2020年後半読書日記
【2020年後半 読書日記】
◎2020年12月31日『一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》(ちくまプリマー新書)』宮下規久朗
◎2020年12月25日『人権法 第2版』近藤敦
◎2020年12月20日『《受胎告知》絵画でみるマリア信仰 (PHP新書)』高階秀爾
◎2020年12月18日『シルクロード世界史 (講談社選書メチエ)』守安孝夫
◎2020年12月14日『万葉ポピュリズムを斬る』品田悦一
◎2020年12月13日『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ [改版] (中公新書)』江上波夫
◎2020年12月9日『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』村山治
◎2020年11月29日『古事記 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』
◎2020年11月23日『音楽の肖像』堀内誠一・谷川俊太郎
◎2020年11月19日『ワカタケル (日本経済新聞出版)』池澤夏樹
◎2020年11月15日『集結 P分署捜査班 (創元推理文庫)』マウリツィオ・デ・ジョバンニ
◎2020年11月11日『森の中に埋めた 刑事オリヴァー&ピア・シリーズ (創元推理文庫)』ネレ・ノイハウス
◎2020年11月10日『新しい免疫入門 自然免疫から自然炎症まで (ブルーバックス)』審良静男 (著), 黒崎知博
◎2020年11月3日『自己免疫疾患の謎』アニータ・コース
◎2020年10月31日『ウイルスの世紀―なぜ繰り返し出現するのか』山内一也
◎2020年10月23日『苦悩する男 上下 刑事ヴァランダー・シリーズ (創元推理文庫)』ヘニング・マンケル
◎2020年10月18日『パチンコ 上下 (文春e-book)』ミン・ジン・リー
◎2020年10月14日『反日種族主義との闘争 (文春e-book)』李栄薫編著
◎2020年10月13日『シャーロック・ホームズ最後の挨拶【新訳版】(創元推理文庫)』
◎2020年10月9日『恐怖の谷【新訳版】(創元推理文庫)』コナン・ドイル
◎2020年10月7日『シャーロック・ホームズの復活【新訳版】 (創元推理文庫)』コナン・ドイル
◎2020年10月2日『SHERLOCK/シャーロック シーズン2(字幕版)』
◎2020年10月2日『バスカヴィル家の犬【新訳版】(創元推理文庫)』コナン・ドイル
◎2020年9月29日『四人の署名【新訳版】(創元推理文庫)』コナン・ドイル
◎2020年9月28日『回想のシャーロック・ホームズ【新訳版】 (創元推理文庫)』コナン・ドイル
◎2020年9月23日『緋色の研究【新訳版】(創元推理文庫)』コナン・ドイル
◎2020年9月22日『シャーロック・ホームズの冒険【新訳版】 (創元推理文庫)』コナン・ドイル
◎2020年9月17日『失われた世界 (光文社古典新訳文庫)』コナン・ドイル
◎2020年9月12日『巨人の星(アニメ)』梶原一騎・川崎のぼる
◎2020年9月9日『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』アンリ・ピレンヌ
◎2020年8月31日『中世史講義【戦乱篇】 (ちくま新書)』高橋典幸編
◎2020年8月26日『中世史講義―院政期から戦国時代まで (ちくま新書)』高橋典幸他
◎2020年8月16日『いまこそ、希望を (光文社古典新訳文庫)』サルトル/レヴィ
◎2020年8月13日『ラ・ボエーム (光文社古典新訳文庫)』アンリ・ミュルジェール
◎2020年8月3日『スティーグ・ラーソン最後の事件』ヤン・ストックラーサ
◎2020年7月25日『蜜蜂と遠雷(上下) (幻冬舎文庫)』恩田陸
◎2020年7月22日『砂男(上下) (扶桑社BOOKSミステリー)』ラーシュ・ケプレル
◎2020年7月18日『特捜部Q―アサドの祈り― (ハヤカワ・ミステリ)』ユッシ・エーズラ・オールスン
◎2020年7月10日『ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち 』スジャータ・マッシー
◎2020年7月2日『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』ロバート・ヒルバーン
◎2020年12月31日『一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》(ちくまプリマー新書)』宮下規久朗
☆☆☆☆マタイ問題から「召命」をめぐる深い思索へ誘う
数年前にこの著者の『カラヴァッジョへの旅』を携えてローマとナポリの教会をめぐり、さらに翌年にはマルタ島にも赴いて、本書に紹介されている主要なカラヴァッジョの絵画を堪能した。そのときは「聖マタイの召命」のキリストに召命されるマタイは当然のように左端のうつむいた男だと思っていたが、かつては中央の髭の男だと理解されており、現在でも論争の的なのだという。私が左端の男だと思ったのは著者の本を読んだからかもしれないが、それ以上に絵を見た印象から左端の男の鬱屈した存在感が圧倒的で、これに対し中央の髭の男の描かれ方は軽すぎて絵の主人公とは思えなかったからだと思う。
著者が「聖マタイの召命」のマタイを左端の男だと考える理由は本書に詳しく論じられているが、さらに本書で著者は、マタイを中央の髭の男とする解釈も許容する曖昧さをカラヴァッジョは残しており、それは絵を見る者が誰にでもマタイを認めてよいのだという解釈に通じるという。
そこから著者は「召命」という深遠な哲学的テーマに移行し、カラヴァッジョがその後に描いた「パウロの回心」や「ペテロの否認」における「回心」、「否認」もまた「召命」と同様に人生の大きな転機として光が当てられているとするのである。すなわち、これらはいずれも客観的な事件としてではなく、人間の内心における大きな葛藤と選択として描かれたものであり、さらにはカラヴァッジョが「聖マタイの召命」を描く機会を与えられたこともまた「召命」にほかならないのだと。
ちなみに、「聖マタイの召命」のイタリア語の原題は“Vocazione di san Matteo”であり、キリスト教圏では「召命」(英語はvocation、ドイツ語はBeruf)は職業を意味する。ウェーバーを参照するまでもなく神の呼びかけが原義であるが、職業に限らず人生の重大な選択を人間が倫理的に受け止めることの深い意味を著者は本書を通じて語りかけているのである。
なお、本書は口絵16枚がカラーでとてもうれしいが、どうせなら本文中の絵もすべてカラーにしてほしかった。その点で☆一つ減らした。
◎2020年12月25日『人権法 第2版』近藤敦
☆☆☆☆☆日本国憲法の人権規定を国際人権法の観点から読み直す
故あって憲法の人権分野の知識をブラッシュアップするため、本書(kindle版)を購入した。
通常の憲法の基本書とは異なり、人権法分野に範囲を絞り、各項目ごとに通説・判例に加えて国際人権規約や諸外国の憲法、裁判例等を豊富に紹介しており、日本国憲法の人権規程の解釈に国際法の観点からも光を当てようとする意欲的な著作である。
憲法は民法などに比べて一般人には縁遠いように思う人もいるかもしれないが、実は毎日の新聞は憲法に関連するニュースであふれている。新型コロナウイルス問題をみても、感染症による隔離と移動の自由、営業の自由、財産権の保障、地方自治等が思い浮かぶし、学術会議委員の任命拒否問題では学問の自由と公務員選定罷免権が議論された。その他、表現の自由、プライバシー権、信教の自由、結婚の自由、生存権、労働基本権、適正手続等々、社会生活を送る上で誰もがぶつかる問題に対する指針を示すのが基本法たる憲法なのである。
元来、日本国憲法は第2次世界大戦後の戦後処理と国連創設の中でつくられたものであり、前文で国際主義が強く打ち出され、98条2項では「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と明記されている。遵守すべき対象は条約のみならず「確立された国際法規」も含むのである。
その意味で、国際法の観点を踏まえて人権法を解釈するのは必要不可欠なことと言っていい。
実務上も、過去の多数の裁判例が国際人権規約や外国の判例理論を参考にしたり引用したりしており、国際事件や憲法訴訟を扱う弁護士だけでなく一般事件を扱う弁護士も、憲法上の論点が絡む場合は国際法や外国判例を参照して裁判所を説得する場面が増えるだろう。
グローバル化が今後も進む以上、本書のような憲法基本書の必要性はますます大きくなるはずである。
◎2020年12月20日『《受胎告知》絵画でみるマリア信仰』高階秀爾
☆☆☆☆☆多数の名画をカラー画像と極上の美術史解説で味わう
ヨーロッパの美術館を訪れると、「受胎告知」annunciation をテーマとした様々な時代の多数の絵に出会う。
本書は「受胎告知」に焦点を当て、新書版ながらゴシックから現代に至る48点もの名画のカラー画像を掲載し、各時代ごとに細かくテーマ設定してわかりやすく解説したものである。著者の高階秀爾氏は言うまでもなく美術史の大家であり、一般向けの解説の中にも専門的知見を随所にちりばめた極上の美術史講義となっている。
私はkindleでカラー画像を拡大しながら読んだが、紙版の新書よりも電子版のほうが画像を見るにはいいかもしれない。
ちなみに、私が面白かった点をいくつか挙げる。
◯「大天使ガブリエル」は天使の階級の中では9階級中の下から2番目で、ヒラの天使の上にすぎない。上位の天使は天の神の近くにいて地上には降りてこないという。
◯ウフィツィ美術館にあるシエナ派のシモーネ・マルティーニの有名な「受胎告知」では、大天使ガブリエルは白百合ではなくオリーブの枝を持っているが(白百合は花瓶に生けてある)、これは平和の使者という意味だけでなく、百合を紋章とするフィレンツェとシエナが敵対関係にあったからとか(画像は2019年8月撮影)。
◯古典的な絵画の構図は大天使ガブリエルが左でマリアが右に配されるが、これは大天使の口から祝福の言葉が左から右にラテン語の文字で書かれたためである。
◯近代合理主義に抗して「受胎告知」を描いたラファエル前派のロセッティの絵が紹介されているが、宗教画というよりも娘に訓戒を与える母のような私的空間に見える(マリアと大天使のモデルは画家の妹と母親)。
◯ダヴィンチの「受胎告知」はあまりにも有名だが、現代のアンディ・ウォーホルはダヴィンチの絵の大天使ガブリエルとマリアの手の部分を切り取ったパロディを描いている(本書では両者が並べて比較できるようにしてある)。私は、ミケランジェロの「アダムの創造」から手の部分を切り取ってデザインした映画「E.T」のポスターを連想したが、こちらの方がアンディ・ウォーホルより少し早い。
などなど・・・
実は、私は本書に紹介されている名画の多くを実物で見ている。大原美術館のエル・グレコのダイナミックな表現も印象に残っているが、「受胎告知」というテーマでいえば、やはりフラ・アンジェリコの敬虔な表現が一番である。フィレンツェのサン・マルコ修道院の階段を上ると、目の前の壁に無造作にあのフレスコ画が描かれている。その出会いも驚きで、感動的だった。
◎2020年12月18日『シルクロード世界史』守安孝夫
☆☆☆☆「前近代ユーラシア世界史」と「前近代世界システム論」
「シルクロード世界史」とは、著者によれば前近代のユーラシア大陸を中心に見た世界史であり、騎馬遊牧民が活躍したユーラシア中央の広大な地域からみれば、4大文明圏やギリシャ・ローマ世界はその辺境に位置づけられるという。大航海時代以降は海上の交易が中心となりシルクロードはその役割を終えるから、時代的には前近代までのユーラシア騎馬遊牧民の歴史が叙述の対象となっている。
著者のシルクロードの定義は、「近代以前においてユーラシアの東西南北を結んだ高級商品流通のネットワークであり、文化交流の舞台」であり、前漢の武帝が張騫を西域に派遣する以前からも含み、またローマと中国の交易にとどまらない広範囲の交易を意味する。
