拍手喝采を受けたりする。

音楽ファンにとっては想像するだけで楽しいファンタジーだが、本書は実はウィーンのガイドブックなのである。

ベートーヴェンを主人公にした15の短いエピソードに人名や事項の詳細な注を付け、エピソードに関連するウィーンの見所や名物をコラムで案内するという形式で、楽しみながらウィーンの町を知ることができるよう工夫されている。

 

著者は指揮者であり、随所でベートーヴェンの口を借りて著者の音楽観が語られるのも興味深い。

例えば、ベートーヴェンはスマホで演奏を聴いて、「これは音楽ではなく、音だ」と批判し、次のように語る。「音楽というのは伝える人を前にして初めて生まれる出来事、つまり叙事だ。そして人の前で演奏して、演奏家と聴く者それぞれに、叙情という感情が生まれる。」

私もウィーンには何度か行ったことがあり、国立歌劇場でオペラも見たが、本書を読んでまた行きたくなった。

 

 

◎2022年2月26日『三省堂基本六法2022 令和4年版』

☆☆☆見やすいが、持ち歩くには重い

六法のコンパクト版を久しぶりに買おうと思ったが、どれも「小」だの「コンパクト」だのと銘打ちながら、とても分厚くて重い。しかも字がとても小さくて、読むのがつらい。

机上版ならもっと大判のほうがいいし、今ならパソコンで法令検索(e-Gov)したほうが早い。

本書は法令数を減らして薄くし、字も大きめで二色刷にして読みやすく工夫されているが、サイズが思ったより大きく、カバンに入れて持ち歩くにはやはり重い。

出版社は、スマホやタブレットで利用できて、e-Govより便利な六法を開発してほしい。

 

 

◎2022年2月18日『会社法(第2版) (有斐閣ストゥディア)』中東正文ほか

☆☆☆☆☆膨大な会社法をわかりやすく概観できる

会社法は2005年に商法から独立して制定された法律だが、条文は1000条近くに及び、企業を取り巻く環境の変化に応じて頻繁に法改正が行われる。研究者や実務家が使う基本書は当然ながら分厚く、もちろん通読するようなものではない。

これに対し、本書はわずか270頁余りの薄さで会社法の全体を概観し、株主、経営者、会社債権者等の利害を調整しつつ利益追求する現代企業の法体系が把握できるようになっている。また、多種多様な会社のニーズに会社法がどのように応えているのかを、随所でコラムを設けて解説しており、学習者の興味をひくように工夫されている。必要な判例も引用してあり、さらなる学習の便も図られている。

 

初学者だけでなく企業人などにとっても、膨大で複雑な現代企業法体系を概観するのに適切な解説書である。

 

 

◎2022年2月18日『大鞠家殺人事件』芦辺拓

☆☆☆☆☆大阪・船場の商家の雰囲気と言葉遣いが素晴らしい

大阪・船場の古風な商家を舞台にしたミステリーである。

明治から昭和戦前期にかけて化粧品で繁栄した大鞠家で、跡継ぎの失踪や当主夫婦のグロテスクな連続殺人が次々と起こるのは、横溝正史風の展開である。また、金田一耕助のパロディのような迷探偵が登場するのは横溝へのオマージュかもしれない。

 

そうした横溝風のグロテスクなミステリーの面白さというよりも、本書の素晴らしさは古き船場商家の雰囲気と言葉遣いを再現しているところである。著者自身が大阪出身とのことだが、今は失われた船場言葉や伝統的商家の奉公人の世界を再現するのは相当な取材と研究の成果であろう。婿取り婚の「誓約書」読み上げの場面など、いかにも古風な商家らしく興味深い。

また、戦時中の大阪市民の耐乏生活や、贅沢品である化粧品を扱う商家がどう生き抜いたかが描かれているのも興味深い。ガソリンがないため薪を炊いてエンジンを動かす木炭車などが登場するディテールも感心した。

 

 