農耕・都市文明である中国中心の東洋史ではなく、広大なユーラシア大陸の草原を移動する騎馬遊牧民を中心とする歴史把握は斬新であり、著者独自の歴史観も交え論旨がわかりやすく展開されている。
著者はウォーラーステインの近代世界システム論(西欧諸国が南北アメリカからの収奪により発展)にならって、前近代においてはユーラシア北部の騎馬遊牧勢力が騎馬軍団の圧倒的な軍事力で南部の農耕社会から収奪したという「前近代世界システム」が成立していたとするが、離合集散する騎馬遊牧民の諸国家の興亡については概観的にしか触れられていない。この点では江上波夫の『騎馬民族国家』のほうが詳しい。
その反面、著者がその文書研究をライフワークとしたというウイグルについては分厚く記述されており、キャラバンの手紙の挨拶文例なども詳しく紹介されている。シルクロードの仏教伝来に果たしたソグド人とウイグルの役割やマニ教国教化という話も興味深い(マニ教の貴重な宗教画が近年日本で発見されたとのこと)。
著者によれば、モンゴル帝国で活発化した東西交易を担ったのはイスラム商人ではなくウイグル商人であり、その多くはマニ教から改宗した仏教徒であったという。
私自身、かなり以前に中国の新疆ウイグル地域やウズベキスタンなどのシルクロードを旅行したことがあり、クチャやトルファンの仏教遺跡や漢民族とは全く異なるウイグルの人々の文化と暮らしぶりに感銘を受けた。近代ではウイグル地域は完全にイスラム化しているが、前近代の彼らの活躍を思い描きつつ本書を読んだ。
◎2020年12月14日『万葉ポピュリズムを斬る』品田悦一
☆☆☆☆「令和」を機に万葉幻想を払拭し、その政治利用を批判する
著者は万葉集の研究者であるが、それにもかかわらず本書は一般人が万葉集に抱いているロマンと幻想を打ち壊すために書かれたものである。いわば研究者のメシのタネを自ら貶めるようなものなのであるが、著者をそこまで駆り立てたものは、令和改元の政府説明で、漢籍でなく「国書」である万葉集から引用したとか、万葉集は天皇や貴族から農民の歌まで載っているとか喧伝されたことへの強い反発であり、研究者の矜持をかけて戦いを挑んだということなのである。
まず、万葉集は「国書」ではない。国書とは通常は国家の外交文書を指すが、万葉集はもちろん外交文書ではないし、天皇の命による勅撰和歌集でもない。大伴家持が編集したとされているが、成立自体に議論がある。
また、東歌や防人の歌に農民や庶民の歌があると言われているが、著者によると当時の民衆の大多数であった下層民が和歌を詠めるわけがなく、東歌や防人歌は地方の豪族(郡司など)が中央から赴任した貴族(国司)との宴で詠んだものを収集したと論じる。
さらに、「令和」の出典となった大伴旅人の歌は太宰府長官としての赴任中のものであるが、長屋王の変など中央政界における藤原氏支配の横暴への批判が背景にあり、時代を言祝ぐ歌ではないとするのである。
私自身は学生時代に正岡子規の『歌よみに与ふる書』などに影響されて、万葉集のリアリズムや東歌の純朴さにロマンを感じてきたほうだが、最近は伊勢物語や源氏物語、さらには新古今集の知的な仕掛けにあふれた和歌の世界に魅力を感じるようになった。
万葉集についても純朴なリアリズムの世界ではなく、著者が本書でその一端を示したような、編者の意図や前後のテクストの関連性などからの分析も踏まえ、より深く味わうべきであろう。
なお、Kindle版の注意書きに書いてはあるが、紙の本をそのままPDFにしたような体裁で、地の文字も資料もいちいち拡大しないと読みづらい。また、マーカーもつけられない。
少なくとも地の文の入稿は電子データのはずだから、出版社は電子書籍の便利さを活用できるよう配慮してもらいたい。
◎2020年12月13日『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ
[改版]』江上波夫
☆☆☆☆☆東アジア史から日本古代国家を位置付ける壮大な仮説
一世を風靡した「騎馬民族征服説」を体系的に解説した著書であり、新書版ながら340頁に及ぶ。
池澤夏樹氏の『ワカタケル』と『古事記』を読んでから、改めて本書を読んでみたが、今なお一読の価値のある知的刺激に満ちた仮説であると感じる。
古事記を読んだ人なら、アマテラスの命令でオオクニヌシから日本の統治権を奪う「国譲り」の物語や、ニニギノミコトが九州に天下った「天孫降臨」、さらにはその数代後に神武天皇が東征して大和橿原で即位したとする「神武東征」などの荒々しい征服の物語が、その裏にどのような歴史を秘めているのか興味を持ったはずだ。
また、大和王権が当初から朝鮮半島と深く関係し、政権中枢近くに渡来人を登用していたことや、高句麗広開土王の碑や唐・新羅連合軍との白村江の戦いに至る軍事的侵攻までしている経緯も興味を惹く。
著者は東洋史の碩学であり、アジア、ユーラシア大陸の古代史からアプローチするスケールの大きな議論を展開する。本書の前半はスキタイ、匈奴、突厥、鮮卑などの騎馬民族の歴史と文化が詳しく論じられており、ユーラシア大陸を縦横に駆け巡り大帝国を建設した騎馬民族の興亡はそれ自体が非常に面白い。そして、こうした騎馬民族との比較で日本の古代国家の権力構造や文化が丁寧に検討され、仮説が説得的に提示されていくのである。
ちなみに、著者の仮説は、「日本における統一国家の出現と大和朝廷の創始が、東北アジアの夫余系騎馬民族の辰王朝によって、四世紀末ないし五世紀前半ごろに達成された」というものである。
著者は1984年の改版あとがきで、この辰王朝を裏付けるミッシングリングは朝鮮半島南部の伽耶遺跡に発見されたとしているが、日本側では未だに認められない天皇陵の発掘がミッシングリングの発見の前提となろう。
◎2020年12月9日『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』村山治
☆☆☆☆すまじきものは宮仕え 官邸の人事介入に振り回された検察
黒川東京高検検事長の定年延長が大きな政治問題となり、最後は黒川氏自身の賭麻雀事件で後味の悪い幕引きとなったことは記憶に新しい。
本書は検事総長人事をめぐる検察庁の思惑と、与野党や行政官庁のロビーイングに長けた黒川氏を検事総長に据えたい安倍官邸との衝突と長期にわたる暗闘を描くとともに、その一連の流れに河井元法務大臣夫妻の買収事件の検察捜査も位置づけて理解させるノンフィクションである。また、安倍政権を承継した菅首相が日本学術会議委員の任命拒否問題で大きく躓いたことも考え合わせると、安倍政権の下で進められた官邸による人事支配、人事統制という政治手法の問題性を考えさせる著作でもある。
検事総長の任命権は確かに内閣総理大臣が有しているが、問題の本質は検察庁が司法の一翼を担い、政治家や官僚の汚職や犯罪を追及する役割を担った特殊な官庁であるということにある。すなわち、一般の行政官庁と異なり、検察庁は司法部門としての独立性が保障されなければならないのであり、検察官の定年が国家公務員法でなく特別法である検察庁法で定められているのもその身分保障の趣旨があると考えられる。
にもかかわらず、法務省は検察庁法よりも国家公務員法を優先させる奇策で黒川高検検事長の定年延長を行い、さらにそれを追認し官邸の検察幹部人事への介入を許す検察庁法改正法案まで提出した。これは法務・検察の迷走というほかなく、野党やマスコミの厳しい批判にさらされたのは当然である。黒川氏自身もこうした状況で検事総長になることを嫌がっていたという話は十分理解できることであり、賭麻雀事件はまさに「自爆」による幕引きだったのだろう。
なお、筆者はモリカケ事件等で黒川氏が安倍政権を守る役割を果たしたとは見ておらず、その調整能力と法律知識を政権に重宝に利用されたとしており、「悪女の深情け」という表現で黒川氏に同情するコメントまで引用している(この場合の「悪女」とは官邸のことである)。
それにしても、本書に法務・検察幹部として登場する黒川、林、稲田、辻他の面々は、司法試験に合格して検事任官し、法務・検察官僚としてエリートコースを歩んでいた有能な人材である。その中で、たまたま時の政権にとって使いやすいという理由で黒川氏が長く政権近くのポストに留め置かれ、検察人事に大きな狂いが生じたことに「暗闘」の背景がある。政権に近いと見られることは検察官のキャリアとしてはマイナスとなる。
まさに、「すまじきものは宮仕え」である。
◎2020年11月29日『古事記 池澤夏樹=個人編集
日本文学全集』
☆☆☆☆☆古代人の荒々しい息吹が感じられる。解題・解説は必読
訳者池澤夏樹氏の著書『ワカタケル』を読んだことから、その前提となる本書も読んでみた。
古事記の物語は少年時代に読んでいるが、昭和世代にはやはり戦前の「国家の神話」である天孫降臨神話のイメージが強く、そのため読むのを敬遠してきた。
本書はそうした古色蒼然としたイデオロギーから離れた現代人の観点から読み直された、古典の面目を一新する新訳と言っていい。読んでみるとやはり日本の古代史や民俗学の貴重な資料であると感じられるし、口承文学と万葉以前の歌謡の伝統という観点からも非常に興味深く読めた。
ただ、古事記の成立と構成、神話と天皇の系譜が入り交じった内容という独特の世界を理解するためには、巻末の三浦佑之氏の解題と訳者の解説をまずざっと読んだ方がよいかもしれない。
今回、通読してみて意外に思うことは、壬申の乱を経て中央集権国家の確立へ向かう大和政権と天皇の権威を正当化する印象からはほど遠く、荒々しく、ときには狡猾な計略も交えた権力奪取や支配拡大が、簡潔にしかし生々しく語られていることである。特に、出雲神話に続く「国譲り」の物語は、アマテラスの2度にわたる使者が帰らず、ついに実力で脅かしてオオクニヌシに国譲りを承認させるというもので、その背景には厳しい権力闘争があったことを想像させる。
また、言葉遊びのように膨大に書き連ねられる神々や豪族の名前について、訳者は可能な限り細かく地名と対照させているが、これは大和政権の支配に地方の豪族を服属させる過程を反映し、豪族らの序列化を図るものだと推測されて興味深い。訳者によると、古事記の成立は各豪族や職能集団らが持ち寄った伝承や記録を集め、その混沌とした膨大な資料を統合しようとしたものであるが、統一をやりすぎず混乱をある程度残すことも配慮されたという。いわば古事記編纂は諸勢力の政治的統合と表裏一体の作業であったのだろう。敗者への配慮や共感が感じられるという訳者の指摘もなるほどと思う。
なお、訳注は細かくかつ膨大であるが、著者の作家らしい意見も含むわかりやすいものである。Kindle版では傍線をタップすると訳注が表示されて便利である。
◎2020年11月23日『音楽の肖像』堀内誠一・谷川俊太郎
☆☆☆☆☆色彩あふれる肖像と軽妙な詩で味わう28人の音楽家
1987年に54歳で亡くなったイラストレーター堀内誠一と今年89歳になる詩人谷川俊太郎による、奇跡のような一冊である。
この2人は『マザー・グースのうた』(草思社版 谷川翻訳・堀内イラスト)を出版したコンビであるが、本書は堀内がPR誌『ピアノの本』の表紙として連載した音楽家の肖像を中心に未発表の作品を加えた28人の音楽家の肖像と紹介文に谷川の詩を添えるという構成となっている。谷川の詩は過去に発表したものもあるが書き下ろしが多い。
『ピアノの本』の表紙とあってピアノ演奏の肖像が多く、バッハ、モーツアルト、ベートーベンからドビュッシー、サティ、プロコフィエフに至る近現代の音楽家を網羅しているが、他方、ワーグナーやブルックナー、マーラー、リヒャルトシュトラウスといった後期ロマン派やヴェルディ、プッチーニといったオペラ作曲家が含まれていないのはピアノ演奏の絵が描きにくかったからだろうか。
それにしても堀内の絵は実に色彩豊かであり、音楽家の肖像も雰囲気がよく出ていて素晴らしい(ちなみに、表紙の絵はエリック・サティ)。また、谷川の詩も堀内の絵とマッチして軽妙でわかりやすく、書き下ろしの作品も90歳近い詩人とは思えない若々しさである。
新聞書評で本書の紹介を見て速攻で紙の本を購入したが、期待通りの素晴らしさで紙の本の所有欲を十分満足させる。さらに、随時気軽に読むためにKindle版も購入したが、こちらは紙の本をそのまま電子化しただけで、ページも紙の本と同じである。したがって、スマホでは画面が小さすぎて絵が楽しめないし、字が小さい。画面の大きなタブレットでカラーで読むことを推奨する。
◎2020年11月19日『ワカタケル』池澤夏樹
☆☆☆☆ギリシャ神話のような人間と神々の距離の近さ
「ワカタケル」とは後に雄略天皇と名付けられた大王であり、大王位を継ぐために兄弟や従兄弟を殺し反抗する豪族を苛烈に誅伐し、日本書紀では「大悪天皇」とまで書かれた人であるが、この人物を池澤夏樹氏がどのように描いたのかがまず興味を惹いた。
ワカタケルの人物像と大王としての事跡については、おおむね記紀の叙述と現在の古代史学を踏まえたものと思われ、2人の兄と従兄弟を殺害したことや下僕の些細なミスを過酷に処罰する暴君的性格が描かれる一方、大王を頂点とした国家秩序の強化と農工業の振興、朝鮮半島や中国との活発な交渉などの功績も触れられている。
しかし、本書における著者の本領が発揮されているのは、ギリシャ神話のような人間と神々の距離感の近い世界を、記紀神話を踏まえて描いたところにある。ホメロスの『イーリアス』や『オデュッセイア』を想起してもいい。ワカタケルは重要な折々にカムヤマトイワレビコ(神武天皇)や武内宿禰といった神々と出会い、親しく語らって教示を受けている。また、狐や鳥が神々の使いのように描かれるのもギリシャ神話と同じである。人間を取り巻く森羅万象の中に神々や霊がごく身近な存在として感じられ、事あるごとに人間に介入してくる。それが古代人の世界観なのだろう。
本書の物語では、霊力のある2人の女性(ヰトとワカクサカ)がワカタケルを時には励まし時にはいさめる重要な役割を果たしており、その役割はワカタケルの死とその後の大王位の承継まで続いている。ワカタケルに象徴される猛々しい武力や海外侵略といった男性的原理に対し、著者は霊力で平和を維持し海外との交易による繁栄をめざす女性的原理をメッセージとして伝えたかったのであろう。
◎2020年11月15日『集結 P分署捜査班』マウリツィオ・デ・ジョバンニ
☆☆☆☆☆原題は「ピッツォファルコーネのろくでなしたち」
翻訳が少ないイタリアの刑事物であるが、本書は最初の謝辞がエド・マクベインに捧げられているように、『87分署』の衣鉢を継ぐ人間くさい刑事たちの物語となっている。
邦訳は「P分署捜査班集結」となっているが、イタリア語の原題の意味は端的に「ピッツォファルコーネのろくでなしたち」(英訳では“The Bastards of Pizzofalcone”)となっていて、4人の問題刑事たちが寄せ集められた警察署の物語だとわかる。
ちなみに、ナポリのピッツォファルコーネという地名はサンタルチア港や卵城の近くの自然公園の名前である。ナポリを訪れたことがある人はわかるように、この付近はナポリ湾に面しベスビオ火山を正面に望む抜群に風光明媚な地区(まさに「ナポリを見て死ね」である)がある一方、少し街中に行けばトレド通りの繁華街やその裏町が広がる地区でもある。
シリーズ第1作の本書では、高級住宅地区のマンションで公証人夫人がスノードームで殴られて殺された殺人事件を軸に、美少女の監禁疑惑や自殺を装った連続殺人といった事件が並行して進行し、その間に刑事たちの悩み多い私生活が織り交ぜられる。語りのテンポが非常によく、イタリアらしい軽妙洒脱さや色気も感じられる。今後も翻訳が予定されているとのことで期待したい。特に、4人の刑事の中でも主人公クラスのロヤコーノ警部については、作品中にたびたび言及されている「クロコダイル事件」が扱われる前著を翻訳してもらいたい。
(ナポリ湾からベスビオ火山を望む。2018年1月撮影)
◎2020年11月11日『森の中に埋めた
刑事オリヴァー&ピア・シリーズ (創元推理文庫)』ネレ・ノイハウス
☆☆☆☆☆森の中で始まり森の中で終わる
刑事オリヴァー&ピア・シリーズもこれが8作目となり、オリヴァーは刑事生活に疲れてサバティカル休暇をとろうとしており、ピアに捜査課長を引き継ぎたいと思っている(サバティカルの長期休暇は日本では大学教授などにはあるが、ドイツでは公務員にも認められているようで、日本でも「働き方改革」に取り入れてもらいたい制度である)。
皮肉にもこうした時期にオリヴァーの生まれ育ったタウヌス地方の村で放火を含む連続殺人事件が起こり、それがオリヴァーがトラウマを抱える少年時代の事件と深く関わって、複雑な事件展開をしていくのである。
これまでのこのシリーズ同様、連続殺人の犯人は最後まで明らかにならず、息もつかせぬミステリーの謎解きの醍醐味を読者は楽しめる。また、死体や骨に関する法医学的ディテールもしっかりしている。他方、アメリカ流のプロファイリングも活用されているが、「プロファイルは信憑性の高い推測の域を出ない」とか、警察の犯人逮捕が遅いと糾弾されるのはアメリカのテレビドラマ「CSI:科学捜査班」に責任の一端があるとか刑事に言わせているのは、地道な現場捜査を重視する著者の好みを示していて面白い。
さらに、ドイツ・北欧の社会派ミステリーらしく、本書でも移民家族への差別や児童虐待といったテーマが盛り込まれているが、一見平穏な村のいくつもの家庭で親子間の深刻な葛藤が存在することが物語を織りなす横糸として絡められているのが特筆される。
なお、原著の表題は“Im Wald”(「森の中で」)であり、本書を最後まで読めばその意味が過去と現在を貫く事件がすべて森の中で始まり森の中で終わるという意味だとわかるであろう。いわばタウヌス地方の森の喚起するイメージが作品の全体を覆っているといえる。
◎2020年11月10日『新しい免疫入門 自然免疫から自然炎症まで』審良静男 (著), 黒崎知博
☆☆☆☆☆免疫研究の最前線を初学者や一般人にもわかりやすく解説
本書は、自然免疫と獲得免疫の相違からガン治療と自己免疫疾患に至るまで、免疫研究の最前線を初学者や一般人にもわかりやすく解説した入門書である。要所要所でわかりやすい図表や比喩を用いており、難しい専門用語や概念もかみ砕いて繰り返し説明しているのが親切である。
本書の大部分は、細菌やウイルスなどの異物を認識して攻撃するが自らの細胞は攻撃しない免疫機構の複雑かつ精妙な仕組みの解説に充てられているが、この分野はまだまだ研究途上であるためかなりの箇所が仮説や未解明部分として留保されている。人体内のミクロの世界の解明に膨大な研究努力を重ねる科学者たちには脱帽するばかりである。
ちなみに、私が門外漢ながら免疫学に興味を持ったのは、学生時代の1980年代に発生し世界に衝撃を与えたエイズ流行からである。「同性愛者の奇病」として世界に登場したエイズは、まもなくHIVによるウイルス感染症であると解明されたが、その発病のメカニズムがヘルパーT細胞をHIVが侵すことで免疫が低下し多数の日和見感染症に罹患するようになると知って、人体の複雑な免疫機構の一端を垣間見たように感じた。
本書では、自然免疫から獲得免疫に至る過程で誤作動や過剰作用が起きると痛風や動脈硬化などの炎症姓疾患が起きたり、関節リューマチやバセドウ病などの自己免疫疾患が起きたりするメカニズムにも触れられている。著者は、難病である自己免疫疾患とガンの治療は表裏一体であり、前者を治せれば後者も治せるという。
まさに、免疫は医学のフロンティアなのである。
◎2020年11月3日『自己免疫疾患の謎』アニータ・コース
☆☆☆☆☆関節リウマチ治療への執念と新薬研究の物語、自己免疫疾患についてわかりやすく解説
インド人医師を両親に持つイギリス生まれの女性である著者が、母が著者を出産後に関節リウマチに罹患し、悲惨な闘病の末に亡くなったことをきっかけにその治療の研究を志し、周囲の医師たちになかなか支持されず苦労しつつも執念で初志貫徹して新薬研究の成果を上げていくノンフィクションである。その成果はなんと日本の製薬会社(アステラス製薬)との契約につながり、同社の新薬開発に引き継がれている。
ところで、関節リウマチなどの自己免疫疾患は、身体の防御機構である免疫システムの機能が混乱して自らの身体を攻撃することで生じる疾患であり、その数は非常に多く、アメリカでは2000万人もがこの疾患を抱えているという(癌は1500万人)。にもかかわらずこの疾患の優先順位は低く、予算配分は少ないという。患者は妊娠出産や閉経後の女性が多いため、著者はホルモンの働きに焦点を当てて研究を進めていくが、ノーベル賞受賞医師や多数の製薬会社にもどんどん積極的にアプローチする行動力がすばらしい。
本書は免疫システムとそれが自己免疫疾患に至る仕組みを、兵士の比喩を用いて巧みにわかりやすく説明しており、かつ、著者が病院で出会った多数の患者たちの病状と治療の実際を紹介しているので、読者は自己免疫疾患をよく理解できるだろう。
また、本書では著者自身が体験した医学研究者間の競争や、新薬研究の莫大な費用を製薬会社から調達するノウハウが生々しく描かれているのも興味深い。
なお、本文は比較的短いが、付録として様々な自己免疫疾患が文献とともに詳しく紹介されており、自己免疫疾患の環境要因と最新の治療方法についても触れてあり、参考になる。
◎2020年10月31日『ウイルスの世紀―なぜ繰り返し出現するのか』山内一也
☆☆☆☆☆感染症とウイルス、免疫反応とその暴走、ワクチン開発等の歴史をわかりやすく概説
新型コロナウイルスが世界を席巻している現在、感染症対策とウイルスについて一般人にわかりやすく概説した良書である。
何よりも、過去のエマージングウイルスやコロナウイルスの発生と対策の歴史が時系列を追ってドキュメント風にまとめられているのが圧巻である。マールブルク病やラッサ熱、エボラ出血熱等々、さらには最近のSARSやMERS、そして現在の新型コロナウイルス(COVID-19)感染症が発生すると、ウイルスを分離・特定し、その発生源や仲介動物を探求していくわけだが、その過程では感染した住民だけでなく多数の医療従事者が感染して死亡している。黄熱病に倒れた野口英世もその1人であるが、ウイルスとの闘いは文字通り命がけであることが実感される。
本書の第1章ではウイルス感染による発病と重篤化の仕組みについても言及されているが、その中では人体を防御する免疫反応との関係が興味深い。すなわち、免疫は両刃の剣であり、免疫反応が度を超すと人体を破壊して重大な後遺症を引き起こし、ついには死に至る。これが免疫暴走であり、インフルエンザをはじめSARSやMERS、さらには新型コロナウイルス感染症が重症化する原因なのだという。
さらに、本書の第4章ではワクチンと治療薬、公衆衛生対策についても言及されている。ワクチンはジェンナーの種痘から最近の遺伝子組み換え技術によるものまで著しい進展をしているが、著者はワクチンの副作用についての理解はそれほど深まっていないという。特に、コロナウイルスについては「抗体依存性感染増強(ADE)」という副作用が問題化されており、これが生じるとワクチン接種によってさらに症状が重くなるというのである。したがってワクチンは万能ではないし、開発には時間がかかる。そこで、治療薬と公衆衛生対策が重要となるのである。
なお、本書の第5章では著者自身も訪問した高度隔離施設の現場が写真付きで紹介されている。これらが元は生物兵器の軍事研究やアポロ計画の宇宙開発から発展したというから、歴史の皮肉あるいは理性の狡知というべきか。
◎2020年10月23日『苦悩する男 上下 刑事ヴァランダー・シリーズ
(創元推理文庫)』ヘニング・マンケル
☆☆☆☆最後の事件だが、未解決の闇は深い
刑事ヴァランダーシリーズはこれまで翻訳された全作品を読んで、ほとんどレビューしているが、本書が「内容上最後の事件」となる(実際には、その後に書かれた未翻訳の『手』があるが、事件は本書以前のもの)。
最後とあって、過去の多数の事件が回顧されたり『リガの犬たち』以来の恋人バイバが登場したりする。それにしても、ヴァランダーはこれまでになく精神的にも肉体的にもヨレヨレの状態であり、物語の冒頭で拳銃置き忘れの大ミスを犯して処分を受けるところから始まるが、これが本人の健康状態悪化の伏線となっている。
社会的テーマを扱う本シリーズらしく、本書も冷戦時代のスパイ活動の現在までに至る余波を中心に物語が展開するが、1982年に起きたストックホルム沖の国籍不明の潜水艦追跡事件は実際にあった事件であり、今もなお真相が明らかなっていないとのことである。当時のパルメ首相も物語中に登場するが、その後に起きたパルメ首相暗殺事件も今なお謎に包まれており、スウェーデン戦後史の闇の深さを窺わせる(なお、後者については最近翻訳された『スティーグ・ラーソン最後の事件』で扱われている)。