◎2022年2月15日『大いなる遺産 下 (河出文庫)』ディケンズ

☆☆☆☆☆Expectations(期待)が失望に変わったとき、大切なものが明らかになる

主人公ピップにジェントルマンになる期待を抱かせた「大いなる遺産」Great Expectations の贈り主はやがて明らかとなり、ピップの期待は失望へと変わる。

ただ、莫大な財産そのものは贈り主がピップをジェントルマンにするために必死で稼いで貯めた正当な財産であり、贈り主の出自の卑しさゆえにその受領を拒否するピップの心情は、鍛冶職人ジョーを見捨てて上流階級に成り上がろうとした差別意識と共通する。

しかし、期待が失望に変わり、さらに自らのために危険を冒して帰国した贈り主を出国させようと努力する中で、ピップは人間にとって本当に大切なものが見えてくる。出国に失敗した贈り主にピップが付き添う最後の日々と、その後の貧困と病の中でのピップとジョーの再会は感動的である。ジャガーズ弁護士が厳格な法律家の仮面の下で温情的な行動を示す場面も巧みに描かれている。

著者は、産業革命と大英帝国の繁栄のさなかで、地位や財産ではなく人間の絆と思いやりこそが大切であることを訴えたかったのであろう。人間的な「やさしさ」こそがジェントルマンgentlemanの意味であると。

 

同様に、失望と挫折を経て大切なものに気づく人々が本書では描かれている。ピップの贈り主もそうだが、男に対する復讐に凝り固まったミス・ハヴィシャムとその道具として育てられたエステラもそうした人物として描かれていく。

本書の大団円は当初のゲラ刷りの記載が変更されたとのことで、訳者解説には当初の記載部分が掲載されている。これによると当初の大団円はまさにほろ苦いものだが、変更によってコメディらしいハッピーエンドになったのかどうかには含みが残されている。

 

なお、上下巻通じてテムズ川の水上交通が詳しく描かれていて興味深い。石炭や牡蠣の運搬船をはじめ、19世紀初めのころの水運の様子が生き生きと再現されている。

 

訳文は読みやすく雰囲気がよく出ているが、35章のピップの姉の葬儀で「なんと、わが家はトラブ商会によってしめやかに差押えられていた」という箇所は、まるで未払い金の差押えのようである(弁護士や裁判所が登場する小説だけに生々しい)。

ちなみに、日高八郎訳では「トラッブ商店が葬儀一式を引き受けて、家ぜんたいを占領している」と訳されているが、原文は“Trabb and Co. had put in a funereal execution and taken possession.”なので、日高訳のほうが適切であろう。

 

 

◎2022年2月10日『大いなる遺産 上 (河出文庫)』ディケンズ

☆☆☆☆☆「遺産」Expectations とは、ほろ苦い期待?

主人公ピップの一人称で、少年時代から語られる伝記的小説。

姉夫婦の鍛冶屋の下で育った少年ピップは、たまたま資産家のハヴィシャム夫人の屋敷に招かれたことから上流階級の世界に憧れ、その憧れは「大いなる遺産」の見込みという幸運な話に展開する。

 

本の表題の「大いなる遺産」の原題はGreat Expectationsであり、「遺産」はlegacyでもheritageでもない。まだ実現しておらず期待に止まるから、“expectations”なのである。

にもかかわらず、ピップはすでにジェントルマンになったように贅沢になじみ、従者まで雇うが、慣れないために従者に逆に使われているかのようになる。

他方、徒弟関係にあった鍛冶屋のジョー(姉の夫)のことや労働者としての暮らしは、懐かしさが残りながら恥ずかしいものとして捨てようとしている。

そうしたアンビヴァレントなピップの立場が、いわばほろ苦い期待という意味で、“expectations”という言葉に込められているのだろう。

 

それにしても、ピップが初めて上京したロンドンの都市風景やピップの下宿は薄汚く寒々としており、後見人のいる裁判所の周辺の状況は『荒涼館』を読んだ人にはおなじみのカリカチュアで厳しく描かれている。鍛冶職人ジョーに象徴される純朴で人間的な田舎の情景と対照されているのである。