ストーリーは、ヴァランダーの娘リンダの同棲相手の父で海軍高官であったホーカンとその妻ルイースが時間を置いて相次いで失踪する謎めいた事件が起こり、その捜査過程で過去のスパイ事件が掘り起こされていく展開となっており、冷戦時代にバルト海を挟んでソ連と対峙したスウェーデンの緊張感が伝わってくる。しかし、ミステリーとしては著者が仕掛けた謎解きの鍵と思われたいくつかの重要な事実が最後まで解明されないままに終わっており、読後のフラストレーションが残る。
また、ヴァランダーは相変わらず単独・秘密行動が目立つ。いくら家族に関わる事件で、所轄が異なる警察署であるとしても、重要事実を把握して行動するときは警察組織として情報を共有し、単独行動しないのが鉄則であろう。その結果として起きた悲劇はあまりに重大であり、過去のシリーズのような結果オーライとは言えない。その点で星1つ減らした。
◎2020年10月18日『パチンコ
上下 (文春e-book)』ミン・ジン・リー
☆☆☆☆☆在日コリアン一家の歴史を描く壮大なサーガ
日本統治下の1910年の釜山・影島(ヨンド)時代から戦前戦後の大阪時代を経て1989年のバブル期まで、在日コリアン一家の苦難と転変を描く大河小説である。
著者はソウル生まれで1976年に家族とともにニューヨークに移住した在米コリアンであり、在日ではない。したがって、自らや家族の体験としてではなく取材によってこれだけの大作を書き上げたのだから大変な労作と言っていい。また、それだけ在日コリアンの歴史を世界に知らせたいという強い意思があったことがわかる。
物語は、釜山近くの影島(ヨンド)で貧しい下宿屋の娘として生まれたソンジャが大阪に妻子のある裕福な男性ハンスの子を身ごもり、その事情をわかった上で結婚した若い牧師イサクとともに大阪・猪飼野に移るところから始まる。登場人物は他にイサクの弟ヨセプ、その妻キョンヒ、ソンジャの2人の子を加えて展開し、戦前の治安維持法によるキリスト教弾圧、戦中の疎開を経て、戦後は2人の子の全く異なる歩み(長男ノアは早稲田大学に進学し英文学研究へ、次男モーザスは高校を退学してパチンコ業界へ)とそれをめぐる様々な人々の生き様が語られる。
表題のパチンコは、在日コリアンの経済活動の象徴であるとともに日本における職業差別の象徴として、物語の横糸をなすものといえる。
ただ、出生の秘密を知った後のノアの行動とその悲劇的運命については十分説得的に描けているとは思えず、唐突感がある。また、ノアがコリアンとしての出自を隠したまま結婚して子をなすというくだりは、日本の戸籍制度を知る者には不自然の感を免れない。出自を隠して生きる苦悩といえば、ハンセン病差別を題材にした松本清張の『砂の器』を想起するのではあるが。
なお、登場人物の名前が旧約聖書から引用されているのは主人公一家のキリスト教信仰故であるが、当然名付けには寓意が込められている。イサク=自己犠牲、ヨセプ=兄弟の保護者、ノア=正しき人、モーザス(モーゼ)=苦難からの脱出を導く者、モーザスの子ソロモン=知恵による統治者、というようなところだろうか。こう考えると、在日コリアンの物語は旧約聖書のユダヤ人の物語(とりわけユダヤ人がエジプトでの苦難から脱出する「出エジプト記」)のイメージと重ね合わされているようにも思われる。
ちなみに、私は子ども時代の1960年代〜70年代を関西地方で過ごし、被差別部落やコリアン集落もよく知っているし、学校の友人にもこうした地域の人たちが多数いた。したがって、この物語で語られる大阪のコリアン地域の雰囲気は実感できるし、また日本人の厳しいコリアン差別もよく知っているが、本書は当時の社会的歴史的事実をおおむねよく描いていると思う。
現在の困難な日韓関係や在日コリアンの置かれた立場を考えるうえでも有益な著作である。
◎2020年10月14日『反日種族主義との闘争』李栄薫編著
☆☆☆☆前著に続く憂国の書、嫌韓ではなく日韓友好の礎にしたい
前著のレビューでも「真摯な反日種族主義批判、しかし親日でもない」と書いたが、続編である本書は前著に対する韓国内の批判に対して、根拠を示しデータを駆使して再反論した労作である。
前著同様、本書も韓国内の事実に基づかない過剰な反日行動を批判し、理性的な議論と対応を求める意図のものであり、韓国内に向けた自省と憂国の書といえる。他方、著者が繰り返し注意するように、本書は決して日本の植民地支配を擁護したり美化したりするものではない。その意味で、日本の読者は前著と本書によって嫌韓感情を持つのではなく、まさに「未来志向的に」、感情的対応ではなく理性と事実に基づき日韓友好関係を再構築するための礎として本書を読むべきだと思う。
日本の植民地支配について言えば、日本は朝鮮半島を「植民地」として収奪するのではなく、日本の一部として統治しており、それゆえ法制度やインフラの整備、農工業の振興、教育や福利厚生に取り組んでいた。そのことは本書のデータでも示されている。ただし、それが異民族の支配を正当化するものでないことは、地方議会が設置されなかったことや普通選挙が施行されなかったことに端的にあらわれている。つまり、現地の民意が統治に反映されないために支配が正当化されなかったのである。そのことが民族間の所得格差や差別とあいまって、今日に至る怨嗟(「恨」)と反日感情の原因となっている。
竹島問題についても本書は大胆に切り込み、歴史的に韓国領とする根拠はないと明快に論じている。
そもそも、竹島にせよ尖閣諸島にせよ、人が住めないし常時占有支配した実績もない岩礁を「領土」として主張するのは悪しき国家拡張主義の最たるものである。本来は領土問題としてではなく、漁業権や経済水域、地下資源の利用などの経済問題として国家間の交渉対象とすべきものだと思う。すなわち、本書で触れられている「竹島密約」や日中国交正常化の際の尖閣問題棚上げのような、領土問題としての衝突を回避する先人の知恵にはなお学ぶべきものが大きいといえる。
◎2020年10月13日『シャーロック・ホームズ最後の挨拶【新訳版】(創元推理文庫)』
☆☆☆☆☆ホームズの意外な側面、戦争の影も
前の短編集『シャーロック・ホームズの復活』の最後で、ホームズは引退して推理学研究と養蜂に明け暮れる身となったと書かれていたが、本書に収録された8つの短編はこの引退前の事件を扱ったものと、第一次大戦前の不穏な国際情勢を背景にホームズのスパイとの対決を描く異色作を含んでいる。兄マイクロフトが登場し、潜水艦設計図の奪還をホームズに依頼などというものもある。また、短編「ボール箱」冒頭でホームズがワトスンの思考系路を言い当てる有名な場面では、国際紛争を戦争で解決することの愚かしさへの言及もあり、戦争の影が見え隠れする。
本書ではホームズが中世音楽の研究に没頭し著作を上梓するという意外な側面が描かれており、前作の田舎への引退や養蜂に加え、著者コナン・ドイルのホームズ像の変化?を感じさせるところである。
さらに、いつもはホームズの推理についてこられない刑事たちが本書ではホームズを出し抜く場面もあるところが面白い。あるいは著書の刑事たちへのオマージュなのかもしれない。
なお、短編「悪魔の足」では怪奇譚(「コーンウォールの恐怖」)を扱うが、事件の場所となったコーンウォールはイングランド南西部の半島で、『バスカヴィル家の犬』の舞台となったダートムーアと隣接する荒れ野と断崖の地域である。ちなみに、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の舞台となるマルケ王の国König Markes Landがこのコーンウォールである。
本書の解説は、なんと光文社文庫のホームズ全集の翻訳者日暮雅通氏が登場しているが、これは先輩翻訳者である深町氏へのエールであろうか。日暮氏は自身がBSI(ベーカー・ストリート・イレギュラーズ)会員であるとのことで、シャーロキアンについてくわしく紹介してあり、これも興味深い。
◎2020年10月9日『恐怖の谷【新訳版】(創元推理文庫)』コナン・ドイル
☆☆☆☆☆第一部は古い館の惨殺事件、第二部は一転してハードボイルド
ホームズシリーズの最後の長編作品である。
最初の長編である『緋色の研究』のように本書も二部構成となっており、第一部でホームズの活躍により事件の謎が解決し、第二部でその背景となった物語が語られる。しかも、第二部は独立したハードボイルドものであり、それ自体がミステリー仕立てで完結していて読み応えがある。おそらく著者コナン・ドイルは第二部の物語のほうに創作意欲をかき立てられ、それに第一部を書き加えてホームズシリーズに加えたのであろう。ちなみに、解題によると著者はアメリカで有名なバーンズ探偵の訪問を受け、その体験談を聞いて本書のイマジネーションを喚起されたという。
本書第一部は、堀と跳ね橋のある古い貴族の館で起きた惨殺事件の謎解きである。古い貴族の館を舞台にした作品はホームズシリーズにはいくつかあり、貴族の館特有のトリックがここでも用いられて劇的などんでん返しを効果的にしている。功を焦るスコットランドヤードの刑事たちと、ヒントを出すだけで最後まで謎解きをしないホームズとのおなじみのやりとりが生き生きとした臨場感を出している。
第二部は、一転して事件から20年遡ったアメリカの鉱山街での物語である。労働組合に名を借りた暴力組織の恐怖支配の実態がハードボイルドタッチで描かれ、これが表題の「恐怖の谷」のいわれとなっている。
なお、ホームズの宿敵モリアーティー教授が第一部とエピローグで事件の背後の存在として言及されるが、影の黒幕として暗示されるだけで、モリアーティー教授本人が登場する場面はない。「ホームズの宿敵」として有名な割にはシリーズ全体を通じて存在感がない。
巻末の北原尚彦氏の解説では、当時から現在までのホームズ・パロディが網羅的に紹介されており、コナン・ドイルが創造したシャーロック・ホームズのキャラクターがいかに突出して興味を引くものであるかがよくわかる。
◎2020年10月7日『シャーロック・ホームズの復活【新訳版】
(創元推理文庫)』コナン・ドイル
☆☆☆☆☆ひと味違う人間味あるホームズ。ほか、検死審問など
「最後の事件」で宿敵モリアーティー教授とともに滝壺に転落して死んだはずのホームズが、3年後にワトソンの前に現れる劇的な短編から始まる。ただし、ホームズはキリストのように死から復活したわけではないから、表題のReturnはやはり「帰還」と訳すべきところであろう。
本書の13編の短編はそれぞれホームズの鮮やかな観察と推理が楽しめるが、これまでの人間離れした変人奇人ぶりは抑えられ、むしろホームズの人間的な感情が随所に出ているところが興味を惹く。例えば、事件解決後にスコットランドヤードの刑事たちから賞賛の言葉を受けてホームズが思わず感極まってしまうところなど、「推理機械であることをやめ、人間らしい一面をあらわにする」とワトスンが語るくらいである。
その他、シリーズの最初からたびたび登場する「検死審問」は日本にはない制度で興味深いが、イギリスでは不審死や刑務所・警察留置場での死亡は検視だけでなく審問や陪審が開かれる。刑事責任を問うものではなく、自殺か他殺かなどの死因を究明するのが目的である。不審死や拘留中の死亡を闇に葬らせないためであろう。
また、本書では古い貴族の館の隠し戸棚に犯人が隠れたり、使用人を呼ぶ呼び鈴の紐といったものが出てくる。前者の隠し戸棚や隠し部屋あるいは秘密の通路は、宗教改革の時代にカトリック派の貴族が神父を逃がすために作ったものであろう。後者はドラマ『ダウントンアビー』でもおなじみのものであり、貴族の部屋から地下の台所などにつながっているあの呼び鈴のひもである。
さらに、普及し始めた自転車が何度か小道具で使われたり、第一次大戦前の不穏な欧州の政治情勢が暗示されたりで、当時の社会や時代を感じさせるところも面白い。
なお、最後の短編の冒頭、ホームズがロンドン暮らしを打ち切って田舎に隠遁し、「念願の推理学研究と養蜂に明け暮れる身となった」ことが紹介される。著者コナン・ドイルは復活させられたホームズものをなんとか打ち切ろうとするのだが・・・
◎2020年10月2日『SHERLOCK/シャーロック
シーズン2(字幕版)』
☆☆☆☆☆斬新な現代的翻案、しかし原作の意図と雰囲気はよく出ている