なお、冒頭から登場する「監獄船」は聞き慣れない言葉だが、軍艦を転用して囚人を収容していたらしい。もちろん監獄船内の環境は悲惨で、多数の囚人が死んだとのこと。

 

ちなみに、上流階級に憧れて成り上がろうとする下層階級の少年の物語と言えばスタンダールの『赤と黒』を想起するが、後者の主人公ジュリアン・ソレルは自らの学問の力と才覚で世に出ようとするドラマチックな物語であるのに対し、本書の主人公ピップは幸運な遺産相続という他力本願的な成り上がり物語(コメディ)といえそうだ。

 

 

◎2022年2月6日『子連れ狼 大合本1-10』小池一夫

☆☆☆時代を感じる・・・

子どもの頃に萬屋錦之介主演のテレビドラマを見ていたので、kindleの大合本版を読んでみたが、さすがに今風ではなく、時代を感じる。

一匹狼の刺客で超人的な強さという点で子連れ狼はゴルゴ13に似ているが、後者がイデオロギーにとらわれないプロフェッショナルで、ある意味で自由な存在なのに対し、前者は武士道と封建倫理のイデオロギーを極限まで貫徹する存在である。

他方、敵役の柳生烈堂も徳川幕府における柳生一族の地位をかけて対決するが、そのために一族がことごとく討ち死にするという矛盾した結果となっている。烈堂以下の柳生一族の誰もがその矛盾に疑問をはさまず、唯々諾々と死んでいくのが不思議である。

双方とも主義主張に命をかけ、子どもや家族を犠牲にして顧みない。いわば「昭和のドラマ」と言うべきか。

 

なお、幼子の大五郎が微笑ましいアクセントのような役割を果たしているが、親の特殊な価値観を押しつけられて「冥府魔道」に同行させられるのは、いくら封建時代といえども共感できない。

また、20巻(大合本7)以下で登場する毒味役の阿部頼母はテレビドラマでも異様な怪人として印象的だったが(金田龍之介の怪演が際立っていた)、原作ではさらにその怪人ぶりが発揮されており、武士道と対極の人間的なキャラクターとして、ドラマの進行に重要な役割を果たしていることがわかった。

 

 

◎2022年2月2日『荒涼館4 (岩波文庫)』ディケンズ

☆☆☆☆☆喜劇と悲劇が入り交じる大団円へ

第4巻は、第3巻で佳境に入った交錯する物語がそれぞれ大団円に向かって展開し、ジャーンダイス訴訟もついに結審に至る。

しかし、大団円は一様ではなく、喜劇と悲劇の入り交じったほろ苦いものである(古典演劇の原則通り、喜劇は町人の結婚、悲劇は貴族の死で終わる)。

 

まず、第3巻末のタルキングホーン弁護士殺人事件は、無実の元騎兵ジョージの逮捕で冤罪事件の様相を呈するかに見えたが、バケット刑事の活躍で鮮やかな真犯人逮捕劇となる。見込み捜査と自白の強要ではなく物証を粘り強く固めて犯人に迫る手法は、後のシャーロック・ホームズを予言するかのようである(コナン・ドイルは当然ディケンズを読んでいるはず)。

主人公エスターとその実母の物語は、殺人事件の捜査と絡みつつ、手に汗握る逃避行と追跡の物語となる。ロンドン郊外の悪路を、馬車を宿駅で乗り継ぎつつ行く鉄道敷設前の交通事情が描かれていて興味深い。

エスターの物語はジャーンダイス氏との婚約にもかかわらず、2人の求婚者が登場する展開となるが、最後は予感どおりのどんでん返しの喜劇で終わる。ここではジャーンダイス氏がまさに後見役になるわけだが、あまりにも善人すぎて存在感が希薄に感じる。

 