テレビドラマで見たときは、ホームズの天才と裏腹の奇人変人ぶりに違和感を持ったが、改めて著者コナン・ドイルの原作を読んでみて、オリジナルのシャーロック・ホームズの人物像をむしろ忠実に再現しているように感じた。
原作の『バスカヴィル家の犬』を読んだついでにシーズン2の第2回を見たが、「バスカヴィル」は古い領主の館ではなく軍の生物兵器研究所に翻案され、原作の登場人物の名前が生物兵器研究所の守衛や研究者に使われている。では、魔犬はどう扱われているのか? 遺伝子組み換えによる怪物なのか・・・。
ワトスンがホームズの計画を知らされずに動くことなども含め、原作のプロットが巧妙に翻案されており、最後まで目が離せない。
◎2020年10月2日『バスカヴィル家の犬【新訳版】(創元推理文庫)』コナン・ドイル
☆☆☆☆☆シリーズ屈指の傑作 荒れ野の存在感が圧倒的
この作品も子どもの頃何度も読んだが、新訳で改めて読むとやはり傑作であると感じる。
なんといっても物語の舞台となっている「ムーア」(moor 荒れ地、原野、湿原地)の陰鬱で荒涼とした存在感が圧倒的であり、不気味な魔犬伝説を効果的にしている。著者コナン・ドイルはこの伝説を友人であるフレッチャー・ロビンソンから聞いて着想を得たとのことであり、伝説の現地であるイングランド南西部のダートムーアもロビンソンに案内してもらっている。
ちなみに、イギリス文学で荒れ野といえば『嵐が丘』を連想するが、こちらはヨークシャーの「ヒース・ムーア」が舞台である。イギリスにはこうした荒涼たる荒れ野が多数あり、文学の風土となっているようだ。
物語は魔犬伝説とそれに絡む領主の不審死がホームズに持ち込まれるところから始まり、相続人のロンドン到着とそこで起きる不可解な事件、さらに舞台をムーアに移してのいわくありげな登場人物たちの絡み合いといった展開で徐々に緊張感が高まり、読者はその展開に引き込まれていく。ムーアに移動してからの調査はホームズ不在のままワトスンが大活躍するシリーズ異例の展開であるが、あっと驚くホームズの再登場によって謎が一挙に解き明かされ、劇的な終局に向かう。
長編『緋色の研究』や『四人の署名』では小説の前半で事件が解決し、後半でその背景となる長大な物語が付されているが、本書では事件の謎解きと解決は最後まで持ち越され、それまでムーアの人間関係をめぐるドラマが展開して、物語の推進力と緊張感が最後まで維持されているのである。
なお、本書は映画やドラマに映像化された回数が最も多い小説とのことであり、巻末の小山正氏の解説で過去の映像作品が詳しく紹介されている。これもファン必読である。
◎2020年9月29日『四人の署名【新訳版】(創元推理文庫)』コナン・ドイル
☆☆☆☆☆コナン・ドイルの科学捜査への関心、19世紀的小説romanへの試み
『緋色の研究』に続くシャーロック・ホームズシリーズ第2作の長編である。
冒頭と末尾にホームズのコカインへの愛着が描かれ、ホームズの偏った人物像が改めて示されるが、本書ではホームズの物証重視の科学捜査が詳しく紹介されているのがまず関心を惹く。例えば、冒頭の導入部では140種類もの煙草の灰の区別、焼き石膏による足跡の型取り(いわゆる「ゲソ痕」)、職業が手の形に及ぼす影響などについてホームズは論文を書いているという。そして、極めつけは犯人追跡で重要な役割を果たす犬の臭覚である。当時のイギリスには警察犬はまだ採用されていない。警察犬を最初に導入したのはドイツで1896年、イギリスは1906年である。本書が出版されたのが1890年だから、著者コナン・ドイルの科学捜査への興味関心の高さと先見性がよくわかるだろう。
また、本書は、第1作の『緋色の研究』が第2部で事件の背景となるアメリカでの物語を詳しく書いたように、事件解決後の犯人の長い独白でインドのセポイの反乱当時に遡る事件の背景を描き、犯人とその同伴者の数奇な運命を物語っている。著者はたんなる謎解きの推理小説ではなく、その時代と人間の生き方を写し出す19世紀的本格小説(ロマン)として作品を構想したのであろう。大英帝国のインド統治の一端をうかがわせる興味深い物語ではあるが、事件解決後の長大なエピローグのようになっており、小説の構成としてはいささか緊張感を欠くように感じる。
◎2020年9月28日『回想のシャーロック・ホームズ【新訳版】
(創元推理文庫)』コナン・ドイル
☆☆☆☆ホームズの兄マイクロフト、宿敵モリアーティー教授が登場するも、やや不完全燃焼か
『シャーロック・ホームズの冒険』につづく第2短編集である。
解説にもあるように、著者コナン・ドイルは『冒険』でホームズシリーズは打ち止めにするつもりだったが、雑誌社(つまり読者)の強い要望に負けて雑誌連載を続けた。シャーロック・ホームズのような際だった人気キャラクターはもはや著者の思惑を超えて存在を主張するので、著者といえども自由に終わらせることができなくなるわけである。そこで、ドイルはこの短編集の「最後の事件」でついにホームズを死なせて連載を打ち切ろうとするのだが・・・(ただし、ホームズの死が暗示に止まっているのは、著者に躊躇があったからだろう)。
このように著者の意図に反して連載を続けたためか、この短編集では『冒険』のような超人的な観察眼と切れ味鋭い推理で事件を一気に解決に導くというよりも、ホームズが饒舌すぎたり、推理にもたもた感があったりする。このあたりは著者が意図的にマンネリ化を避けている可能性もあろう。しかし、ホームズの兄マイクロフトや宿敵モリアーティー教授が唐突に登場し、いずれも短編一話だけでそれ以上展開されないのは不完全燃焼というほかなく、著者の倦怠感さえ感じられる。
特に、宿敵モリアーティー教授は悪の天才で組織犯罪の総元締めのように描かれているが、漫画的で現実感がなく、「最後の事件」のために急きょ造形されたように思える。
なお、私が子どもの頃に読んで最も印象に残っていたのが「マズグレーヴ家の儀式書」であった。由緒ある貴族の古い館、不思議な儀式書、清教徒革命にまつわる歴史といったストーリーに興味を惹かれたのである。
◎2020年9月23日『緋色の研究【新訳版】(創元推理文庫)』コナン・ドイル
☆☆☆☆☆コナン・ドイルの書きたかったホームズ小説の原点
シャーロック・ホームズが初登場する記念すべき長編作品である。
語り手であるワトスンが軍医として従軍していたアフガニスタンから負傷して帰還し、ホームズと出会う場面から始まる。ホームズは最初は化学実験に没頭する奇人・変人として登場し、ワトスンと下宿をシェアし始めた後になって、警察や町の探偵が解決できない事件を持ち込まれる「探偵コンサルタント」であると判明するのだが、ここでワトスンのホームズに対する人物分析が「特異点」として列挙され、知識の極端な偏りや趣味等が示されるのはファン必見である。
また、有名なホームズの観察眼については、ホームズ自身の新聞投稿として次のように記されている。
「人に会ったら、その相手の経歴や専門とする方面、今携わっている職業などが一目で見抜けるようにする。・・・指の爪や上着の袖、靴やズボンの膝、人差し指と親指のたこ、言葉遣い、シャツのカフス―― これらはいずれもその人物の職業を端的に物語るものだ。」
ワトスンは、最初はこんなことはたわごとだと信じなかったが、実際にホームズがその方法を実演して事件を解決に導くのにぐいぐい引き込まれていく。ワトスンとホームズの出会いであると同時に、「相棒誕生」の瞬間である。
ホームズはこうした超人的な観察眼とともに徹底的な現場検証を基に推理を組み立てており、いわば物証重視の科学捜査である。さらに、町の貧乏少年たちを手下のように使って調査させているのも面白い。
こうした鮮やかな事件解明が第1部であり、第2部は事件の背景となったアメリカの西部開拓とモルモン教団にかかわる物語が詳しく語られる。
著者コナン・ドイルは、たんなる謎解きの探偵小説ではなく、事件の経緯や動機から人間の生き様を物語る本格的な小説をめざしたのだろう。
しかし、第1部のホームズの人物像と事件解明があまりにも鮮やかで強い印象を与えるため、第2部は付け足しのようになってしまっている。この点では、現代の長編ミステリーで見られるように、事件捜査と過去の背景を並行的に叙述して最後に事件解決に至る構成のほうが緊張感があったのではないかとか思う。
なお、表題の「緋色の研究」A Study in Scarletの意味は、殺人という緋色の糸を解きほぐして分離し白日の下に晒すことだとされる。ちなみに、緋色といえばホーソーンの代表作『緋文字』The Scarlet Letter(1850年)を想起するが、緋色はやはり「罪悪」の象徴である。Scarletを表題に用いた著者の意図が気になるところである。
◎2020年9月22日『シャーロック・ホームズの冒険【新訳版】
(創元推理文庫)』コナン・ドイル
☆☆☆☆☆若々しく、やんちゃなホームズ
子どもの頃、『名探偵シャーロック・ホームズ』のシリーズ物を何度も繰り返し読んでいたが、その後は本で読むことはなかった。
少し前に海外ドラマの『SHERLOCK』を見て、時代を現代に置き換えた大胆な翻案に感心するとともに、ホームズの若々しくエネルギーにあふれ、しかしかなりやんちゃな人物像に少々違和感を持った。というのは、子どもの頃のホームズのイメージは知性にあふれた成熟した大人で、これぞ「探偵」というイメージであり、若々しい行動力や危険を顧みないやんちゃな面はあまり印象に残らなかったからである。
今回、改めて本書を読んでみて、子どもの頃のイメージよりもむしろ『SHERLOCK』のイメージの方が原作のホームズに近いと感じた。確かに、年齢は30代?でベイカー街の下宿で一人暮らし、友人は相棒のワトソン博士だけ、新聞を詳しく読むが読むのは社会面と身の上相談だけ、興味をかき立てる事件にはとことんのめり込んで徹夜し、事件の解決のために独断独行で突き進み、変装や違法行為も辞さないというわけだから、かなり変人であり、やんちゃそのものである。
本書に収められた12編は、最初の長編『緋色の研究』の好評を受けて雑誌に毎号読みきりで連載された短編集であり、短編ゆえに物語の複雑な展開はないが、ホームズの超人的な観察眼と推理の冴えを楽しむには最適なシリーズと言っていいだろう。
依頼者の靴の泥や衣服のすり切れ方などを瞬時に観察して見事に言い当てるおなじみの観察眼は、著者コナン・ドイルが大学で医学を学んだときに最初に出会った教授がモデルらしいが、現代的にいえば科学捜査のお手本である。思い込みによる見込み捜査ではなく、物証を重視して徹底的に現場検証し(あの「大きな拡大鏡」が活躍する)、確実な事実から推理を組み立てるわけである。
さらに、国王や貴族に対するシニカルな見方が随所に示され、人種差別団体「K.K.K」がらみの犯罪、没落貴族とアメリカ大富豪の娘の婚姻といった19世紀末の社会問題も扱われており、ホームズが正義感の強い、コスモポリタン的思想の持ち主であることが示される。
なお、翻訳はわかりやすく、注や挿絵、解説・改題も行き届いている。
◎2020年9月17日『失われた世界』コナン・ドイル
☆☆☆☆☆元祖「ロスト・ワールド」の作者はあのコナン・ドイル
「ロスト・ワールド」といえば、スピルバーグの映画『ジュラシック・パーク』の続編を連想するだろうか、それとも過去何回かリメイクされた同名のハリウッド映画を連想するだろうか。
実は、ハリウッド映画の元になった小説は、名探偵シャーロック・ホームズで有名なあのコナン・ドイルが書いた本書なのである。現代科学でリメイクした『ジュラシック・パーク』も、いわば本書へのオマージュといえる。
本書が出版されたのは100年以上前の1912年であるが、内容は現代の知識から見ても陳腐なところがなく、それどころか古代の恐竜がステゴサウルスや翼竜、ティラノサウルスとおぼしき肉食竜まで、ほぼ正確に描かれている。ちなみに、恐竜の化石はすでに17世紀から知られていて、1842年には恐竜dinosaurという名前が付けられていた。 本書が書かれた20世紀初めにはかなりの知識があったことがわかる。
琥珀に閉じ込められた古代の蚊から恐竜の血液を採取してDNAでクローンをつくるというジュラシック・パークのアイデアはこれぞSFという素晴らしさだが、当時のアフリカや中央アジアの探検ブームを背景に、未開の秘境である南米ギアナ高地にロスト・ワールドを想定したコナン・ドイルの着眼もさすがである。