何代にもわたり多くの人を巻き込んで続けられたジャーンダイス訴訟は、新たな遺言の発見の後に終結するが、終結の理由は遺言内容ではなく訴訟費用が尽きた(遺産が使い尽くされた)という痛烈な皮肉の結末であった。末尾の著者序文によると実際に大法官訴訟ではこのような事件は少なくなかったという。

訴訟制度と弁護士に対する著者の批判は全巻通じて非常に厳しい。

また、旧世代の貴族社会はシニカルに描かれ、隆盛を極めたデッドロック邸の没落はまさに「神々の黄昏」である。

 

全巻を通じ、多数のキャラクターを誇張されたカリカチュアとして登場させ、物語と事件を交錯させつつドラマチックに展開して読者を飽きさせない手法は、後にドストエフスキーが手本としただけのことはある。

 

 

◎2022年1月30日『荒涼館3 (岩波文庫)』ディケンズ

☆☆☆☆☆2つの物語は佳境に入る。

第3巻は、エスターの物語と訴訟をめぐる事件が交錯しつつ、ドラマチックに展開していく。

エスターの物語は、意外と早く訪れた実母との対面と親子関係を隠さなければならない苦悩が描かれる一方、父のようなジャーンダイス氏からの結婚申込という劇的な展開となる。このどちらについても、ディケンズの小説的な企みによりさらなる展開やどんでん返しが予感される。

エスターは「おまえはお母さんの恥でした」という幼少期から繰り返し叔母に言われた言葉に苦しみ続け、実母との対面後も自分が死んだ方がよかったのかと悩むが、やがて「女王さまがじぶんの生まれに責任がないのと同じで」自身も生まれには責任はないと悟る。このあたりは主人公の芯の強さというだけでなく、身分制社会の桎梏から個人が解き放たれ、自我に目覚めつつあった当時の社会状況が読み取れる。

なお、エスターが感染症で醜くなったことが繰り返し強調されるが、これは天然痘のことなのであろう。現代の読者にはわかりにくいところである。

 

他方、ジャーンダイス訴訟は遅々として進まず、関係者の混迷はいよいよ深まっていく。

リチャードは「訴訟の魔力」に引っ張り込まれてジャーダイス氏と対立し、さらには借金で将校の地位を売却するに至る。リチャードを食い物にする抜け目のないヴォールズ弁護士や、無責任に付和雷同するスキンポール氏が訴訟社会のカリカチュアとして描かれる。

そして、最後はタルキングホーン弁護士の謎の死である。これは殺人事件としてえん罪の様相を帯びてくる。

 

 

◎2022年1月29日『民法判例百選Ⅱ 債権(第8版) 別冊ジュリスト』

☆☆☆☆☆債権法と不法行為法の主要判例、債権法改正の影響を意識した解説

定番の民法判例解説である。

Ⅱでは債権総論39、債権各論37、不当利得・不法行為35の合計111判例で、最新判例は2017年のものである。大審院判例はさすがに7つにとどまり、他方、平成判例は47にのぼる。

 

この第8版は、なんといっても債権法を中心とした2017年の民法改正を意識し、ほとんどの判例解説で民法改正の影響を論じている点が重要である。

民法改正作業では、重要判例をめぐる議論とその後の判例・学説の展開を踏まえ、旧民法の条文が整理され、削除されたり新たに追加されたものも少なくない。また、議論されたが改正に至らなかった条項も少なくないことがわかる。

民法学習者にとって不可欠な判例集といえよう。

 

 

◎2022年1月28日『チェーザレ 破壊の創造者(13) 』惣領冬実

☆☆☆☆☆これで本当に完結? 続編を期待

12巻が20196月だったので2年半ぶり、しかしその前は4年ぶりだったのでペースが上がったのかと思ったら、帯には「堂々完結!」と。

しかし、本の末に「完」の文字もなければ、著者のあとがきもない。内容はチェーザレの父ロドリーゴが新教皇に選出されて、これからボルジアの時代が始まるというところで終わる。チェーザレはまだ青年で、その本領はこれから発揮されるというのに。

これで本当に完結なのか?