コナン・ドイルはシャーロック・ホームズで有名だが、推理小説だけでなく本書のようなSFものや当時流行した心霊現象ものなども書いている。小説家になる前は医師であり、解説によると大学で出会った博士が初めて会う患者の職業や行動を観察でピタリと言い当てる人物であり、シャーロック・ホームズのモデルになったとのこと。本書の主人公のチャレンジャー教授のモデルも大学の生理学教授とのことだが、チャレンジャー教授が本書で最初に登場するときの描写はシャーロック・ホームズの人物観察のようで面白い。
物語は探検と冒険の楽しみにあふれたものであり、コナン・ドイルのストーリーテラーとしての語りが冴えている。
また、コナン・ドイルはえん罪事件の調査に自ら取り組むような正義感の強い人だったようで、本書でも現地のインディオや黒人に対する扱いが人種差別的なところがなく、逆に、類人猿との戦争の場面では過去の植民地征服戦争の残虐さに対する批判的言及もある。
なお、翻訳は新訳で読みやすく、注釈も詳しい。
◎2020年9月12日『巨人の星(アニメ)』梶原一騎・川崎のぼる
☆☆☆☆☆「古き良き昭和」を凝縮した傑作 親子で見たい
「🎵思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」の主題歌で有名な昭和スポ根漫画。
少年時代に毎週白黒テレビにかじりついて見ていたが、数年前の夏休みにまとめて再放送していたのを子どもと一緒に見て、改めてよくできた傑作漫画だと再認識した。
大人の目で見ると、少年漫画として作者の伝えたいメッセージが明確で、それが昭和のトーンで堂々と感動的に描かれている。
感心した点を挙げる。
・家族の絆と情愛の深さ。なんといっても星一徹と飛雄馬の厳しくも濃い親子愛、姉明子との姉弟愛、左門豊作の兄弟愛が美しい。
・スポーツを通じた切磋琢磨と熱い友情 「宿命のライバル」花形、左門、また女房役伴宙太との深い信頼と友情。これぞ昭和の「男の世界」である。
・貧富の差や差別を正面から取り上げる。テレビ再放送では肝心の部分で差別的用語が消されていて、かえってわかりにくくなっていたのは残念。例えば、青雲高校入学の場面で飛雄馬が父一徹を「俺の父ちゃんは、日本一の日雇い土方」と紹介する感動的なシーンが「日本一の・・・」と消されていて、何のことかわからなかった。
・戦争と平和が何回かのテーマとなり、平和の大切さが強く打ち出される。巨人の名三塁手だった父一徹が戦傷で肩を痛めて野球をやめたこと(「魔送球」のエピソード)や、沢村投手らの戦前の多くの選手の戦死を丁寧に画像化している。
・王、長島、川上監督など巨人軍黄金時代の名選手や監督をはじめ、他チームの選手らも実名で登場し、リアリティを出している。往年の名選手や監督の性格や雰囲気がよく描かれていて、懐かしい。
・魔球「大リーグボール」の考案過程と驚きの登場、これに対する宿命のライバルたちの猛特訓と劇的な対決シーンなど、奇想天外で文字通り漫画的だが面白い。
・何よりも特筆すべきは、主人公をはじめ登場人物全員が大真面目で野球に人生を賭け、全力を尽くした真剣勝負に挑んでいることである。それゆえ毎回感動と涙のシーンであふれ、白けたりシニカルになったりするところが全くない。
等々、まさに「古き良き昭和」を体現した感動的ドラマであり、スポ根ものとバカにしたものではない。
今のような時代こそ親子で見たい漫画だと感じた。
ちなみに、スポ根の代名詞である「ウサギ跳びグラウンド○周!」は、今では膝関節を痛めるからやってはならないとされている。その他「大リーグ養成ギブス」とか、現在の科学的トレーニングからは考えられない「特訓」とか、スポ根ものならではのエピソードはご愛嬌である。
◎2020年9月9日『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』アンリ・ピレンヌ
☆☆☆☆やや図式的だが、西欧中世の成立を骨太に叙述
ベルギーの碩学アンリ・ピレンヌの遺作である。ピレンヌの死後に遺された第1稿をほぼそのまま刊行したとのことで、論述は力強いが繰り返しや冗長な部分が多いように感じる。
同じ著者の『中世都市』のレビューでも書いたが、著者は、ゲルマン民族大移動で西ローマ帝国が滅びた後も地中海の交易と都市は影響を受けなかったが、イスラム帝国が勃興して地中海の覇権を得たことで交易と都市が衰退して農村社会になるという「ピレンヌ・テーゼ」で有名であり、本書はこれを体系的かつ骨太に展開したものといえる。
本書の内容は、以下の二部構成となっている。
第1部 イスラム侵入以前のヨーロッパ
第1章 ゲルマン民族侵入後の西方世界における地中海文明の存続
第2章 ゲルマン民族侵入後の経済的社会的状況と地中海交通
第2部 イスラムとカロリング王朝
第1章 地中海におけるイスラムの伸展
第2章 カロリング家のクーデターとローマ教皇の同家への接近
この構成を見てもわかるとおり、著者はイスラム前後でヨーロッパ史に大きな断絶があると捉えており、ゲルマン民族大移動と西ローマ帝国滅亡、ゲルマン諸国家の成立は社会経済、文化に大きな変化をもたらさず、基本的にローマ帝国以来の地中海中心の世界とラテン文明が維持されたとする(「ローマ世界Romaniaは惰性的に生き延びた」)。その反面、イスラム以降は地中海(特に西地中海)の交易が閉ざされ、イスラム勢力の侵入やフランク国家との戦争でマルセイユ等の諸都市が壊滅し、政治経済の中心が北方に移り、かつ商業が衰退して土地中心の封建社会へ移行した。こうした地中海的統一の終焉と東西世界の分離がカール大帝の帝国をもたらしたとする。
著者は社会経済史の専門家らしく、貨幣の流通や商業・金融の変化、租税や関税に注目して西欧社会の変化を説得的に論じており、論述は骨太でわかりやすい。
特に、日本の世界史教科書ではローマ帝国分裂後、カール大帝即位まではかんたんにしか触れられておらず、メロヴィング朝とカロリング朝の違いもあまりよくわからないが、本書を読むと、西ローマ帝国滅亡後も東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が強力な艦隊を擁して地中海の覇権を維持し続け、特にユスティニアヌス帝時代にはイタリア本土をはじめほぼ地中海全域を掌握したことなど、その存在の大きさがよくわかる。例えば、海上都市ヴェネチアは中世以降もビザンツ帝国との提携を維持し続け、かつてのマルセイユに代わる交易の拠点としての特殊な地位を占めた。実際、ヴェネチアを訪れると有名なサンマルコ寺院や広場がビザンツ風であることに強い印象を受けるのはそのためである。
また、ローマ教皇がビザンツ皇帝との協力関係から離れる一方、アングロサクソン布教を経てゲルマンへと浸透し、カロリング朝との密接な関係を築き上げる経過も興味深い。文化の面では、中世においては知識人=聖職者であり、中世以前は日常使用されていたラテン語も教会内に限られるようになったとされる。
ただ、著者の歴史観は明らかに商業・交易中心であり、地中海の商業と交易の活発化が社会と歴史の発展をもたらし、その反面、イスラム後の農村社会化は歴史の後退であると断じている。そこからローマ・ラテンの先進文明とゲルマン民族の後進性(蛮族)が強調されるが、このあたりはわかりやすいがやや図式的に過ぎるように感じる。
特に、ゲルマン民族とその文化に対する著者の著しく低い評価については、あるいは第1次大戦時の著者のドイツ捕虜生活やゲルマン主義を掲げたナチスの勃興への反発があるのかもしれない。
◎2020年8月31日『中世史講義【戦乱篇】』高橋典幸編
☆☆☆☆中世の戦乱をめぐる研究状況を概観。戦乱の命名には疑問あり
『中世史講義』(レビュー済み)の続編であり、武士の戦乱に絞った15講である。保元・平治の乱から豊臣秀吉の朝鮮侵攻までの長期間の戦乱を含んでいるため、本編よりもさらに窮屈な論述で研究最前線の問題意識の一部に触れる感じである。
昭和世代の知識を更新した点
・源平の争乱については、源氏も平氏も一枚岩ではなく内部に対立や紛争があり、都落ちした平氏は宗盛流であった。なお、鎌倉幕府創立後に、頼朝が源平騒乱の戦死者鎮魂のために全国で8万4000基の宝塔を造立したというエピソードは印象的である。
・承久の乱の目的は倒幕ではなく北条義時追討だったという学説があるという(ただし、著者はやはり倒幕目的だとする)。乱の戦後処理で後鳥羽院らの処分は朝廷の意向と関係なく幕府の軍事権力による謀反人処理として行われ、これがその後の公武関係を規定することになった。
・元寇については、1度目の文永の役は台風で元軍が撤退したのではなく(台風上陸の時期ではない)、当初の計画通り撤退した(2度目の弘安の役は台風で損害を受けて撤退)。また、鎌倉幕府は文永の役後、逆に高麗遠征の準備をしていたという。
・鎌倉中期以降、全国の荘園の所領問題が複雑化し、あらゆる階層の人々が離合集散し武力衝突が発生するようになり、それが南北朝の動乱期を経て、応仁の乱から戦国時代へと紛争の規模が巨大化、広域化した。統一政権を確立した豊臣政権が、自力救済と私戦を禁止(惣無事)して戦乱を終結させる。
・織田信長の印章で有名な「天下布武」は全国統一ではなく畿内の政治秩序安定をめざしたものであり、その最大の障害となったのが大坂の石山本願寺であった。浅井・朝倉との戦争、延暦寺焼き討ち、武田との長篠合戦も石山戦争と信長包囲網の一環として位置づけられる。
・秀吉の誇大妄想のように見られがちの朝鮮侵攻は、当時の東アジア情勢の変化、大航海時代のスペイン、ポルトガルのアジア進出を背景に、積極的対外政策としてい位置づける説もあるらしい。ただし、これをもってスペインの植民地化を防いだとするのは過大評価であろう(日本の戦国大名の軍事力強化は宣教師らによって伝えられていた)。なお、朝鮮における日本軍の殺戮、略奪、連行の横行はすさまじく、慶長の役の2万9000人に及ぶ「鼻切り」などの残虐行為が戦功の証として記録されている。
それにしても、歴史研究者による戦乱の命名方法には疑問が大きい。
「保元・平治の乱」「承久の乱」「応仁の乱」などは歴史的に由緒ある確立した命名であるが、「治承・寿永の乱」(源平の争乱のこと)、「永享の乱」、「享徳の乱」、「明応の政変」と聞いてわかる人が一体どれだけいるのだろうか。戦乱の中心人物や主たる戦場などの戦乱の理解に関わるものではなく、たんなる年代を示す命名が優れているとは思えない(まさか中学高校でこれらの名称を暗記させられるとは思いたくないが)。
中世史研究者にしかわからないような命名は、専門家の驕りと言ったら言い過ぎだろうか。
◎2020年8月26日『中世史講義―院政期から戦国時代まで 』高橋典幸他
☆☆☆☆☆中世史研究最前線の問題意識に触れる
昭和の時代に日本史を学習した世代には歴史の知識をブラッシュアップし、かつ、若手・中堅の中世史研究者たちの最前線の問題意識に触れることができる良書である。もちろん、コンパクトな新書版に15講を詰め込んでいるため、問題意識のさわりにすぎないが、それでも興味関心を惹く新たな発見がたくさんある。
例えば、荘園の成立は在地領主が有力貴族や寺社に土地を寄進する「寄進地系荘園」だけでなく、院の主導する「立荘」という公的手続で成立するものもあり、院の近臣、受領、在庁官人といった諸勢力が結びついたという。
また、遣唐使の派遣中止後も中国、朝鮮との交易は活発に行われていた。これについては、数年前に私が福岡に行った際に、平和台球場跡地の工事で発見された外交使節受け入れの遺跡群の展示(太宰府鴻臚館 本書第3講で紹介)を見る機会があり、国際貿易港博多の往時の活況に感心したことがある。
さらに、中世史研究のいわば「華」ともいえる一揆や民衆運動である。本書の13講では、中世の一揆の概念が団結そのものの「結ぶ一揆」であると定義され(蜂起型の「起こす一揆」でない)、荘園領主に対する「荘家の一揆」、酒屋や土倉などの金融業者に対する「土一揆」、在地の武士の一揆である「国人一揆」、さらに戦国時代に下ると本願寺門徒による一向一揆、一国規模の惣国一揆と広域化すると整理されており、「百姓一揆」的な理解を一新してくれる。
その他、武家と朝廷との関係、鎌倉新仏教と古来の顕密仏教の関係、中世経済の発展等々、中世史の全体像が鳥瞰でき、かつ各講義ごとに参考文献が指示されており、学習者にとっても大変役に立つ。
◎2020年8月16日『いまこそ、希望を』サルトル/レヴィ
☆☆☆行動する知識人サルトルの最後にたどり着いた希望は「友愛」
20世紀フランスの文学者、哲学者らの知識人は、カミュであれフーコーであれデリダであれ、アクチュアルな政治問題に自ら積極的に発言し、またその態度を問われた。難解な哲学理論を展開しても、最後に「で、アルジェリア問題についてあなたはどう考えるのか?」といった形で理論や思想を現実政治の場面で試されたのである。
そうした知識人の代表がサルトルであったといえる。
もちろん、政治的な発言や行動は後に誤りであったとして撤回を余儀なくされることも多い(誤らないのは行動しない人だけだから)。本書の対談でも触れられているように、サルトルもかつてはソ連共産党を「同伴者」として支持し(ハンガリー事件とチェコ事件を経て撤回)、マオイスト(毛沢東主義者)に協力して雑誌の編集長を引き受けたりしている。
冷戦終結から30年後の現時点の視点からサルトルの政治的行動を批判するのはたやすいが、20世紀前半のロシア革命や中国革命が確立した社会主義の権威と知識人への影響力は圧倒的であり、その延長線上で毛沢東の「文化大革命」も大衆の主体的運動として受け入れられたと思う。スターリンと毛沢東の死後、そのもたらした巨大な弊害と信じがたい大量の犠牲者が明らかにされ、幻影が吹き飛ばされることになるが、本書の対談が行われた1980年ころは、まだ大衆闘争による「革命」が大真面目に語られる時代であったといえる。
本書の対談はサルトルが失明した最晩年のもので、対談者のレヴィは当時サルトルが最も信頼していたマオイスト活動家であるが、対談を読めばわかるとおり、レヴィはサルトルの過去の膨大な著作、『存在と無』や『弁証法的理性批判』といった難解な大著も読み込んで鋭くサルトルを追及しており、ただの聞き役にとどまらない手強い対談相手となっている。それ故、解説によるとボーヴォワールらのサルトルと親しい人々はこの対談にショックを受け、雑誌掲載に強く反対したが、結局サルトル本人の意思で掲載されたとのこと。
この対談を貫くサルトルの問題意識は、既存の左翼運動や社会主義政党の「失敗」を踏まえ、左翼にどのような希望がありうるか、というものである。「いまから20年か30年後に、左翼の大政党は、いまあるようなものではもうなくなる・・・限定された、個別的な目的を目指す大衆運動となるだろう。」というサルトルの発言は正確な予言となっている。
それでも、サルトルは、「《歴史》のゆっくりとした運動があって、人間による人間の自覚のほうへと向かっている。そのばあい、過去においてなされているすべてのことが、(歴史のなかで)その場を占め、その価値を持つだろう。・・・言いかえれば、進歩を信ずる必要がある」と、自らナイーブすぎると認める信念と歴史哲学を吐露し、希望を語るのである。
では、サルトルは希望の根拠をどこに求めるのか。本書の対談では民主主義を生き方の原理とすることやヒューマニズムの批判的検討が語られていくが、最も印象的なのは「友愛」の強調である。いうまでもなく「友愛」fraternitéは「自由」「平等」と並ぶフランス革命の3大目標の1つであるが、サルトルがここで「友愛」を強調するのは、自由と平等をめざした過去の革命運動にまつわる暴力や恐怖を払拭する意図があると思われる。サルトル自身は「暴力と友愛の真の関係が、私にはまだはっきりわからない」と述べているが、これを肯定しないところに真意があるのだろう。それゆえ、サルトルは友愛の原理を、「同じ母親を持つ」とか「同じ種族に属する」といった比喩的表現で語るが、その関係は感情的なものだという。私はJ-J・ルソーが『人間不平等起源論』で述べた社会の絆としての「同情・憐憫の感情」pitiéを連想するが、残念ながらこの対談ではこれ以上のみるべき展開がない。ただちに思いつく疑問として、家族、親族、同郷、国民と範囲を拡大して行くにつれてこうした共感関係は希薄になり、それが民族紛争や宗教対立につながっているのではないかと感じるが、この点では共感関係を抽象的な「人間」一般へと媒介する原理が求められるはずである。
なお、翻訳者海老坂武氏による出版当時及び2017年時点での周到な解説は必読といえるが、同氏はサルトルの「友愛」の示唆を現代のSEALDs運動や東日本大震災後のボランティア活動に結びつけていることを付記する。
◎2020年8月13日『ラ・ボエーム
(光文社古典新訳文庫)』アンリ・ミュルジェール
☆☆☆☆「芸術の都パリ」のボヘミアンたちの情景 翻訳と注釈は丁寧
プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の基になった作品であり、このオペラのファンには物語の背景や雰囲気がよりよく理解できると思う。
ただし、原作の題名は「ラ・ボエーム」ではなく、「ボヘミアン生活の情景」Scènes de la Vie de Bohèmeである。連作短編小説の形式で、バルザックの長編作品群『人間喜劇』のように全体に登場人物は共通でつながりがあるので、最初から通して読むのが望ましい。 連作全体としては文庫本で600ページ以上あり、とても長い。
私自身はオペラの「ラ・ボエーム」については、音楽は美しいものの、貧乏芸術家たちの気ままな生活ぶりを軸にした物語と、場末のアパートで椅子を壊して暖炉にくべるような寒々とした舞台がどうしても好きになれないのだが、この連作小説についてもやはり同様の感想を持った。
まず、主人公であるボヘミアンたち、つまり画家や詩人や文学者といった芸術家の卵たちの野放図で勝手気ままな暮らしぶり、家賃は踏み倒すし借金はあちこちにし放題、たまにお金が入ると椀飯振る舞いで飲み明かすというハチャメチャさが連作で次々描かれる。ディッケンズやドストエフスキーの長編でも誇張されたどんちゃん騒ぎが描かれ、深刻で深遠な人間模様の陰影を強調する効果を持っているのだが、この作品では肝心の芸術家たち本来の活動がごく表面的にしか描かれないため、ハチャメチャなボヘミアン生活のイメージしか残らない。
また、ミミやその他の女性たちにしても、挿話として語られる薄命のフランシーヌを唯一の例外として、オペラの描くような純愛のイメージとはほど遠く、華やかな暮らしぶりに憧れ貧乏な恋人を捨てる軽佻浮薄な娘たちである。
とまあこのような感じで連作短編が延々と続くため、読み通すがのとても長いと感じる。
ただし、翻訳はとてもわかりやすく、やたらに多い人名や他の作品の引用にも注が細かく丁寧に入っている(Kindle版では注がポップアップ形式で出てきて読みやすい)。ただし、通常はカタカナ表記する訳語にことごとく漢字を当ててルビを振るのは、やりすぎである(例えば「ポンヌフ」を「新橋」など)。
なお、著者の長大な序文が付録で付けられており、こちらを読めば著者のボヘミアン像がよくわかる。
こんな感じである。
「数々の不品行すらある種の美徳となる。野望が未来への突撃を命じる太鼓を打ち鳴らし、精神は常に覚醒している。・・・ひとたび泡銭が手に入ろうものなら底抜けの大盤振る舞い、いちばん若くて綺麗な女を愛し、いちばん 古くて高価な酒を飲み、窓という窓に金を投げ込んで廻る。そうして最後の銀貨に別れを告げてから暫く経つと、 いつでも自分の食器が用意された食卓を行き当たりばったりに訪ねて夕食を共にし、金儲けに長けた連中の後にくっついては、芸術に関わりがあればどんな仕事にも首を突っ込み、・・・」
◎2020年8月3日『スティーグ・ラーソン最後の事件』ヤン・ストックラーサ
☆☆☆☆☆『ミレニアム』三部作の実録版を思わせるスウェーデン現代史の闇
スティーグ・ラーソンはいうまでもなくベストセラー小説『ミレニアム』三部作(ラーソン死後の第4部以降は別著者)の作者であるが、本業はジャーナリストであり、スウェーデンの極右勢力の追及をライフワークとしていた。『ミレニアム』三部作でもネオナチ等の極右勢力とスウェーデン財界の関係が物語のライトモティーフとして使われており、ラーソンの取材活動の一部が小説に反映されていることがわかる。
本書はラーソンがその突然の死の直前まで調査し続けていたパルメ首相暗殺事件について、ラーソンの膨大な資料を受け継いだ著者が、さらに独自の調査を続けて最終段階にほぼ近い仮説を提示したノンフィクションである。
前半はラーソンの資料の解読と再構成に充てられているが、ラーソンのジャーナリストとしての活動はまさに『ミレニアム』の主人公ミカエル・ブルムクヴィストを彷彿させるものである。埋もれていた資料を紹介し、ラーソンのジャーナリストとしての本来の姿を生き生きと示してくれたことに対し、『ミレニアム』のファンとして感謝したい。
後半の著者の独自の取材活動は、まるでラーソンが乗り移った、あるいは『ミレニアム』を地で行くようなスリリングなものであり、元スパイやテロリストとの面会、さらにはリスベット・サランデルのような相棒による潜入捜査やハッキングまである。
ちなみに、『ミレニアム』だけでなくヘニング・マンケルの『刑事ヴァランダーシリーズ』などのスウェーデンの社会派ミステリーには極右勢力と政財界の関係や、遠く離れた南アフリカと事件の結びつきがしばしば取り上げられるが、本書はそうした北欧ミステリーの背景をよりよく理解する上でも有益である。
本書の解説によると、スウェーデンの伝統的な武装中立政策が国内でネオナチ勢力の温存を許したということだが、ラーソンと著者はパルメ首相の反アパルトヘイト活動と平和運動が南アの武器輸出勢力との対立を招いたことを暗殺事件の背景と見立てている。本書にはCIAの「暗殺マニュアル」が引用され、パルメ首相暗殺事件前後の反アパルトヘイト活動家や政治家の多数の暗殺事件が列挙されているが、いずれも背筋の凍るようなものばかりである。まさに、事実は小説よりも冷徹かつ残酷なのである。
◎2020年7月25日『蜜蜂と遠雷(上下)』恩田陸
☆☆☆☆☆コンクールの臨場感を読書で味わう
辛口のレビューも多いようだが、素直に読んで楽しめた。
ショパンコンクールなどの有名なピアノコンクールはテレビ・ドキュメンタリーで演奏者に焦点を合わせたドラマ仕立てなものを見たし、最近ではスタインウェイやヤマハなどの有名ピアノメーカーがショパンコンクールに技術者と調律師をチームで送り込んで演奏者に張り付き、熾烈な争いを展開するドキュメンタリー番組も興味深く見た。
編集担当者の解説によると、この小説は作者が浜松国際ピアノコンクールを何年も取材して、10年がかりの連載で書き上げたものだそうだが、主人公となる複数の演奏者〔コンテスタント)の視点だけでなく、審査員や演奏者をサポートする友人らの視点も加え、コンクールの予選から1次、2次、3次予選、そして本選と時系列に沿ってコンクールを再現する作品となっており、読者はあたかもコンクールの現場に居合わせたような臨場感と緊迫感を味わうことができる。
クラシックのピアノコンクールなので、作曲家や曲の知識はある程度は必要だが、専門的で小難しい楽曲解説のような部分はなく、曲のイメージが様々な比喩を交えて一般読者にわかりやすく語られているのは作者の苦心したところだろう。ただ、同じような説明の繰り返しや冗長な部分があるのは連載小説だからであろうか。
物語としては、かつて天才少女として活躍しながら母の死で演奏をドタキャンして活動をやめていたアヤの復帰への挑戦、ジュリアード音楽院の若きスターとして飛躍をめざすマサル、キャリアは全く未知ながら亡き大ピアニストの推薦状付きで彗星のごとく登場した天才少年ジンの3者を軸に展開され、ジンが文字通りトリックスターのような役割を果たしてコンクールを劇的に盛り上げていく。このあたりは少年漫画チックだが、若者らしいみずみずしさと友情が微笑ましく描けていると思う。
クラシック音楽のファンとしては、作曲者の意図や楽譜の忠実な再現という考え方と演奏者の自由な解釈とのせめぎ合いが音楽思想や音楽史的に興味をひくところであり、本書では前者に傾く審査員が型破りなジンの演奏を最初は拒絶しつつ受け入れていく過程と「音楽を外に連れ出す」と繰り返しジンに語らせるところに作者の関心が表現されている。
◎2020年7月22日『砂男(上下)』ラーシュ・ケプレル
☆☆☆☆ストーリー展開は見事だが、シリアルキラーは超人か?