あるいは著者は権謀術数生々しいチェーザレの伝記ではなく、青年までの物語を描きたかったのだろうか。

 

ともあれ、本巻の内容は枢機卿達の思惑が入り乱れるコンクラーベの後半戦が見事に描かれている。

枢機卿たちの不気味で個性的な風貌が面白い。

また、やはり当時のイタリアの都市と農村の風景は細密画のように丁寧に描かれており、とりわけチェーザレが祈りを捧げるシエナの大聖堂と、有名なすり鉢型の広場での競馬の描写は圧巻である。

 

愛読者としては、準備期間をおいてこの続編が書かれることを期待したい。

 

 

◎2022年1月24日『荒涼館2 (岩波文庫)』ディケンズ

☆☆☆☆☆19世紀英国社会の縮図、多彩な登場人物の面白さ

第2巻は、多彩な登場人物それぞれの思惑と行動で、物語の姿が徐々に明らかになってくる。主人公エスターの出生の秘密についてもその端緒が見える。

 

大法官裁判所は夏休みに入り、物語の基底にある「ジャーンダイス対ジャーンダイス」訴訟はのろのろとしか進行しない。弁護士たちの優雅な休暇ぶりやタルキングホーン弁護士の陰謀めいた行動の描き方に、著者の訴訟社会に対するシニカルな目線が感じられる。

それはともあれ、第1巻、第2巻を通じて実に多くの登場人物が描かれ、その名前を覚えるのが大変なほどだが、ディケンズは多様な登場人物の性格・特徴を巧みに描き分け、19世紀英国社会を生き生きと再現している。

貴族のサー・デッドロック氏に対し新興資本家である鉄工所親方ランスウェル氏が、親方の息子の結婚をめぐって堂々と対峙する場面や、「公共の目的」にすべてを捧げ夫の破産や娘の結婚も眼中にない社会活動家ジェリビー夫人と、その娘婿の父である「立ち居振る舞い」の大家ターヴィドロップ氏などのカリカチュアは当時の読者の思い当たる人々だったのであろう。この他にも、怪しげな宗教家で大食漢のチャドバンド師や神出鬼没のバケット刑事など、愉快で笑える人物が満載である。

こうした中でも、貧困層の子どもたちの悲惨さや、それを救済しない社会制度の矛盾は厳しく描かれており、ディケンズの子どもたちへの温かい視線が感じられる。

  

 

◎2022年1月16日『荒涼館1 (岩波文庫)』ディケンズ

☆☆☆☆☆19世紀の英国社会を訴訟の断面から戯画化

19世紀前半、ヴィクトリア朝時代の大英帝国の社会と風俗を生き生きと描き出した小説である。

ディケンズの他の小説同様、貴族から下層民衆までの多彩な登場人物が誇張された人物像で生々しく描かれ、人間の善意と悪意が複雑に絡み合った物語が展開される。また、産業革命下の都市社会で貧困に苦しむ人々や、親や社会の援助を十分受けられない子どもたちが同情あふれる温かい視線で描かれている。

 

この小説ではなんといっても当時の訴訟制度と法曹界の人々が徹底的に戯画化され、物語の中心モチーフとして批判的に扱われているのが特徴的である。

本書末尾の訳注に当時のイギリスの訴訟制度が簡単に解説されているが、コモンロー(慣習法)により犯罪を裁く普通法裁判所に対し、本書に登場する「ジャーンダイス対ジャーンダイス」訴訟はエクイティ(衡平法)により遺言や信託財産などを扱う大法官裁判所で扱われる。後者は陪審裁判ではなく大法官(Lord Chancellor)による裁判である。そして、「ジャーンダイス対ジャーンダイス」訴訟は法曹界で語り草になるほど有名な訴訟で、何代にもわたって続けられているが、もともとは遺言と遺言に記載された信託財産にかかわるものが「いまでは訴訟費用だけが争点になっている」のだという。つまり、莫大な遺産はすべて訴訟費用に費消されてしまい、当事者である相続人たちは困窮に追いやられているわけなのである(!)。