『ミレニアム』三部作や刑事ヴァランダーシリーズなどの北欧ミステリーの愛読者だが、このヨーナ・リンナ刑事のシリーズは初めて読む。
文庫本上下で680頁に及ぶ長編だが、息詰まるストーリー展開で一気に読ませるミステリーの醍醐味がある。
物語は雪の鉄道線路上を彷徨する男性の印象深い場面から始まり、やがてそれが13年前に誘拐された被害者(当時少年)であることが判明し、俄然、同時期に誘拐されたその妹の救出のために加害者であるシリアルキラー、「ユレック」への接触工作が秘密裏に始められる。ユレックはヨーナ刑事自身が関わった事件で精神病院への治療入院処分を受けて隔離されているため、13年間被害者らがどこに監禁されていて、共犯者が誰なのかが焦眉の問題であるが、なぜそのような犯行がなされたのかという動機、背景も当然ミステリーの大きな要素となる。
ヨーナ刑事らが採用した作戦は、なんと精神病院への秘密潜入捜査‼︎ 厳重に隔離された精神病院への潜入は過酷で恐ろしいものであり、潜入捜査官は自らも強力な薬物を投与されたりミニマイクを飲み込んで持ち込んだりする。弁護人を含め外部との連絡が全く遮断された状況で、医師の意のままに薬物を処方される精神病院入所者の無権利状態は日本でも他人事ではない。
この潜入捜査とヨーナ刑事も関わった過去の事件の調査を軸にストーリーが展開し、驚くべき真実が明らかになっていく。
このようにミステリーとしては読ませる本書ではあるが、「ユレック」のシリアルキラーとしての人物設定があまりにも超人的で現実離れしており、私にはなじめなかった。また、グロテスクすぎる監禁犯罪の動機とシリアルキラー誕生の背景としてスウェーデンの過去の移民政策の問題が触れられているが、十分説得的とは思えなかった。
◎2020年7月18日『特捜部Q―アサドの祈り―
(ハヤカワ・ミステリ)』ユッシ・エーズラ・オールスン
☆☆☆☆☆テロと隣り合わせの日常を生きるヨーロッパ
デンマーク、コペンハーゲン警察の地下にある難事件解決専門の特捜部Qだが、今回は舞台をヨーロッパ全土、特にドイツにカールとアサドが出向いて事件解決にあたる。
物語の幕開けはキプロスに地中海を船で逃亡してきた難民の溺死事件から始まり、今回は多数の水死者や餓死者で問題となったシリアや北アフリカからの難民問題がテーマかと思われたが、やがて難民を偽装したイスラム過激派のテロが大きなテーマとなっていることが明らかになる。しかも、テロの首謀者とアサドの過去の因縁が物語の太い縦糸となってストーリーが展開していくのである。
これと並行して、コペンハーゲンでも難民の死亡ニュースに触発された引きこもり男のテロ計画事件が特捜部Qに持ち込まれ、カールとアサドのいない留守部隊を翻弄するが、大小異なるタイプのテロを対比して進行させる展開が小説的工夫を感じさせる。
近年、欧州諸国ではイスラム過激派等のテロが頻発しており、海外旅行で訪れても空港や繁華街の警備が厳重になっていることを肌で感じる。有名な事件を挙げると、
2015年11月 パリでレストラン、劇場、競技場での同時多発テロで、死者130人、負傷者約350人
2016年3月 ブリュッセルの空港ロビーと地下鉄駅で爆弾テロ。死者28人、負傷約340人
2016年7月 ニースでトラックが花火見物の群衆に突入し、死者84人、負傷者202人
2016年12月 ベルリンのクリスマスマーケットに大型トラックが突入し、死者12人、負傷者48人
2017年5月 マンチェスターでコンサートツアーを狙った爆弾テロが発生し、22名が死亡
2017年8月 バルセロナの目抜き通りで暴走車が群衆に突入し、死者14名、負傷者100名以上
このように、欧州諸国はテロと隣り合わせの日常を生きているといっても過言ではない。
本書で登場するテロリストはイスラム原理主義とはいっても、首謀者は個人的な復讐心で仲間を巻き込み、無辜の市民を大量殺戮することを厭わないモンスターとして描かれているが、これが著者のテロリスト像であり、テロ批判のメッセージなのだろう。
2001年にアメリカで起きた同時多発テロ事件のときは、第三世界の貧困やパレスチナの空爆による大量殺戮に対する超大国アメリカへの抗議行動として理解を示す人もいたが、あのときも被害者の大部分は無辜の市民であり、擁護することも理解することも絶対にできない非人道的大量殺戮事件だった。
こうしたテロ事件の増加に加え、近年の移民問題への不寛容な世論の高まりにより、自由、民主主義、国境を越えた人と経済の交流というEUの理念は大きな挑戦を受けている。その切迫感を感じる1冊である。
◎2020年7月10日『ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち
』スジャータ・マッシー
☆☆☆☆インドの女性弁護士の黎明期
インドにおける女性の地位と権利については、残念ながら全くいいイメージがない。
昨今の多発するレイプ事件や持参金殺人、児童婚、ヒンドゥー教やカースト制における女性の地位の低さ等々、男女平等や女性の人権尊重にほど遠い事態が今もなお継続している。本書でも、主人公が弁護士として関わるムスリムの一夫多妻の妻たちが屋敷の中に厳しく隔離された生活を送っていることが物語の重要な要素となっているが、こうしたハレム的な女性の扱いに嫌悪を感じる人は多いのではないか。
本書はイギリス統治下の1920年代にボンベイで女性弁護士第一号(小説内では事務弁護士)として活動を始めた女性を主人公としたミステリーであるが、主人公は行く先々で男性たちの女性に対する蔑視や暴力に阻まれながらも、その都度機転を利かせたり運よく助けられたりして困難を切り抜けていく。ただ、これができるのは、主人公が裕福な社会階層で父が有能な法廷弁護士であることに加え、オックスフォードに留学した経験があり、さらにはそのときのイギリス人の友人が知事の補佐役の娘として登場し主人公の活動を援助するおまけまであってのことである。こうした恵まれた環境がなければ、当時の男性中心社会、しかもインドのような女性の地位の低い国で女性弁護士の草分けとはなりえなかったのではないか。とはいえ、ノーブレス・オブリージュnoblesse obligeであり、そうした恵まれた環境を活かして困難に立ち向かった黎明期の開拓者たちの偉業が讃えられるべきことに変わりはない。
この小説では、当時のインドの司法制度や宗教コミュニティが取材に基づいて紹介されているのが興味深い。イギリス統治下であるがゆえに弁護士は法廷弁護士(バリスター)と事務弁護士(ソリシター)に別れているが、さらに宗教コミュニティによって適用される法体系が異なるという。主人公が属するコミュニティはヒンドゥーではなく、イスラム帝国支配時代にイランから逃れてきたゾロアスター教徒を祖先とする「パールシー」(ペルシアの語形変化)であり、ボンベイには少数ながら彼らの有力なコミュニティがあるらしい。
なお、翻訳はおおむねわかりやすいが、敬称などの訳語にいちいち原文のルビが付されている箇所が多くて煩瑣である。物語のキーワードでない限り原文のルビは不要であり、原文のニュアンスを訳語で伝えられないなら別途注記すべきである。
◎2020年7月2日『ポール・サイモン
音楽と人生を語る』ロバート・ヒルバーン
☆☆☆☆☆進化し続ける「現役」シンガーソングライター
ポール・サイモンの唯一無二の決定的評伝である。
「唯一無二の」というのはサイモンが過去を振り返って自伝を書くことを嫌ったからであるが、本書はロサンジェルス・タイムズの音楽記者として長年サイモンを取材してきた著者にサイモンが評伝を書くことを許して、2014年末から2017年末までに実現したインタビューに基づくものである。
ペーパーバックでは600頁を超える大著であり、巻末の参考文献や注も充実している。まさにポール・サイモンの人間と活動が網羅されており、その活動は音楽分野にとどまらず政治や環境保護運動などの社会活動との関わりにも及ぶ。また、プライベートでは、アート・ガーファンクルとの緊張に満ちた関係や、『スターウォーズ』のレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーとの短い結婚生活などにも触れられている(アメリカの音楽業界やサイモンの関係した幅広い音楽人についても詳しく触れられているが、あまり興味がなければざっと読み進めればよい)。
ポール・サイモンがシンガーソングライターとしてすごいところは、S&G時代を経てソロ活動に移行した後も次々と新しいコンセプトによるアルバムを発表し続け、アフリカ音楽などのワールドミュージックを取り入れて進化し続けているところである。70歳を超えた現在でも、昔のヒット曲を歌う懐メロ歌手ではない。歌を作るのがサイモンの人生そのものなのだ。
本書にはサイモンの主要曲である「サウンド・オブ・サイレンス」、「ボクサー」、「明日に架ける橋」、「僕とフリオと校庭で」、「アメリカの歌」、「グレイスランド」などが制作された当時の状況が生き生きと描かれ、歌詞が対訳付きで全部掲載されており、ファンは必見といえる。
私自身は、中学時代にラジオの深夜放送で流れていた「僕のコダクローム」のポップなリズム感でサイモンのファンになり、クラスの好きだった女の子にS&Gの私的ベストテンを書いたメモ帳を見せられてS&G時代の曲も好きになった。その後も、1986年の『グレイスランド』まではサイモンのアルバムを所持しているが、残念ながらそれ以降のアルバムは十分フォローしていなかった。今回、改めて近年のアルバム『ソー・ビューティフル・オア・ソー・ホワット』(2011年)をダウンロードして聞いてみたが、曲も歌詞もやはり素晴らしい。歌声も70代とは思えない、おなじみのサイモンの柔らかで暖かいトーンである。
本書にはたくさんの興味深いエピソードが書いてあるが、S&G以前のかなり長い下積み時代の努力は印象的である。この時代にサイモンがロンドンで頻繁にコンサート活動をしていたことや「トム&ジェリー」という漫画のような芸名でレコーディングをしていたことは知る人ぞ知る事実だろうが、「サイモン&ガーファンクル」の実名デビューの際に法律事務所のような名前だとレコード会社に反対されたというのには笑った(確かにアメリカの法律事務所は「A&B」というのが多い)。
実は、私は「明日に架ける橋」の第3リフレインの「船を出すんだ、銀色の少女よ」で始まる素晴らしい歌詞、
Sail on, silver girl
Sail on by
Your time has come to shine
All your dreams are on their way ・・・
このイメージの由来をずっと知りたいと思っていたのだが、本書によると、サイモンは最初の妻になる2歳年上のペギーが数本の白髪を見つけて取り乱していたのを見て、心配はいらないと励ますためにこの歌詞を一気に書き上げたらしい。まあ、知らない方がよかったエピソードかもしれないが、これを「銀色の少女」のあのイメージに転化するのだからまさに天才であり、詩のミューズのなせる業である。

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