 

このほか、第1巻ではアヘン中毒で死んだと思われる謎の代書人の検死審問が出てくる。「検死審問」はシャーロック・ホームズや名探偵ポワロでもおなじみのイギリス独特の制度であり、不審死の死因を警察任せにせず陪審で審理するというものであるが、ここでは陪審員たちが現場近くのパブに集合して評議し、死体を実地検分する場面が描かれていて驚いた。刑事手続への市民参加の伝統ということだろう。

 

なお、登場人物が多数で、しかも名前が通称やあだ名が入り交じってわかりにくい。冒頭に登場人物一覧が五十音順に紹介されているのは親切だが、もう少し工夫がほしいところ。

また、エスターの1人称形式の物語はひらがな表記が多用されているが、話し言葉の柔らかさを強調する意図であろう。読みづらいというほどでもない。

  

 

◎2022年1月7日『民法判例百選I 総則・物権(第8版) 別冊ジュリスト』

☆☆☆☆☆定番の判例教材 第8版は平成28年の判例まで

民法学習者には不可欠な定番の判例教材である。

8版ともなれば著者も大幅に入れ替わり、フレッシュな観がある。

収録判例は101だが、そのうち39を平成判例が占めている。他方、大審院判例も14あり、その多くは歴史的な著名判例である。

著者によって内容にばらつきがあるが、事案と原審判決の紹介、判例の判旨、事案の背景と学説の対立点から問題の所在が把握できるようになっている。

ただ、複雑な事案や判例・学説が錯綜している論点では図表等も活用してもらいたい。

 

なお、kindle版を購入したが、プリントレプリカ形式ではない通常の電子書籍であり、スマホやタブレット等で利用しやすくなっている。

 

 

◎2022年1月1日『知的財産法入門 (岩波新書)』小泉直樹

☆☆☆☆知的財産法の考え方がわかる好著 ただし、法改正に対応した新版が望まれる

知的財産とは、2002年に制定された知的財産基本法によると、

「発明、考案、植物の新品種、意匠、著作物その他の人間の創造的活動により生み出されるもの」

「商標、商号その他事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの」

「営業秘密その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報」

と定義されている。

対象とする領域は非常に広範囲であり、テクノロジー、ブランド、デザイン、エンタテインメントの各領域の知的財産に所有権類似の独占権を与えることを目的としている。

本書はこの広範囲に及ぶ知的財産法の基本的考え方、思想を非常にわかりやすく説明しており、初学者のみならず知識の整理と学習の発展に役立つと思われる。

 

1章の知財法の沿革については、福沢諭吉が特許の考え方を日本に紹介したことや、高橋是清が初代の特許庁長官であったことなど、興味深い事実が紹介されている。

特許法については、発明者の権利の取得と保護という理解が通常であるが、著者によると特許の究極目的は「公開された技術に当該分野のエンジニアが工夫を加え、新しい改良技術が生み出されること」なのだという。従って、新技術の「公開」に重点が置かれており、企業としては特許を取るか営業秘密にするかの選択肢があるとする。

また、会社の特許取得と職務発明者である従業員の利害調整が近年問題化し、発明の対価について訴訟が多く起きるようになったのは、終身雇用制が崩壊して退職した従業員との間の紛争が表面化するからだという。

著作権については、特許と違い役所への登録なしで権利が発生する(無方式主義)が、これは「芸術、文化というものは、国家による審査になじまないという考え方を背景とする」とされる。ただし、権利が侵害されて保護を求める段階で裁判所が権利の有無を判断することになる。

 

その他、ブランドを扱う商標法や不正競争防止法などを含め、新書版ながら深い理解と興味を喚起させる内容であるが、近年のIT化の進展や日進月歩の技術革新に対応して、知財法の各分野では本書刊行後も法改正がめまぐるしく進んでいる。例えば、著作権の保護期間は50年から70年まで延長された。

近年の法改正に対応した新版の発行が期待されるところである。


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